『海峡のアリア』北送された兄の手紙

オペラ歌手、田月仙さんの著書『海峡のアリア』。北朝鮮公演で訪朝し、兄の手紙を受け取って奇跡的に母へと届けたことが書かれています。

その息子からの手紙の内容を読むと涙を禁じえません。

北に家族を奪われた人たちなら胸を締め付けられるような苦しさを覚えると思います。

 

「正義を教えてくれた毋に」(長兄・けんじ兄さんの手紙から)

愛する母ヘ

一九六〇年四月、私はあれほど恋しかった祖国に帰国して、愛する弟たちと再会しました。五月に咸鏡南道の高校に入学して、六三年四月に卒業後、五月に平壌の美術大学彫刻学部に入学しました。

六五年四月、弟ひろし(次男)は高校を最優等の成績で卒業しました。ひろしは大学に進学する能力は充分にありましたが、家の事情のため中学校を卒業したふみお(三男)と一緒に咸鏡南道咸興の化学工場に行くようになりました。咸興には叔父と叔母がいたので、彼らが弟たちを暖かく迎えてくれると思いました。しかし、現実は私の思いとは違いました。あのとき私は、弟たちを助けることができない自分を恨みました。当時、私は病と闘いながら勉強していましたので、私もまた厳しい状況でした。

六六年五月、私とひろしは黄海道に行って、弟いさお(四男)を捜してきました。しかし、日増しに悪化する祖国の現実の前で、私の精神と肉体は極度に疲れました。

六七年七月、私は病気で大学を中退しました。

六八年二月から彫刻作品「根拠地の春 ~パルチザンと少年~」を作り始めました。一方、私は平壌に弟たちを連れてこようとしましたが、それは不可能でした。それなら私か咸興に行くと提案しましたが、承認されませんでした。

六九年一月、結局私たちは咸鏡南道の徳城郡で一緒に暮らすようになりました。一緒に暮らせるようになった喜びで、力を合わせて生活しました。

六九年二月から、より積極的な創作活動を開始して、二次作品「白頭山」を作りました。

しかし、一九六九年七月九日、私とひろしが政治犯という名目で、われわれ四兄弟全員は突然一日のうちに逮捕されました。

私は芸術界で、ひろしは勤労大衆の中で、反政府組織に荷担しているということでした。そして私かスパイの任務をもらってきた密偵だということなので、あまりにも意外でした。

そのときになって私は、だいぶ前から私か監視されてきたことを知るようになりました。

七〇年六月、監獄から出て、われわれ四兄弟は移住統制区域(強制収容所)で流刑生活をしました。

七〇年十月六日 愛する弟ひろしがこの世を去りました。

七三年九月、私の生命が危なくなってくると、結核病院に秘密裏に入院させられました。

七五年十月、闘病生活を終えて再び移住統制区域に送られ、一九七八年一月、ようやく釈放されました。

過ぎ去っていった私の経路は、決して平坦な道ではありませんでした。しかし、異国での生活のつらさと、父母の対立によって孤独にがんじからめになっていた私を、祖国の同胞たちは、兄弟の心情で迎えてくれたし、北朝鮮の様々の所で愛され暮らしてきた幸せな半生でした。

でも私は、今もこの世を去ったひろしを思うと、悲しみを抑えることができません。ひろしは善良で正直な人間の典型でした。ひろしはいつも言っていました。うちのお母さんは世界に二人とない良いオモニだと。

ひろしは、最後に「お兄さん、そして弟たち、ありがとうございます」という言葉を残して逝きました。犠牲になったひろしの復讐を果たせなければ、私には兄の資格はないと思います。

それに私はこの目で見ました。飢えて死んだ数多い祖国の同胞、父母兄弟姉妹、若者たちを。

私の命が最も危なかった時期、私は結核病院で働いている人たちと、そこの患者たちの真心によって救命されました。病との戦いで苦楽を共にした患者たちは監獄で、また移住統制区域で見た安全警備隊たちと違いはない「人間」でした。しかし彼らは善良な人間だったし、不幸な人々でした。

南北に分断されたわが祖国は、あれほどまでに願って祈りましたが、今日の今まで祖国の統一は遺憾にも実現されていません。三十八度分断線の悲劇、これほどの苦痛は世界にありません。武装でがんじからめになっているわが国で、いつになったら統一がなされるのでしょうか。一つの民族であるわが祖国の南の方でも、いい人たちが多いだろうし、かわいそうな人たちも多いことでしょう。

