慰安婦問題だけでなく、強制徴用工、映画にもなった軍艦島、関東大震災の朝鮮人虐殺。
昨今では日韓分断を目指した従北コンテンツが目白押しです。
疲れるわ~。
そんな暇あるなら現在進行形で朝鮮人の自由をはく奪し、収容所の恐怖支配に苦しむ人たちのために何かしたらどうなの?と言いたくなる。
関東大震災の朝鮮人虐殺についてはこの本を読むべきでしょう。
そんでもって神格化された「関東大震災 朝鮮人虐殺」を断固として守るために、反論サイトもちゃんと用意されています。
このサイトが微妙なのは、一番重要な点で反論していない点。
つまり、人数です。
もし、関東大震災大虐殺論者が正しいとすれば、震災で死んだ朝鮮人は存在せず、みんな日本人に殺されたことになる。
本のあとがきを紹介を読むだけでも、「関東大震災 朝鮮人虐殺」がいかにトンデモ論かが分かります。
「あとがき」にかえて
より精緻な実証ヘ―「日韓併合」百年に向けて
それにしても、なぜ近現代史を専門とする知識人たちは、「朝鮮人虐殺」数字を根拠もなく膨大なものにし、国家テロに立ち向かう自警団や治安部隊を「ウルトラナショナリズムの異様な突出」(大江健三郎、第二章)と短絡的に捉えてきたのだろうか。
もちろん大江健三郎、吉野作造、松本清張、吉村昭、佐野眞一、松尾尊兄、今井清一、松尾章一といった作家、歴史学者だけにとどまらないことは自明である。一方でその文業には世評高いものがあり、社会への影響力は計り知れない。それだけに、嘘の数字を羅列した「朝鮮人虐殺」人数の責任は簡単には拭いきれまい。結果、疑問の声もあがらず、八十六年が過ぎて今日に至っているのだ。
ロンドンのナショナル・アーカイブスから発見された謀略冊子では二万三千人、「独立新聞」は六千四百人、吉野作造は二千六百人が「虐殺された」といいつのる。
そのどれをとろうと、それでは震災で死んだ朝鮮人はいないことになるではないか。この単純な疑問を解くためにいま一度数字を点検したい。
●震災時、東京には九千人(労働者六千、学生三千)の朝鮮人がいた。
●横浜ほか東京近県には三千人おり、合計一万二千人いたといわれる。夏休みだったため帰郷していた学生がこのうち二千二百人(東京千八百、その他で四百)と推定される。差し引き、九千八百人が東京、横浜附近にいたことは多くの関係資料が認めるところだ。
●軍と警察が収容した人数は、習志野の三千百六十九人を初め、総計六千七百九十七人に達する。この本籍、氏名を「朝鮮日報」が発表したら歓喜の声が上がった。
内務省が認める過剰防衛による朝鮮人の死者は二百三十三人である。●九千八百人からこれらを引けば、残るのは二千七百七十人。あとは在日した朝鮮人の死者、行方不明者をどのくらいにみるかが重要問題となる。
東京の朝鮮人七千人余(九千人から帰郷学生等を引いた数)のうち千八百人くらいが、横浜その他では百人余が地震の犠牲になったとみるのが相当ではないだろうか。
朝鮮人だけが地震を免れるとは考えられない。むしろその犠牲比率は高かったと想定すべきである。
被害の大きかった本所区、深川区における震災時の対人口死亡率十五パーセントに対して、それを上回る二十パーセントを乗じて算出した数字である。(六章参照)
ちなみに区部における在留朝鮮人の人口(大正十年~十二年)に関しては、本所、深川両区以外に神田区、牛込区、浅草区などが多かったと記録されている。(『東京府統計書』)
試算の結果、二千七百七十人からこの千九百人余を引いて、残る八百人前後が殺害の対象となったものと推定される。(東京近県を含む)
その殺害された者はいわずもがな「義烈団」一派と、それに付和雷同したテロリストである。テロリストを「虐殺された」とはいわないのが戒厳令下での国際常識だ。
それでも、「虐殺」があったと主張するならば、震災による朝鮮人死者はゼロだと証明するか、在日人数を大幅に増やす根拠を示さなければ数字の整合性はない。
一方で、例え二百三十三人であっても誤認、過剰防衛、巻き添えなどで朝鮮半島から来た人々が殺害されたことは事実として認めなければならない。
幾人であろうと誤認殺害は虐殺だが、一連の謀略数字が実証され、より正確に記録が検証されることが大前提となるべきである。
結局、いずれの試みもなされないまま、総計すれば震災による朝鮮人死者が皆無になるようなトリック数字がまかり通ってきた。それゆえ、「朝鮮人虐殺」説の裹には過剰な謀略宣伝があった、との結論に到達せざるを得ない。
間もなく日韓併合の日から百年になる。これでは余震百年、いまだに日韓の地震は治まっていないというべきだろう。
本書を執筆するにあたっては、みすず書房刊、『現代史資料6』を特に参考にさせて頂き、多くの示唆を得た。明記して謝意を表したい。
今後、この問題についてより精緻な実証が多くの史家によってなされ、新たな日韓関係が構築されることを願いつつ筆を擱(お)きたい。
なお本書は雑誌「SAPIO」に一年余にわり連載された原稿を加筆・訂正したものである。
連載中は飯田昌宏編集長ならびに、担当の澤田佳氏に多大なご尽力をいただいた。また、単行本刊行に際しては、産経新聞出版社長・皆川豪志氏のお力添えと、井田康雄氏のお手をわずらわせたことに対し、心より感謝申し上げたい。
平成二十一年十月末
工藤美代子
『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』 P303-306
これに対する反論はだいたい決まっています。
極右の妄言。
歴史修正主義者。
差別主義者。
反論しやすいところだけ切り取って反論。
個人攻撃と人格否定。
そんなところでしょうか?
工藤美代子氏はちゃんと「例え二百三十三人であっても誤認、過剰防衛、巻き添えなどで朝鮮半島から来た人々が殺害されたことは事実として認めなければならない。」とも言っています。
そして「総計すれば震災による朝鮮人死者が皆無になるようなトリック数字がまかり通ってきた。それゆえ、「朝鮮人虐殺」説の裹には過剰な謀略宣伝があった、との結論に到達せざるを得ない」ということであり、これを放置してはならないということです。
なぜならいまだにこれを利用し、憎悪を扇動する構図が続いているからです。
そしてこういう謀略宣伝にず~っと加担してきたのが、朝鮮学校周辺の寄生する有識者でしょう。
帰国事業で北送された在日朝鮮人が大虐殺されたことを、この件と同じだけの情熱で取り組んではどうか?
なんなんだこの二重基準は?
震災の混乱時に起きた流言飛語による不幸な事件には狂ったように頑張るのに、計画的に無実の人が次々収容所送りとなり、最悪な殺され方をしたことにはダンマリ。
これでどうやって朝鮮人としての誇りを持った大人になれるのか教えてほしい。
それにしても忌々しい。
朝鮮新報を見ていると、全国津々浦々の朝鮮学校で関東大震災朝鮮人虐殺ネタを子供の脳内に注入していますね。
本当に最悪なことをしてくれます。
この本もAmazonで中古なのにほぼ定価で売られていますね。
2009年12月8日出版の本なのに、まったく価格が落ちてない。
北と総連にとって都合の悪い本はこういう不思議な現象が起こりがちです。
マメですよね、こういうところは本当に。
強制連行神話とかもそうですが、強く信じてたことに裏切られるのって辛いんですよ。
分かりませんかね?
色んなことが、嘘・ウソ・USO!
大人になってショックを受けて、在日社会に絶望する。
当然子供は朝鮮学校に通わせない。そりゃ学校も潰れる。
そういう苦しみをなぜ拡大再生産するのか。本当にやめてほしい。
北朝鮮国民と同じ苦しみを味あわせる教育をやっているのが朝鮮学校です。
似たような構図は脱北者にもあります。
ハナワンで特に重要だったのは歴史の授業だろう。脱北者のほとんどが、その時はじめて北朝鮮政府のイデオロギーと切り離されたかたちで歴史を学ぶのだ。世界を見る窓が開かれる時間である。脱北者の大半は、偉大なる指導者、親愛なる指導者の輝かしい伝説以外は、歴史について無知に等しい。
一九五〇年六月二五日に朝鮮戦争が勃発したきっかけが南ではなく、北からの一方的な攻撃だったということも、ほとんどの者はこの時聞かされることになる。大声でそれを頭から否定する者も多い。それは、私たちを支える信条の中でも特に重要なもののはずだった。
北朝鮮人の大部分を支えている信条だろう。にもかかわらず、それが真っ赤な嘘だというのである。受け入れがたいのも当然だ。
北朝鮮という国が実はもう芯まで腐ってしまっていると知っている者でさえ、戦争に関する真実はなかなか受け入れられない。
戦争について教わったことが嘘であれば、他のすべても必然的に嘘だということになるからだ。毎年六月二五日に流した涙も、一〇年に及ぶ兵役も、取り組まされてきた生産競争も、すべては無意味ということになってしまう。自分自身の存在も嘘だったということだ。人生のすべてを否定されているようなものである。
『7つの名前を持つ少女』 P332
「人生のすべてを否定されているようなもの」
子供にこういう時限爆弾を仕込むような歴史教育はやめるべきでしょう。
ここまでくると自虐を通り越してマゾなのかと疑ってしまう。
虐殺、虐殺、ひたすら朝鮮人虐殺。
連行、連行、ひたすら強制連行。
抹殺、抹殺、ひたすら民族抹殺。
韓国・朝鮮を馬鹿にしているとしか思えない。
漢文で脈々と歴史書が書かれてきたのは、中国・韓国・日本くらいでしょう。
他のアジア諸国に歴史はありません。
歴史は文字で書かれていなくてはいけない。
そしてそれがあるのは中国・韓国・日本の3カ国。
本来誇るべきものであるはずなのに、被害者意識全開でとにかく自分たちはかわいそうなんだと子孫に教える。
先祖に対する冒とくでしょう。
当時を生きた人たちに失礼です。
こういうことはいい加減、やめるべきだと思います。