『韓国民主化から北朝鮮民主化へ』中国が拷問大国ということをお忘れなく

とにかく反安倍・反自民・反政権の人たちの困ったところは、やたらと独裁だと日本政府や政治家を批判するわりに、他国の独裁には異様に甘い、もしくは無視する姿勢でしょう。この辺は韓国も同じ病気を抱えています。

この病気のせいで、独裁国家の軍拡に対抗して、「仕方なく」こちらも軍事増強しましょうという至極当然の対応にさえ反対します。

現状認識と優先順位を決定する思考回路に著しい欠陥があるようです。

この辺がいわゆる”リベラル勢力”が日本でなかなか広がらない理由ではないかと思えます。どう考えても必要なことなのに、ポイントのズレた理由で反対されては、「この人たちは大丈夫か?」と不安になるのは当然。

政権を担える、健全なリベラル系の”責任”野党が生まれることを願うものとして、中国のヤバさを紹介しておきます。

つい最近のことで、中国が他国の人間に対して拷問をしている(そして今のやめてない)事例が『韓国民主化から北朝鮮民主化へ―ある韓国人革命家の告白』にあります。

 

眠らせない拷問

安全部の取り調べが始まって三日目になって、調査官はようやく私か誰なのかを正確に知ることとなった。それまで彼らは、私が韓国である程度知られた人物であるということも知らなかった。三日目の朝、調査官の一人が、インターネットからダウンロードした資料の束を別の調査官に見せながら、「素晴らしい大物を捕まえた」と嘆声を上げた。資料といってもたいしたものではなく、韓国のポータルサイトで私の名前を検索して出てきた、色々な新聞記事や私の寄稿文を掻き集めたもののように見えた。

私はずっと黙秘権を行使し続けた。彼らは「あなたの同僚たちが既にすべてを自白したから、確認だけでもしてくれ」と言ったが、私は一切拒否した。四月十日、彼らは明らかにこれまでと異なった態度を見せ始めた。「眠らせない拷問」が始まったのだ。調査官は銭湯にあるようなプラスチックの腰掛け椅子を持って入ってきた。「ずっと黙秘権を行使するのならば、ここに座っていなさい」と顎で椅子を指し示した。その日から六日間、その小さな椅子に座らなければならなかった。そこに長時間座っていると足は痺れ尻が痛む。痩せ型の私は尻に肉がないので痛みが酷かった。腰を伸ばして座ると尻の骨に体重がかかるので、自然と腰を丸めがちになる。そうすると、今度は腰がちぎれるように痛くなる。座ったままの姿勢で少しでも眠りに落ちると、監視要員たちが瞬間的に騒音を出して眠りを妨害した。

また別の二日間は、部屋の片隅に立っていろと命じられた。私は立つことには自信があった。水の一滴も与えないまま夜を徹しひたすら立たせるのだが、この拷問はプラスチックの腰掛け椅子に座るよりも楽だった。座ったままの姿勢をすさまじい苦痛に変える拷問があるということを初めて知った。

三〇年前にさかのぼる。『鋼鉄書信』という運動パンフレットを作り、「救国学生連盟(救学連)」という地下組織の核心人物として手配ビラまで街角に貼られた私は、一九八六年に釜山で逮捕された後、飛行機に乗せられソウルに移送された。調査を受けるために連行されたのは、恐ろしいともっぱらの評判だった安企部の南山地下室であった。そこで延々四七日間にわたって調査を受けた。そのうち二七日間は、休むことなく、文字通り死なない程度に殴られた。人が、こんなに殴られて果たして生きることができるかと思うくらい殴られた。全身がパンパンに腫れ、顔は原形が分からないほどで、洗面台に溜まった水に映った自分の姿に身の毛がよだつほど驚き、悲鳴をあげそうになったこともあった。パンのように腫れ上がった体をぎゅっと指で押すと、すっと肉がへこむのだが、元の状態に戻るまで何十分もかかった。眠らせない拷問はそこでも行われた。

しかし、韓国の安企部と比較しても、中国安全部の拷問ははるかに過酷だった。安企部では、それでも調査官が拷問組と懐柔組に分かれ、拷問をしながらも、懐柔組が一大変だったろう?」と言って一息つく余裕を与えてくれた。眠らせない拷問も四日を超えることはなかった。

人間が睡眠をまったく取らずに耐えられる物理的な限界を四日とし、死に至るぎりぎりの境界線で拷問をしていたようだ。ところが中国では、六日も続けて私を眠らせなかった。韓国の安企部の拷問方式が「死なない程度に」だとしたら、中国安全部のそれは「死んでも構わない」に近かった。

調査を進める間、安全部の要員たちは、「ずっと黙秘するのなら、北朝鮮に送ってやる」という脅迫を数十回繰り返した。この脅しは、私だけでなく他の同志たちに対しても何度も行われた。カン・シンサム同志には、わざわざ北朝鮮の「金剛山」と、いうタバコを取り出して見せ、「隣の部屋に待機している連中(北朝鮮の情報機関員を示唆)がくれた」と幼稚な脅迫をしたり、「お前を今すぐ北朝鮮に送ってしまっても、誰にもわからない」と恫喝したりもしたという。北朝鮮の情報機関要員を中国に呼び、彼らに調査させることにするという脅迫も頻繁に行った。