町や村やいろんな場所で、鉄条網と絞首台で、皆、北斗七星を眺めています。

共通の志の一念を抱いて、自由と平和を望み、祖国の統一を願う善良なわが同胞兄弟たちを監視して、統制して、圧迫して、搾取して、投獄して、殺害して、虚偽と欺瞞で捏造と歪曲で、あらゆる手段と方法で民族の統一を防ぎ、代を継いで祖国を永久分裂する、この暗黒な時期に、祖国の輝く未来のために、団結と愛で契られた、燃える同胞愛の心情で、南の兄弟たちも胸に抱き、五千万同胞の思いを胸に抱き、共に歩む救国のこの道で、高潔な胸に一つの思いを込めて、襟を正して、心から待望する、愛する祖国、限りなく叫ぶ「三千里錦繍江山!(朝鮮半島をさす言葉)」。

祖国の念願を胸に抱いて、南北に輝くであろう祖国の男たち、この国の勇士たちは独裁政権を撃滅する偉大な聖戦のこの道で、勝利の日、共に叫ぶであろう「祖国統一万歳」を。

愛するオモニ、去る九月、ここ金野で一人の帰国者が平壌見学に行けるようになったと行って去りましたが、実際には彼は逮捕されていました。私は過去に移住統制区域で数多くの帰国者たちと一緒に過ごしました。そこにはオモニをよく知っている人もいました。

しかし、そこには帰国者たちより、祖国の人々は何十倍も多くいました。深い深い山奥に何万名もいました。そういうところが咸鏡南道に三ヵ所以上あります。全国的に政治犯を拘束する教化所(刑務所)と移住統制区域を足すと、数えきれないほどあります。今も不幸を強要されている同胞たちがどれくらい多いでしょうか。彼らのために戦うのが、祖国にいるわれわれの義務ではないでしょうか。

けれどもオモニ、この息子に対してあまり心配をしないで下さい。
私はどんな逆境の中でも、善と悪を見抜くことができる、また正義のためなら命を捧げることもできる、そういう意志を育ててくれた、愛する私のお母さんに、心から感謝しています。

長男 けんじ

 

追伸

私は、去る一九六九年七月から現在まで、そしてこれからも、彫刻をする考えはないし、力もありません。

過去の私の美術における技術と内容は、国際的な範囲から見れば、未熟なものであろう。

しかし、微力ではあるが、わが祖国と人民のためになるのであればという考えで、私はすべての情熱を捧げようと思いました。

しかし、美術家だけでなく、祖国のすべての作家、芸術人たちは、人民のために服務されるのではなく、ひたすら独裁政権に利用されています。

それに反対して私も、やはり祖国の数多くの人材たちと共に犠牲になりました。私は良心を守ったし、今も後悔していません。

自由と民主主義、そして祖国の平和的統一を願うわが民族の悲願。望みは南であれ北であれ、ただひたすら現政権を打破して、先進的な憲法を樹立してこそ実現されるものだと思います。

しかし、二重三重の鉄条網で縛られ、監視され迫害されるこの国で、一体いつ誰が先駆者になれるのでしょうか。

オモニ、私がこのように考えることをお許し下さい。  けんじ

海峡のアリア』 P111-117

まともな感性を持っていていたら涙します。

「善良なわが同胞兄弟たちを監視して、統制して、圧迫して、搾取して、投獄して、殺害して、虚偽と欺瞞で捏造と歪曲で、あらゆる手段と方法で民族の統一を防ぎ、代を継いで祖国を永久分裂する」

祖国愛を利用して、監視・統制・圧迫・搾取し、そして投獄して殺害する。虚偽と欺瞞と捏造と歪曲に満ちた教育で子供の未来を奪う。それが北朝鮮です。

歪んだ教育と狂った社会で常識を培った北朝鮮人民と韓国人が分かり合えるはずもなく、交流が増えれば増えるほど異質感を抱いて統一が遠ざかり、分断が固定化する。

これはすべて北朝鮮労働党とその上に君臨する独裁者の責任です。

北送された在日朝鮮人の人権問題には目をつぶり、日本に往来する自由を要求することもない。

日本の親北左派がやってることと言えば、日本から北朝鮮への一方通行の往来の自由を要求するのみ。

収容所で散っていった北送同胞たちのために慰霊祭をやることもない。

本来脱北者支援も総連が中心になってやっていないとおかしいのに、やってるのは日本人と民団。

朝鮮学校は慰安婦ハルモニを招いて証言集会を開いても、北送同胞の脱北者の証言には耳を閉じる。

反差別運動に朝鮮学校周辺のコミュニティが大々的に協力していますが、北朝鮮の人権問題にはえらく無関心です。

北の同胞を助けることより、大事なのは日本から差別がなくなること。

ある意味、立派な日本人ですよね。日本が良くなるために一生懸命頑張るわけですから。

それにしても母に綴ったこの手紙は感動します。遺書として渡す覚悟で書いたのでしょう。独裁体制で奴隷支配される苦しさがにじみ出ています。

この強固な独裁体制に外から風穴を開ける。

それが隣人としての務めだろうと思います。