朝日新聞の従北史「帰還事業20年を自画自賛」

「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』にも取り上げられた、朝日が実態が知られるようになった後も徹頭徹尾北朝鮮側に立って記事を書いていたことを証明する、「北朝鮮帰還二十年」という記事を読んでみました。

1979年12月17日(夕刊)の記事ですが、帰還事業の開始3年で希望者が急減し、全然話と違うということが帰国者から手紙で知らされていたにも関わらず、そういう事実を無視して絶賛できるのが朝日の凄いところです。それも20年後です。

この辺の朝日の悔い改めない姿勢は筋金入りです。

 

北朝鮮帰還二十年

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)系の在日朝鮮人の祖国への帰還、いわゆる北朝鮮帰還が始まってから、この十四日で満二十年を迎えた。かつてマスコミをにぎわわせたこの問題も、最近ではほとんど話題になることもない。それだけ日常化したということだろうが、以前、この問題の取材に当たった者としては、「北朝鮮帰還二十年」という事実を前に、さまざまな感慨が胸をよぎる。

北朝鮮系の在日朝鮮人から「祖国へ帰して」という声が盛り上がったのは、昭和三十三年だ。これを受けて、当時の藤山外相が「人道問題として早急に解決すべきものである」と決断、翌三十四年には日赤と北朝鮮赤十字会がカルカッタで「在日朝鮮人の帰国に関する協定」を結んだ。

日本と北朝鮮には国交がないため、両国の赤十字が窓口となったわけである。この年の十二月十四日には、新潟から第一船が出港、その後、在日朝鮮人が次々と日本海を渡った。

日赤によると、これまでに北朝鮮に渡った人々は九万三千二百五人。これには、朝鮮人の夫に従った日本人姿約三千人も含まれている。

朝鮮総連によれば、初めのころは生活困窮者が多かったが、近年は「日本で大学を出ても就職口がないから、祖国で学び、祖国の建設に従事しよう」という若者や、「骨は祖国に埋めよう」というお年寄りが多いという。

もっとも、北朝鮮帰還がこれまでずっと順調に続いてきたわけではない。途中、四十二年暮れから約三年半、中断の憂き目にあっている。日本側が同年十一月十二日で協定を打ち切ったためだが、これは「おおむね所期の目的を達成した」という日本政府の意向によるものだった。帰還者の数が激減したことがその理由に挙げられていたが、協定が打ち切られた背景には、四十年の日韓条約締結後、韓国側が北朝鮮帰還にクレームをつけてきたこと、さらに帰還船が「朝鮮総連との連帯」「秘密連絡員との連絡」に利用されるとの懸念が公安当局に強まったこと、などの事情もあったとされている。

これに対し、北朝鮮は「協定に基づいて帰国を申請した者がまだ一万五千人も残っている」「今後新たに帰国を希望する者についても帰国の道を保護すべきだ」と主張、両赤十字の話し合いは難航した。

二度にわたる会談决裂のあと、四十六年二月に「既申請者については六ヵ月の暫定期間を設けて帰国事業を行う」「暫定期間後の帰還希望者は一般外国人の出国並みに扱い、帰還者が二百五十-三百人になった時、日赤が朝赤に配船を求めるなどの点で合意が成立、ようやく同年五月から帰還が再開された。

北朝鮮帰還はこのほか、これまでにさまざまの反対、妨害活動に見舞われてきた。

つまるところ、北朝鮮帰還は南北朝鮮の対立、日本政府の対韓・対朝政策・治安対策といった「政治」の風圧に絶えずさらされ続けてきたといってよいだろう。が、それでもなお「クモの糸のような細い糸」(ある日赤関係者)の形でつながってきたのは、やはり、日朝双方の関係団体、支援団体による人道的立場からの努力が、危機のたびに政治の壁を打ち破ってきたからだと思われる。

時として、人道が政治に勝つこともあることを、北朝鮮帰還の歴史は示している。

(編集委員・岩垂 弘)

「朝鮮総連によれば」と総連の代弁者になっていますね。

「祖国で学び、祖国の建設に従事しよう」という情緒形成を朝鮮学校で行い、自ら望んで地獄への片道切符を買い取らせ、残った親族を金づるにしてきたのが帰還事業の本当の姿です。

そういう最悪な行為を絶賛して加担してきたのが朝日新聞です。悔い改めれば見直すのに、やっていることはテッサ・モーリス=スズキと結託して『北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる (朝日文庫)』という本で、日本政府や赤十字を同列に語り、己の原罪を矮小化することに必死です。心根が実に卑しい。

朝日の罪深いところは「反日」ではなく、「従北」でしょう。

韓国政府の反対という妨害にも負けずに帰還事業を推し進めてきた!と自画自賛しているわけです。それも20年後です。普通に取材していればさすがに変だぞ?ということに気づいたはずでしょう。

結果は、韓国政府が正しく、民団が正しかった、ということですね。もっと反対意見に真摯に耳を傾けていれば1971年に帰還事業がもう一度再開して、新たな犠牲者が生まれることもなかったでしょう。

ちなみに産経新聞では、1971年2月6日の記事で、帰還事業再開について、北送に反対する民団団長の意見を記事で紹介していました。もちろん内容的には産経新聞として明確に反対しているわけではないですが、ちゃんと反対意見も載せている分、帰還事業についての報道姿勢としてはまともです。

内容はこれ。

”北送”許せぬ

李韓国居留民団団長語る

この問題について在日韓国居留民団李禧元団長は同日、次のように語った。「〝北送〟再開の調印は許せない。日本政府は北韓の蛮行に乗せられず、〝北送〟再開を再考慮すべきだ」。

 

産経も帰還事業を扇動していた!と帰還事業が始まった最初の3年程度の記事を引用して鬼の首を取ったかのように喜んでいますが、どう考えても実態が分かった後の対応の方が大問題です。

開始当初は北朝鮮に行ってきたジャーナリストや専門家が、北のショーウィンドウコースを真に受けて、みんな「千里馬のごとく発展する北朝鮮」のプロパガンダに協力してしまったわけです。この状態で、帰還事業に反対する方が無理でしょう。

そういう点では、朝鮮戦争で共産主義国がどれだけ最悪なことをやるのか骨身に染みて理解していた韓国からの北送絶対反対の意見に耳を傾けなかったのは失敗でしたね。

 

こういう一番問題である「実態が明らかになった後の報道姿勢」を無視して、産経も北を賛美していた、だから朝日と同罪だ!という印象操作は詐欺でしょう。

この辺の矮小化は従北さんたちの十八番ですね。

こういう情報操作を、組織だってず~~~っとやり続けますから、覚えている人が減るにしたがって、嘘が本当になってしまいます。うっとおしい限りですが、この辺の執拗さは見習わないといけないかもしれません。

関連投稿: