在日三世でもある浅川晃広先生の著書、『「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』で、井筒和幸監督の「パッチギ!」について、無視できない指摘をしています。
目次だけ見ても、ありえなさがうかがえます。
第四章 無知は罪なり
北朝鮮の本質を隠蔽する井筒和幸の「パッチギ!」テーマソングは発売中止曲「イムジン河」 90
在日朝鮮人を「異質化集団」とする虚構 93
「在日」の四割は朝鮮語を喋れない 95
「異質化」のための作業 97
「北朝鮮」の教育が行われる朝鮮学校 99
北朝鮮への〝帰国〟を能天気に描く 102
事実を隠蔽し、観客をミスリード 104
朝鮮総連の協力で成立した映画 106
井筒は北朝鮮の〝共犯者〟か 109
「無知は罪なり」を自ら反省せよ 112
特に無視できないのは、「朝鮮総連の協力で成立した映画」という指摘と、「井筒は北朝鮮の〝共犯者〟か」という批判でしょう。
この映画は、「現役の朝高(朝鮮高校)生」すなわち、朝鮮総連の協力なしには映画は成立しなかったということと、李鳳宇(リ・ボンウ)エグゼクティブプロデューサーの存在が非常に大きかったという井筒監督の発言が取り上げられています。
井筒監督は、「李さんに朝高時代の体験談をぜんぶ〝棚卸し〟してもらい、それを脚本に入れたということです。つまり、「パッチギ!」は、ある特定の在日朝鮮人の個人的体験や、その意志、意図、思考様式が色濃く反映されているわけです。
朝鮮学校は、毎年平壌に子供を強制連行し、常軌を逸したソルマジ公演をやらせています。
この公演を、1987年以来、毎年やらせています。
90年代、大量の餓死者が出ている横で、この公演を子供にやらせています。これは深刻な子供の人権を踏みにじる行為です。子供に罪はありません。これをやらせている大人に問題があります。
果たして、こういう行事をいまだにやりつづけるような、特定の意志・意図・思想様式をもった人たちの意見を取り入れた映画が、事実を伝える映画として信頼に足るでしょうか?
最悪なのは、帰国事業に対する認識です。
・・・当時の関係者が北朝鮮の問題点を現在の視点から噛みしめ、自己の行為を反省し、贖罪するなどというものではとうていない。
依然として、帰国運動等の北朝鮮による恐るべき犯罪行為と、自らの暴力行為を半ば肯定し、そして自己満足・正当化するという大きな製作意図があるのだろう。
さらに指摘できるのが、監督の井筒も間違いなく〝共犯者〟だということだ。井筒は、日本共産党機関紙『赤旗』のインタビューで「この映画は、いまの日本のあり方にたいする僕のプロテスト(抗議)なんです」(『しんぶん赤旗』日曜版、二〇〇五年二月六日号)と述べている。
その「プロテスト」が自己目的化しているためか、北朝鮮の本質についてはきわめて擁護的で、「帰国事業」の本質を左のように隠蔽している。
朝鮮のほうが太ってましたね。韓国のほうが痩せてた……太ろうとしている国には帰っていく人もいる。そこで在日にとっての人生の大きな選択というものがあったんでしょうね……京都にいるよりはいいのかなと思って帰国を決めたわけやからね。京都にいるほうがいいのになどと思うのは間違い。(「井筒和幸監督、自作を語る」『シネ・フロント』二〇〇五年一月号、九頁)
これがいかに虚偽であるかは、すでに指摘したとおりである。
以上、「パッチギ!」は、在日朝鮮人の意図的な「異質化」と、それと北朝鮮との関係の隠蔽が、意図的に行われ、「異質化」の正当性を、予備知識のない観客を大いにミスリードしながら訴える映画だといっていいだろう。
「河を乗り越える」ことに意義を見出しているが、そもそもの「河」の設定そのものが捏造であるのだ。
その意図は、「帰国事業」や「拉致」を始め数え切れない人々の命を奪い、塗炭の苦しみを与えている北朝鮮体制の本質の隠蔽であり、そこに関与した人々の免責であり、また、井筒のような「社会派」を自称する人間が「日本人に虐げられてきた在日」を描き出す映画を作ることで事実上の北寄りの発言権を獲得する目的もあるのかもしれない。
『「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』 P110-111
素晴らしい指摘だと思います。
「数え切れない人々の命を奪い、塗炭の苦しみを与えている北朝鮮体制の隠蔽」
まさにこれが戦後何十年にも渡って行われてきた、北朝鮮と結託した「社会派」を自称する人々の原罪だと言えます。
いくら言葉を尽くしても伝わらないようなので下記の写真を目に焼き付けて下さい。
これが北朝鮮の政治犯収容所の現実です。
帰国事業で帰った在日同胞が、こういう目にあわされ、ありえない方法で虐殺されたのが帰国事業の最大の問題点のはずです。
それを、「韓国の方が痩せてて朝鮮のほうが太ってた」、「太ろうとしている国には帰っていく人もいる」、「そこで在日にとっての人生の大きな選択というものがあったんでしょう」、「京都にいるよりはいいのかなと思って帰国を決めた」、「京都にいるほうがいいのになどと思うのは間違い」、こう言える神経が信じられません。
京都は、脱北者の姜哲煥(カン・チョルファン)の祖父母が朝鮮総連京都支部の幹部として活動していた場所です。
この祖母は、収容所で子供や孫に謝り続ける人生でした。その相手に、「京都にいるほうがいいのになどと思うのは間違い」、と言うつもりでしょうか?
他でもない朝鮮学校の建設に尽力した在日一世たちと、朝鮮学校の先輩たちが北送され、収容所で数万人が虐殺されたのが、帰国事業というものの本質です。
これら北送在日の子孫である脱北者の姜哲煥著書、『北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所 (文春文庫)』を読んで、いかにありえない発言をしているのか、井筒監督は猛省すべきでしょう。(関連投稿:脱北者の証言)
浅川先生の井筒監督への苦言が大変秀逸です。
「無知は罪なり」を自ら反省せよ
この手法は、実に姜尚中と酷似している(第一章参照)。このことを示すように、二〇〇五年一月十三日の『朝日新聞』(夕刊)に掲載された映画の全面広告では、姜が写真入りで登場し、以下のように述べている。
北と南の間だけではなく、日本と南北朝鮮、日本と在日の間にも、それらを分断する見えない川は存在します。その川を渡れるのは、きっとこの映画で描かれているような、柔軟な感性と熱いエネルギーをもった若い世代でしょう……ぜひたくさんの若い人たちに観てもらいたいですね。
まさに、そうした「若い人たち」を、捏造された「異質化」と北朝鮮の本質隠蔽によって執拗にミスリードしようとしているのが、姜であり、この映画「パッチギ!」であるのだ。
井筒は李から薦められた『少年Mのイムジン河』を元にこの映画を製作したが、筆者としては、『楽園の夢破れて』と『凍土の共和国』の一読を強く薦めたい。
というのも、井筒は、二〇〇五年二月九日の『朝日新聞』(夕刊)において、次のように語っているからだ。
最近の日本は、あしきナショナリズムで自分の国のことばかり語り過ぎる。日本が周りの国にどんなひどいことをしてきたか、知らなきや本当の友達にはなれない。無知は罪ですよ。若い人には、この映画を見て、泣いて笑って、そして知ってほしい。
しかし、「無知は罪」とは、そのまま自分に返ってくるフレーズだろう。
それは本章で指摘したように、在日朝鮮人の「異質化」や帰国事業に関して〝史実〟に反した描写を行っている一方で、たとえば鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書、二〇〇四年)という研究が存在するにもかかわらず、神話化された強制連行の誤った〝史実〟はこれまで述べてきたように強調しているからだ。これでは「朝鮮総連翼賛」の宣伝娯楽映画といっても過言ではなかろう。
実に「自分の国のことばかり語り過ぎる」北朝鮮こそが、核兵器保有宣言や日本人拉致に象徴されるように、「周りの国にどんなひどいことをして」いるのかを認識しないかぎり「本当の友達」になるスタートラインに立つことすらできないのではないか。
にもかかわらず、日本人の若者に「無知は罪」などと呼びかけることは、とうてい容認できない。
ぜひとも、井筒には以上の点を猛省したうえで、「帰国事業」の凄惨さと欺瞞性を題材とした次回作に、一刻も早く取り組まれることを期待したい。
『「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』 P112
