『北朝鮮に憑かれた人々』 朝鮮戦争は北が仕掛けたという事実から逃げた進歩的知識人

ソ連軍事顧問団が作った南侵計画

たしかに当時の李承晩大統領は「北進統一」を呼号していたし、韓国軍のなかにもはね上がり分子がいなかったとは言い切れないだろう。

しかし当時の韓国軍は『平和』特集号も触れているように、五百人の米軍事顧問団の統制下にあり、その意向を無視して軍事行動を取れるような状況ではなかった。

では『平和』のいうように米軍事顧問団の命令で北侵したのか。

弱体な韓国軍に比べて、開戦時の北朝鮮軍は、第一線兵力だけでも完全編制・装備の七個歩兵師団、一個戦車旅団、一個機関化旅団が存在し、T34型戦車二百四十二両、戦闘機・爆撃機計二百十一機を保有していた。

う~ん、圧倒的ですね。弾薬もろくになかった韓国軍とは大人と子供くらいの差があります。

北朝鮮の兵力を米・韓側か多少過小評価していた点はあったかもしれないが、侵攻側は防御側の三倍の兵力を必要とするという「攻者三倍の原則」からしても、こんな隔絶した兵力比で戦争をおっぱじめるような軍人は、誇大妄想にとらわれていた旧日本陸軍ですら皆無だったろう。

そのうえ、戦争が勃発した六月二十五日は日曜日で、韓国軍の将兵で外出・外泊していた者も少なくはなく、まさに不意を突かれた状態で、緒戦で有効な抵抗を組織するいとまもなく撃破されたのが実情であった。

当時の北朝鮮軍作戦局長で、五九年十二月粛清され、ソ連に追放された兪成哲は、『韓国日報』に連載された回顧録のなかでこう書いている(『金日成―その衝撃の実像』黄民基訳、講談社)。

「五〇年六月二十五日、日曜日、東の空か明るみはじめた四時。三十八度線全線に集結していた北朝鮮人民軍の重火器はいっせいに南側に向かって火を噴いた。

先制打撃作戦が始まったのである。北朝鮮がこの時期を作戦開始時点に決めたのは、もちろん、将兵の外出、外泊と警戒の緩みなどによって、南の国防軍の戦闘力が最低水準に落ちた時刻だったからである」

また、北朝鮮軍歩兵第十二師団の政治委員だった呂政(報復を恐れた仮名)も『東亜日報』に回顧録を連載しているが、そのなかで呂は、開戦当初つかまえた韓国軍捕虜を取り調べた際、その捕虜の所属する中隊長も小隊長も外出していたので、北朝鮮軍に奇襲されたときには、中隊には週番小隊長しか残っていなかったと陳述したと書いている。

兪成哲はこの回顧録で、北朝鮮の南侵計画はソ連軍事顧問団によって五〇年五月初旬までに「先制打撃作戦計画」と題するロシア語による草案がつくられ、金日成から北朝鮮軍総参謀長の難影に手渡され、作戦局長の兪成哲が作業責任者となって検討を加え朝鮮語に訳して再作成したこと、その最終作戦計画書は1ヵ月余後に完成し、金日成がサインして発動されたことなどを詳細に伝えている。

北朝鮮に憑かれた人々―政治家、文化人、メディアは何を語ったか』P100-101

用意周到に韓国を武力統一する準備を進めていたことがよく分かります。

さてこの侵略的な人々を「北朝鮮に憑かれた人々」はどう描写していたか?

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