朝鮮学校のおぞましさ 北送された在日一世の無念を忘却させる

実際に朝鮮学校の教科書をじっくり読んだ結果、世の中の朝鮮学校を擁護している本が、いかに欺瞞に満ちたおぞましいものであるかが分かります。

まず、大前提として、朝鮮学校の教科書に乱舞している写真をご覧いただきましょう。

 

これは昔の話ではなく現在も使われている教科書です。少なくとも2010年3月時点では確実に使われていた教科書の内容です。そして、全面改訂されたという話はなく、拉致被害の箇所を修正しました、ということしか言っていません。拉致被害者の記述など、数行程度です。その部分を改訂しただけで、このおぞましい教科書を肯定することなど不可能です。
まず、そもそも門外不出の状態を改めてもらうのが第一歩でしょう。

何の変哲もない写真に見えるでしょう。ですが、よく見てください。
「敬愛する金日成主席様」とあります。

ありえませんよね?

仮に日本の教科書に、「敬愛する」安倍晋三総理大臣「様」なんて書いてある教科書があったら非難轟々ですよね?

ですが、朝鮮学校ではこのフレーズが至る所に出てきます。

お次はこれです。もちろん「敬愛する」金日成主席「様」と、きっちり書かれています。帰国船で帰った在日同胞が幸せになったように思える教科書です。ありえませんよね?帰国者を人質に取られ、金を吸い取られたわけです。不幸な出来事として教えなければいけないはずです。ですが、朝鮮学校の教科書では、この帰国事業を素晴らしいことであるかのように教えています。

主席様が、在日の子供たちから大人気だったんだよ~という印象を植え付ける写真です。これで朝鮮学校の生徒は勉強しているわけです。

ありえませんよね?

地上の楽園と嘘八百で9万3千人の在日同胞を地獄に突き落とした主犯のはずです。

子供たちに笑顔で抱きつかせて、その写真を使った教科書で子供に歴史を教える。これでは金を吸い取るだけ吸い取った後、用無しと無残に殺された数万人の在日帰国者の魂がうかばれません。

 

映画撮影をしている金正日将軍様です。もちろん「敬愛する」は忘れてません。ただの映画撮影ですが、朝鮮学校の教科書では教科書半ページに渡る領域にこの写真が載せられています。これが朝鮮学校の教科書です。

お次は「敬愛する主席様」の死去について書かれた部分です。数ページに渡って、写真もふんだんに使い、世界中が悲しみに沈んだ!!くらいの勢いで書かれています。

ありえませんよね?こんな歴史教科書を使っているのが朝鮮学校です。

厳密に言えば、総連系朝鮮学校でしょう。

9万3千人の在日同胞を人質に、日本から金を引っ張り、さらには用無しになったら地方で強制労働の上、餓死させています。

政権批判をした人達は、強制収容所で動物のように殺されたわけです。

生き血を絞るようにして殺されました。ホロコーストがかすむほどの残酷なやり方です。

そんな連中に、親近感や同胞意識を抱くように教育しています。

朝鮮民族の教育ではなく、主体(チュチェ)思想を唯一絶対の掟としている、チュチェ民族に洗脳教育するための教科書です。

本当におぞましい教科書です。これを今でも使っています。

「朝鮮」を名乗っているのがますます許せません。

反日教育などどうでも良い問題です。朝鮮学校の問題は、民族教育の美名のもとに、朝鮮民族を民族浄化しているチュチェ民族になる教育をしていることです。このような学校は、民族学校ではありません。「民族浄化」学校です。

さて、この歴史教科書を踏まえて、世の書店で出回っている朝鮮学校を擁護する教科書を読んでみたいと思います。

「語られないもの」としての朝鮮学校――在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス

この著者は韓国生まれだそうです。韓国にも従北左派はウヨウヨいますからね。その部類の人でしょう。チュチェ系韓国人と言ったところでしょうか。

いくつかありえない写真を紹介しましょう。

朝鮮学校1

北朝鮮の少年団で何が行われているかを知っていれば、このような写真をさも素晴らしいことのように本に載せるなどありえないことです。

北朝鮮の少年団では、互いに非難させ、自己批判させ、友達同士のつながりを粉々にし、将軍様ただ一人を敬愛するように教育しています。

恐ろしいのは、親が子供に政権非難するような発言があったら先生に密告するように奨励している点です。親から子へ、真実をこっそり語り継ぐことさえさせないようにしています。

