北朝鮮(というか全体主義体制)が国民を洗脳する手手口として、「単語を制限する」ことがあげられます。
自由、平等、人権、そもそもそのような単語を知らなければ、概念さえも知らないことになり、知らなければ不満を覚えることもありません。
北朝鮮はこれを今でもやっています。
そのために祖父金日成の容貌と行動をそのまま模倣する「アバター(分身)戦略」をとり、金日成時代に対する北朝鮮住民の郷愁を刺激し、父金正日の「遺訓」をもって統治を始めた。
その一方で世襲に対するいかなる批判や不満に対しても厳しく統制し、世襲を正当化・制度化した(北朝鮮の辞書から世襲という言葉を削除した)。
『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』 P25-26
世襲という単語を辞書から削除。
こういうところが全体主義の恐ろしいところであり、洗脳の真髄と言えます。
全体主義の恐ろしさを知る良書として、ジョージ・オーウェルの『一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)』があります。
古い言葉=オールドスピーク、新しい言葉=ニュースピークとして、本の中でニュースピークの事典編纂に携わる人と主人公のやり取りが、全体主義の洗脳手法をよくあらわしています。
そこではこう書かれています。
「辞典の進行状況はどんな具合なんだ?」ウィンストンはそのしゃべり声に負けまいと声を張り上げた。
「時間がかかるね」サイムが答える。 「形容詞を担当しているんだが、実に面白い」(中略)
「・・・おそらく君はわれわれの主たる職務が新語の発明だと思っているだろう。ところがどっこい、われわれはことばを破壊しているんだ――何十、何百という単語を、毎日のようにね。・・・」
(中略)
「君はニュースピークの真価を理解していないな、ウィンストン」彼の口調はほとんど悲しげだった。「君はニュースピークで書いていても、まだオールドスピークで考えているんだ。君が《タイムズ》に時折書いているものはいくつか読ませてもらっている。なかなかいいと思うよ。だがあれは翻訳なんだ。心の中ではオールドスピークをあくまで守りたいと思っている。その曖昧さや意味の無駄なニュアンスなんてものを含めてね。ことばの破壊が持っている美しさが分かっていない。ニュースピークが年ごとに語彙を減らしている世界で唯一の言語であることを知っているかい?」
(中略)
「分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。必要とされるであろう概念はそれぞれたった一語で表現される。その語の意味は厳密に定義されて、そこにまとわりついていた副次的な意味はすべてそぎ落とされた挙句、忘れられることになるだろう。すでに第十一版で、そうした局面からほど遠からぬところまで来ている。しかしこの作業は君やぼくが死んでからもずっと長く続くだろうな。年ごとに語数が減っていくから、意識の範囲は絶えず少しずつ縮まっていく。今だってもちろん、〈思考犯罪〉をおかす理由も口実もありはしない。それは単に自己鍛錬、〈現実コントロール〉の問題だからね。しかし最終的には、そうしたものも必要なくなるだろう。言語が完璧なものとなったときこそが〈革命〉の完成。ニュースピークは〈イングソック〉であり、〈イングソック〉がニュースピークなのだ」
そう付言する彼は霊感によって充足感を得たみたいだった。
「考えたことがあるかい、ウィンストン、どんなに遅くとも二〇五〇年までには、いまぼくたちの交わしているような会話を理解できる人間は一人として生きていなくなるってことを」
『一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)』 P79-83
戦慄を覚えるやりとりです。
北朝鮮が辞書から「世襲」を削ったのも同じでしょう。
言葉を知らなければ概念も理解できず、概念を理解していなければ不満も覚えることができません。
韓国から北へ飛ばす風船ビラで、自由だの平等だのと書いたビラをばらまいても北朝鮮の人民には大して響かないのは、そもそもそういう概念を理解できないし、生まれてから実感することもないからです。
理解できるのは脱北した人たちだけでしょう。
ソ連の人民にショックを与えたのは、自由でも民主主義でもなく、スーパーの棚に並んだあふれんばかりの食料品でした。
北も同じです。
言葉を奪えば概念を獲得することもできない。
ジョージ・オーウェルの『一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)』で洗脳の真髄が描かれています。
「目的は思考の範囲を狭めることにある」
「最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になる。なぜなら思考を表現することばがなくなるから」
「年ごとに語数が減っていくから、意識の範囲は絶えず少しずつ縮まっていく」
「言語が完璧なものとなったときこそが〈革命〉の完成」
これらに洗脳神髄が凝縮されていると言えます。
洗脳の第一歩は言語の強奪でしょう。
そういう教育を子供のころから受けているからこそ、北朝鮮の報道や政府の発言はいつも判で押したように同じものばかりになるのだと思います。
朝鮮学校の教育も同じです。北より徹底していないからといって問題なしとはなりません。
そもそも人間を高射砲でひき肉にするような狂人に子供の命を預けるなど狂っているとしか思えない。修学旅行先に、ISISの支配地域を指定しているようなものです。
ぐだぐだ言い訳を並べて朝鮮学校を擁護してしまう人たちも、洗脳教育の犠牲者と言えます。本当に民族教育が大事だと思うのであれば、在日同胞数万人を収容所で人間以下に貶めて虐殺した相手を愛する教育をやめるべきでしょう。
ちょろっと学校設立金を出したくらいで、万を越える同胞を虐殺されたことを忘却させるなどありえないでしょう。いい加減、目を覚ましてほしいと思います。
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