(中略)

四月十五日の夜

拷問が始まって六日目。調査官たちは取調室に入ってくるや、突然私の顔に覆面を被せた。瞬間、ぞっとする感覚が全身を緊張させた。何をしようというのか? 部屋に別の人間が入ってくる音が聞こえた。私の手首に何かを巻き、胸にも何かをつけて、慌しく動いているようだったが、彼らの会話から血圧と心電図検査をしようとしていることが分かった。

 「大丈夫か?」
 「大丈夫だ」
 「うん、やっても大丈夫そうだ」

測定装置の小さな機械音が聞こえ、彼らが呟く声も聞こえた。会話の内容から、後から入ってきた人たちは医師と看護師のようだった。彼らが出て行く音が聞こえた。そして覆面が外された。本当に何をするつもりなのか? 訝しんでいると、調査官の拳が私の顔に飛んできた。目の前で火花がはねた。調査官二人が交互に私の頬を平手打ちし、また拳で殴った。彼らは、私がそうした暴行に耐えられるのかどうか、医師を呼んで健康状態を確認したのである。殴る前に健康チェックまでするなんて、このような思慮深い人権国家がどこにあるだろうか。

彼らは何も言わずにただ殴り続けた。なぜこのような行為に出るのかを考えてみる暇もなかった。殴られる私ではなく、殴る彼らが疲れ始めた頃、今度は誰かが、電線がぐるぐる巻かれている物体の包装を解き始めた。あれは何だ? しばらくして肉を裂くような痛みが背中を走り、それは全身に稲妻のように広がった。初めてやられた時はあまりにもショックがひどく、それが何であるのかも分からなかった。電気拷問だった。電線が巻かれている電気棒を服の中に入れて前後左右に動かすのだ。

肉が焦げる匂いがした。髪がごわごわと逆立つほどの衝撃に全身が包まれた。肉体的な苦痛も苦痛だが、精神的に受けた傷も相当なものだった。自分の肉が焦げる匂いを嗅ぎながら、このまま死ぬのかとさえ思った。時間が経つにつれて恐怖心よりも、なにかよく分からない羞恥心が沸き起こって来た。かつて韓国の安企部の地下密室であらゆる拷問を受けたが、この電気拷問は初めてであった。夕方に始まった拷問は明け方まで続いた。

拷問は捜査機関が何か「絵」を描き、被疑者をそこに当てはめるために陳述を強要する過程で行われる。ところが、中国安全部はひたすら私を痛めつけただけだった。殴ること自体に意味を持たせているようだった。私が電気拷問を受けた四月十五日は金日成の生誕日で、北朝鮮では「太陽節」と呼ばれる最高の祝日である。鴨緑江の向こう側で祝砲が発射されていたとき、私は調査室で明け方まで悲鳴を上げ続けていたのであった。

韓国民主化から北朝鮮民主化へ―ある韓国人革命家の告白』P24-26

当たり前のように拷問を行う。

それも「死なない程度」ではなく、「死んでもかまわない」というレベルで拷問をします。

北朝鮮と同じです。

結局、経済発展した、自由も広まったと言っても一党独裁体制が変わらない限りこの手の人権蹂躙は繰り返されます。なにせそれが一党独裁を維持する手法なわけですから。

中朝国境で北朝鮮の民主化地下活動をしていた他国の人間である韓国人に、電気拷問をし、ボコボコに殴り、眠らせず、恥辱を与える。

平和を愛するリベラルたちはこういう現実をあることを見ようとしない。

他国の人権問題に関心を持ったとしても「米国が」中東を空爆していることを取り上げて、中東でテロが頻発するのは欧米諸国の植民地支配の負の遺産だ!とか、軍産複合体が金儲けのために戦争を誘発している!とか、その手の批判ばかりです。

凄まじい勢いで平気で拷問をする国が軍事拡張を続けて、さらには台湾に対して陰に陽に圧力をかけ、戦争してでも統一すると明言しているのに、この脅威に対する認識が甘い。

北朝鮮に対する認識も似たようなところがあります。

要は、中国や北朝鮮で罪もない人が政治犯収容所で拷問の末に殺されてもどうでもよく、自国の政権に対する反対活動の方が重要なわけです。

別に人間そんなもんだとは思います。他人のことより自分のことの方が大事ですから。他国の問題より身の回りの問題の方が大事でしょう。

ですが曲がりなりにも基本的人権という重要なことを看板にして活動するのであれば、政権の不正やダメなところを批判しつつも、中国や北朝鮮に対抗するためには自衛隊の合憲化や、防衛費UPは当然やるべき、という常識は身に着けるべきでしょう。

こういう二重基準というか矛盾が是正されない限り、永遠に無責任野党のままでしょう。

拷問大国の中国が軍拡して、同じく拷問大国の北朝鮮が核で威嚇してくる。

めっちゃ恐ろしい。なんとか対抗しよう。

この感覚が持てないようでは国政を担う資格なしです。