そんな集団と同じ組織名で、同じように赤いスカーフを巻いています。

ありえません。本当におぞましいです。

ナチスドイツのハーケンクロイツの腕章をつけて活動するようなものです。

活動の内容は全く別だ!という意見もあるでしょうが、なぜわざわざ朝鮮人を虐殺し続けている北朝鮮もといチュチェ国の組織を真似する必要があるのでしょうか?

朝鮮学校のやっていることは、ユダヤ人に敬愛するヒトラー様!と教えているようなものです。本当に残酷なことをしています。

この本では、朝鮮学校の少年団は、このように紹介されています。

「このような集団主義を身につけるために、朝鮮学校では「少年団」という縦割りの組織を置いている。少年団は初級部四年生から中級部三年生までの六年間、朝鮮学校の生徒なら義務的に加入しなければならない。

初級部四年生の時に初めて少年団員になった朝鮮学校の生徒は中学校を卒業する二日くらい前に「少年団畢団式」を経て少年団を卒業することになるが、高級学校に入学するとまた「朝鮮青年同盟(朝青)」に義務的に所属することになる。」

「語られないもの」としての朝鮮学校――在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス』 P168

この少年団、青年団組織については、脱北者が言っていた内容と同じです。

苦難の行軍で300万人を餓死させ、強制収容所で朝鮮人を残酷に虐殺した集団と同じ団体名、同じ服装で、同じように自己批判と相互批判をする。ありえないおぞましさです。朝鮮民族を殺す連中と同じように行動することを、「朝鮮」学校で行うわけです。本当に信じがたい。

この本で紹介されている、相互批判のシステムの書き方を引用します。

「朝鮮学校における実践を通じた朝鮮語教育(内面化)の最も特徴的なものが「ジジョクサオプ(指摘事業)」という相互監視システムによる日常的朝鮮語実践への強制であろう。

これは朝鮮学校という空間の中で、許された時間(日本語の授業)以外の全ての言語実践を朝鮮語で行うように、共同体の構成員皆が互いを監視することである。

これは、政治的立場は正反対であるが、異端言語を排斥するという点では、植民地支配の末期、朝鮮の「国民学校」で行われていた「国語百本語」常用運動」を思わせるものだ。朝鮮の植民地時代に日本による「国語常用運動いの実践方法の中には、「私は朝鮮語を使いました」と書かれたタスキを用意し、朝鮮語を使った生徒に掛けさせる方法があった。
タスキを掛けさせられた生徒は、朝鮮語を使った次の生徒を見つけるまで夕スキを掛けていなければならなかったのである。」

「語られないもの」としての朝鮮学校――在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス』 P206

実にうまい書き方です。日本の植民地時代を持ち出して、非難をさせないようにしています。植民地時代は鬼ごっこのようにゲーム感覚でタスキを回すやり方ですね。

楽しそうで何よりじゃないですか。

北朝鮮の相互批判は尋常じゃないですよ?下手したら親族三代に至るまで強制収容所送りになります。

なぜそちらと比較しないのでしょう?不思議ですね。

「ある初級学校で生徒たちが自主的に作った「日本語のごみ箱」だ。生徒はお互いの言語実践を監視し、会話の中で日本語の使用を指摘する。指摘を受けたときに使われた日本語は紙に書かれ「ゴミ箱」に入れられるのである。

(中略)

子供たちにとっては、自分が学校外の日常で使用する言語を「ゴミ」として否定しなければならない「困難」に遭遇してしまう。ここで日常的母語としての日本語は、「ゴミ箱にいれるべき悪いもの」と「家族友人との会話に使う良きもの」に分裂する。

