『北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所』 家族を憎み合わせ、絶望死させ、道に埋めて平土にし、祈ることも許されない

 この本は、強制収容所から脱出した方の手記です。ここでは、強制収容所内での子供達がどれだけ残酷な目にあっているかが書かれています。この強制収容所の実態を知らずに、北朝鮮は語れないでしょう。

北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所 (文春文庫)』 P55-58


 二ヵ月間が過ぎ、祖母の髪はまっ白になってしまった。祖母は、息子と孫たちの艱難辛苦を目の前にして、自分の舌をかみ切りたい思いをがまんするのに精一杯だった。それは息子と孫たちに北朝鮮行きを強いたのは、他ならぬ自分自身だったからである。それで祖母は、毎日の御膳を整えるのに大変な苦労をした。「トウ米」だけでは栄養失調になるのは目に見えているので、毎日山の中を歩きまわり、食べられそうな草や木の実、木の根を集めてきてはおかずを作った。
 祖母はどんな苦労をしても、ひと言も不平めいた言葉は囗に出さなかった。
 ある日、私は祖母に尋ねた。
 「おばあさん、僕に本当のことを教えてください。おじいさんはどんな悪いことをしたのですか。お願いだから隠さないで正直に言ってください」
 祖母はその日もいつものように同じことを答えた。
 「おまえのおじいさんは、決して悪い人ではないのよ」
 このひと言だけを言って、涙を流して泣くばかりであった。
私たちのように「罪を犯した」当人がいない家族は、いない者をいくらうらめしく思っても、文句を言うこともできないので黙って生活していたが、「罪を犯した」本人と一緒に住んでいる家族は、そうはいかなかった。収容所生活の苦しざのあまり、その不平不満はみな本人にぶちまけられた、
 こんな家庭の多い原地民(北朝鮮生まれの収容者)の集落から、
 「誰それの家では息子が父親を殴ったそうだよ」
 「誰それのお母さんは夫を飢え死にさせたそうだ」
 といった噂がたびたび聞こえてきた。本人が死んでしまうと、残された家族は許されて社会に出ることができるからだったのだ。したがって喧嘩するときには、息子は父に「早く死んでくれ」と、妻は夫に「お願いだから早く死んで」と、誰はばからず大声で叫ぶとのことだった。

 学校に通うようになってから二ヵ月後のことだ。隣の襄正澈が二日間学校を欠席した。二日前に私たちが薪取り事業に動員されているとき、正澈は担任教員から急に呼ばれて行ったのだが、そのまま姿を見せないのであった。
 二日後、正澈が学校に出て来た。私は喜んで駆け寄ったところ、正澈はそれまでの正澈ではなかった。一切ものを言わなくなり、瞳孔は焦点が合わずうつろで、時々涙を流していた。そして何事かをぶつぶつつぶやいていた。私は心配でならず、何をつぶやいているのか、彼の近くで耳をそば立てていると、
 「お父さん、お父さん」
 と聞こえた。
 ある日、正澈と二人だけのときだった。
 「正澈、何かあったんだな。僕にだけは話してくれよ。どうしたの」
 「僕の父さんが死んだんだ」
 「どうして? 病気だったのか」
 「いや、自殺したんだ」
 「えっ、気の毒に。あれは君のお父さんだったのか」
 私は何日か前に叔父から聞かされていたのだった。日本から北送された同胞の一人が、森の中で首を吊って自殺したことを。だがその人が、正澈のお父さんだったとは夢にも知らなかった。正澈のお父さんの襄英三さんは、自分のために家族が苦労するのをこれ以上見ておられないと遺言状に書き、森に入って自殺したのだった。

正澈、このつまらない父は先にいく。おまえたち幼い者を残してよく目が瞑れる(成仏する)かどうかわからない。おまえたちはこの父を無責任な父だとうらむかもしれないが、この父はどうすることもできないのだ。何の罪も犯したことのない子供の苦労を見る日々が、父としてどんなにか辛いことか、おまえたちにはわからない。おまえたちが、この父のために苦労するのを、これ以上見るにしのびない。生きておまえたちの助けになることができない以上、この父が生きているのは意味のないことだ。どうかお母さんを大事にしてあげなさい。
愚かな父より

 正澈のお父さんが死を決心したのは明らかに、彼自身が日本から家族を連れて北朝鮮に来たことを後悔したからだった。けれども彼は、体制に対する批判はひと言も遺言状に書かなかった。それは残された家族に対する配慮だったと私の父は言っていた。
正澈は袖で涙を拭きながら 「今に見ていろ」 とうめくように言った。正澈の言うとおり、ここでは自殺した人はもちろんのこと、その家族もみな民族反逆者として烙印を押され、収容期間も五年延期された。それでも自殺件数はへらなかった。普通、自殺するときには首を吊るのだが、苛性ソーダを飲む大も多かった。

 自殺した人の死体は家族にも見せず、その場で車に乗せてどこかへ運び出し、道ばたを労働者に掘らせて埋めるのであった。そのあとは平らにして元の道と同じくしてしまう。誰にも墓参りをさせないためである。ここの人たちはこれを「平土(ピョンド)にする」と言っていた。

 しかし労働者は収容所内の人たちだったので、その中の誰かがひそかに家族の人に教えるのが通例となっているのだ。
 もっとも、もし埋めた場所を家族に知らせたことが保衛員に発覚した場合は、その労働者は生き残れなくなる。だから知らされた家族は、知らないふりをして、その道を通らなければならなかった。心の中で泣きながら故人の冥福を祈りつつ道を歩むのであった。



 連座制で容赦のない暴力と飢餓の元、死ぬまで強制労働に従事させられ、その怒りの矛先を家族に向けさせる。本当に、ありえないほどの残酷なことを国家が主導していやっています。絶望し、自殺するも、北朝鮮当局への怨嗟の声を遺書に書くことさえできません。遺体はただ道端に埋められ、墓もなく、供養もなく、「平土」(ピョンド)にされます。家族は、黙ってその上を歩く。自分の肉親の遺体を踏みつけにさせられる。これほど残酷なことがあるでしょうか?

 朝鮮学校で、なぜこの人達のために祈ってくれないのでしょうか? 他でもない帰還事業9万3千人の在日同胞が同じ目にあっているのです。この人達のために、祈らず、何が在日同胞のウリハッキョでしょうか?日本でこの人達のための慰霊祭を行い、いつか遺骨を掘り起こして供養します、待っていてください、そう祈ってこそ朝鮮民族の民族教育ではないでしょうか?朝鮮学校にはそのことに気づいてほしいと思います。

※トップの画像は『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』より、近いイメージの画像を引用。

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