こういう欺瞞に満ちた「在日の代弁者」によって、一番被害を受けているのが在日コリアンです。在日三世の浅川先生からしたら本当に許しがたい人たちでしょう。
井筒監督ですが、在日総合誌『抗路』で、「負の歴史に向き合うどころか、歴史を知ろうともしない」(P13)、と豪語しておられます。
この人たちにとっては、右翼の存在はさぞかしありがたいことでしょう。自分の欺瞞を直視せずにすみますから。
こういう人たちの特徴は、70年前の日帝強占期のことには大変熱心なのに、現在進行形の金一族による朝鮮人植民地支配には恐ろしく擁護的なところでしょう。
なぜこうなるのか?これは虚偽の人々、邪悪な人々の特徴と言えます。ある意味、精神疾患なのかもしれません。
スケープコーティング、つまり罪の転嫁は、精神医学者が「投影」と呼んでいるメカニズムによって生じるものである。
邪悪な人間は、自分には欠点がないと深く信じこんでいるために、世の中の人と衝突したときには、きまって、世の中の人たちが間違っているためそうした衝突が起こるのだと考える。
自分の悪を否定しなければならないのであるから、他人を悪と見なさざるをえないのである。自分の悪を世の中に投影するのである。
『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』 単行本版 P98
自己投影というやつですね。
邪悪な人間の特徴は、「自分は正しい。周りが間違っている」、その信念でもって周りの悪を必死でさがし、それを攻撃することに全労力を注ぎ込み、自分の悪を無視する点でしょう。
リベラルに多い特徴だと言えます。
まさに現在の北朝鮮の悪逆非道を、日本の植民地支配や、韓国の軍事独裁体制へ投影し、自分自身の悪を否定することを断固拒否するわけです。
だからこそ、帰国事業という同胞を北の暴君に生贄として売り払った行為を朝鮮総連は必死で抹殺しようとするわけです。これも邪悪な人々の特徴です。
邪悪な人間は、自分自身の欠陥を直視するかわりに他人を攻撃する。
精神的に成長するためには、自分自身の成長の必要性を認識することが必要である。
この認識をなしえないときには、自分自身の不完全性の証拠となるものを抹殺する以外に道はない。
『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』 単行本版 P98
「自己の不完全性の証拠となるものを抹殺する」
それこそが、北朝鮮の収容所で朝鮮人虐殺していることや、北送在日朝鮮人がどういう殺され方をしたか、徹底して隠蔽・矮小化しようとする情熱の源泉です。
2006年5月26日出版のこの『「在日」論の嘘』で、様々な捏造神話が嘘だと指摘されているのですが、一向にやめようとしないのが朝鮮学校周辺に寄生する左翼知識人の特徴です。
この執拗な歴史洗脳活動のために、日本の韓国学校でも使われている『在日コリアンの歴史 (歴史教科書)』が、北朝鮮に乗っ取られるというありえない事態になっています。韓国の検定版歴史教科書のありえない状況が、そのまま在日コリアンの歴史にも当てはまります。
総監修を、朴一教授ではなく、鄭大均教授や浅川晃広先生に依頼して見直した方が良いでしょう。何の罪もない子供が、朝鮮総連の歴史洗脳プロセスの犠牲になってしまいます。
こういう良書は、文庫版にして再販してもらいたいですね。おかげ様でAmazonから中古価格の本が消えて、プレミア価格がついてしまいましたね。朝鮮総連が買い占めてるのかもしれません。
ヘイトスピーチに利用される!という人たちがいるかもしませんが、頭のおかしい右翼も取り締まりつつ、捏造神話でこれから生まれてくる若者を騙すような言論人もきっちり批判して発言と行動を改めてもらうべきでしょう。
まずは排外主義者と差別をなくしてから、その後に朝鮮学校問題に取り組もうと思っている人は良く考えた方がいいです。
「排外主義者と差別」が無くならない限り、今の朝鮮学校の教育内容を維持できるのであれば、当然北朝鮮と朝鮮総連は、裏で右翼に金なり情報なりを流して排外デモと差別言説を言わせるでしょう。馬鹿じゃない限り、当然やる当たり前の工作です。だいたい在特会のお抱え在日映画監督が、留学同出身なわけです。そのことに疑問を持つべきでしょう。
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