このような日常言語の価値分裂は、子どもたちの認識と実践の価値世界も二分する。しかし二分された両方とも日常的実践が行われるリアルな世界であるために、そのどちらかを完全に否定するわけにはいかない。朝鮮学校の生徒たちは、この矛盾を克服することを試みるのではなく、矛盾と共に歩む道を選ぶ。その道とは、他でもなく「演技」をすることであった。

朝鮮学校の中で行われている日常的実践を「演劇的」と把握すると、互いに厳しく指摘しあったり、反省会のときに互いに激しく批判しあったりしながらも、仲の良い友達関係が維持されることや、生徒たちが校門を出るや否や即座に日本語使用モードに切り替えることなどの、彼らのいっけん「奇妙な」行動を理解することができる。舞台の上で互いに敵を演じた俳優だから、舞台の裏でも憎みあうことはないし、舞台から降りてからも演技し続ける必要はない。しかし、「演劇的」と言っても、朝鮮学校における日常的実践が本物の演劇と違う点は、生の実在性にある。

生徒たちは朝鮮学校のなかで「演技」をしながら学習し、人間関係を築き、笑い、泣き、感じ、成長していく。朝鮮学校は舞台の上の仮想の世界ではなくて、手で触ることができる「リアリティ」に満ちた生の空間でもある。だからこそ、その空間のなかで「演劇的」に学習された朝鮮語能力も実在性と実用性を備えているのである。」

「語られないもの」としての朝鮮学校――在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス』 P207~208

正直何を言っているのかまったく理解できません。まず、日本語をゴミ扱いすることで価値分裂を起こす問題があるのであれば、さっさとやめればいいだけです。やたらと理屈をこねくり回して、正当化しているのが理解できません。語学学習で、日本語禁止は大変合理的です。大いにやればよいでしょう。

朝鮮学校のおぞましさは、「ゴミ箱」を作って入れることです。まったく理解できません。他にゲーム的にやるとか合理的な方法があるはずです。

さらに朝鮮学校の中は「演劇的」な空間と定義して、だからこそ「厳しく指摘し合ったり、激しく非難しあっても、仲の良い友達関係が維持できるのです」と正当化しています。これもまたまったく理解不能です。そんなものさっさとやめればいいだけでしょう。なぜ友達関係を壊す可能性のある行為を、わざわざ学校で強要する必要があるのでしょうか?この本の著書は狂っているとしか思えません。

こういう教育空間の中で、「人間関係を築き、笑い、泣き、感じ、成長していく」と総括するにあたっては、あまりにおぞましくて鳥肌が立ちます。

これが朝鮮学校を擁護する連中のやり口です。なんだかんだ理屈をつけて、さらには日本の植民地支配と結び付けて非難をかわし、朝鮮民族を民族浄化しているチュチェ民族教育を維持するわけです。まったくもってありえません。

「朝鮮学校の歴史教科書を読む」では、朝鮮学校に通う子供を持つ親御さんの悲鳴を紹介しています。

「一九九八年(平成十年)に、在日の父母のある方々が「朝鮮学校教育の抜本的改善を求める総連への要望書」というものを出しているのです。

(中略)

「二重人格をつくるのは子どもたちがあまりにもかわいそうだ」と書いてあります。先生の前では直立不動で教科書の通りに答え、一歩外に出たら日本社会の常識に従う。教科書では朝鮮戦争のことなど嘘ばかり教えられ、実は何か真実かということも知っている。そういう二重基準、ダブル・スタンダードを子どもに強要するのはかわいそうではないか、と。」

「在日の父母たちが私たちに密かに言ってくるのは、「日本の先生方、頑張って朝鮮学校を早く潰してくれ」ということです。
でも、自分の親類縁者が人質に取られているから、表立っては言えない。

北朝鮮にいる人質が「朝鮮学校に行かせろ」と言っても、学校自体がなくなってしまえば、もう行かせるわけにいかないから、親は大助かりするわけです。」

朝鮮学校「歴史教科書」を読む(祥伝社新書257)』 P60-61

日本の善人面したリベラル達は、こういった弱者の悲鳴を平気で無視します。

そして民族教育だの、国連がどうだの、差別がどうだのと言って、このおぞましい教育システムを維持することに加担するわけです。

最大の被害者はこの学校に通う子供たちです。

大人になり、北朝鮮で行われていることを知って、自分達が彼らと同じような組織で同じように活動していたと知ったときどう思うでしょうか?日本のリベラルほど、罪深い連中はいないでしょう。

事実を把握せず、表面的なことだけで判断し、正義の味方面して人を不幸に突き落とす。

これほどおぞましい行為はありません。帰国事業で9万3千人を地獄に突き落とすことに加担した、当時のメディアや、進歩的知識人とまったく同じです。何も学んでいません。

次は、運動会の写真を紹介します。

朝鮮学校2

朝鮮学校で必ず運動会の演目に盛り込まれるそうです。この演目名がありえません。

「苦難を乗り越えて前へ」という演目名です。

まるで「苦難の行軍」を共有しようと言わんばかりの演目名です。

苦難の行軍で何が起きたか?

  • 意図的に食糧の配給を止めて特定の地域の人間を餓死させ、数百万人を虐殺。
  • 死体は、墓もなく、供養もなく、誰にも看取られることなく、山中に埋められた。
  • 餓死から逃れるために脱北したが捕まり、残酷な拷問を受けて殺される人は数知れず。
  • 強制収容所で、看守に好きなように凌辱され、妊娠したら裏切者の血は残すなと母子共々殺される。
  • 中国に脱北し、中国人の子供を身ごもって北に送り返された人は、強制堕胎させられ、目の前で、嬰児に濡れタオルかぶせて窒息死させる。
  • 強制堕胎した嬰児を、物のようにプラスチックの大きな箱に投げ入れ、柔らかい頭蓋骨にハサミを突き立てて殺す。
  • その嬰児たちは、どこぞに埋められ、忘れ去られる。

これら以外にも数えきれない残酷な、本当に残酷なことが繰り広げられていました。

それを「苦難の行軍」と美化しているのが北朝鮮もといチュチェ国です。

教科書では、苦難の行軍を「強盛大国」へと成長する大きな転換点だった!という書き方をしています。ナチスドイツのホロコーストが子供のお遊びに思えるほど、とんでもなく残酷なことが行われたことは一切教えません。美化して、発展のための試練だった!と教えるのが朝鮮学校です。

そして運動会に「苦難を乗り越えて前へ」という演目を必ず入れ、何も知らない子供たちに、数百万人の無念の中で死んでいった人達を踏みつけさせるわけです。

真の「朝鮮民族」の学校であれば、数百万人の死者のために、黙とうをささげるよう教育すべきではないでしょうか?

墓もなく、供養もなく、看取られることもなく、虫けらのように山中に打ち捨てられた、残酷に殺された憐れな同胞のために祈り、涙してこそ、朝鮮民族の学校であり、真の民族教育ではないでしょうか?

真の朝鮮民族の学校なのであれば、何も知らない子供たちに、朝鮮同胞を踏みつけさせるような、そんなおぞましい演目名の運動会競技などさせられないはずです。

本当に最悪な教育をしています。

被害者はこの学校に通っている子供たちです。

加害者は、多文化共生や民族教育を叫んでこの学校の実態を知らしめることを妨害する、良心が腐り果てている偽善者リベラルどもでしょう。多文化共生や民族教育を本当に大事にしているのであれば、門外不出になっている朝鮮学校の教科書を、過去の分も含めて広く公開し、改善した上で「朝鮮」を冠した学校を名乗ってもらいたいです。

それができないというなら、朝鮮学校ではなく、チュチェ学校と改名してもらわなければいけないでしょう。

日本人も、反日教育がどうとか、拉致被害の書き方がどうとか、そんなことよりも「敬愛する将軍様」が乱舞していることを問題にすべきです。愚かな韓国叩きでお祭り騒ぎをしているくらいなら、この朝鮮学校の問題に真摯に取り組んで欲しいと思います。

(過去投稿をUpdate)

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