『北朝鮮 泣いている女たち』 刑務所にあふれかえる在日同胞

北へ渡った在日同胞がその後どのような運命をたどったのか、『北朝鮮 泣いている女たち―价川女子刑務所の2000日 (ワニ文庫)』 から引用します。

この事実を広く共有せずして日朝国交正常化など不可能でしょう。先祖の英霊がどうこういう自称愛国者が、こういった事実をまったく重視しない点も実に腹立たしい限りです。

ちなみに在日差別をネット上で作りだしているのも基本従北人士でしょうね。そしてそれに踊らされるバカな日本人がわんさかいる、というのがネット世論の現状です。

そもそもヘイトスピーチが起きることで誰が一番得をしているかを考えれば誰でも分かる構図です。排外主義の右翼がいるからこそ、朝鮮学校の教育内容が維持できているわけです。北朝鮮や朝鮮総連が馬鹿じゃなければ、裏から金回して朝鮮学校を襲撃させるでしょう。

韓国でも同じ現象が起きています。いつの間にか、北朝鮮が韓国にいかにありえないことをしてきのかが歴史教育から次々と消え去っています。いかに北朝鮮が日韓の教育とメディアに浸透工作をしかけて、本来北朝鮮に向けるべきパワーを、韓国では反日に、日本では嫌韓に浪費させられているかが、よく分かるというものです。

ではこの本から、帰国した在日同胞がどのような目にあわされたか引用します。

刑務所にあふれかえる在日同胞

 价川(ケチョン)女子刑務所には、帰国した在日同胞も数多くが収監されていた。
 帰国者の中でも、日本の親戚が少しずつでも送金してくれる家は、生活状態がそれなりによかったが、そうでない人々は帰国したとき持ってきた品物を売り、食料品(コメ、肉、油、卵)と換えて食いつなぐしかない。しかし、手持ちの品も数年後には尽き果てて、北朝鮮の人々と変わらぬ貧乏生活を送るようになる。

 そのため帰国同胞の女性は生活難を克服するために、手持ちの日本円を元手にちょっとした商売に手を出す。日本から送金のある帰国同胞も同じである。彼女たちは、日本の親類から送られた円で闇の物資を買い、売りさばく。こうして闇取引法に引っかかり、刑務所に入れられた帰国同胞が、私かいた当時でも約二百五十名にも上っていた。

 とくに一九八八年、金正日が資本主義に染まるからと闇市場を徹底的に取り締まるよう通達を出した当時は、在日同胞が刑務所にあふれた。闇商売を行なっていたのは大半が在日同胞で、多いときには毎日、四十~五十人もが刑務所に送られてきたほどだ。そして、ピーク時にはその数は六百名近くにも達した。何と价川刑務所の女囚約二千人のうち、三分の一近くが在日同胞で占められていたのだ。

 新義州から来た李正順は、夫とともに帰国した。保衛部に突然、夫を連れて行かれ、あちこち消息を尋ねて回ると、どうやら夫は反逆罪で政治犯収容所に幽閉されたらしい。
 「お前の夫は党に反対する策動をした。夫を待っていても無駄だ」と言われたそうだ。資本主義社会の日本にいただけで目をつけられるのは、帰国同胞も同じである。
 清津から来た裵文順や金策から来た車英玉は、日本から夫について北朝鮮に帰国した後、夫が病死し、寡婦になってしまったケースである。
 彼女たちも商売をした罪で、刑務所につながれた。車英玉は崔姫淑の公開処刑を目撃して精神に異常をきたし、どこかに連れて行かれたのか行方不明になった。しばらくして聞いた話によると、精神病院に入れられて電気治療(拷問)中に死んだという。
 金清河という三十二歳の男性は、財閥級の金持ちの叔父が日本に住んでいると話していた。叔父は民団(在日本大韓民国民団)系だったので、北朝鮮当局は彼を朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)に転向させようと、工作を企んだ。そこで、金清河は叔父を説得するという密命をおびて日本に向かった。
 叔父と会った席上、彼は「北朝鮮は楽園だ」と一応は語ったが、同行した保衛員の目を盗んで「生活が苦しくて大変だ」と実情を暴露してしまった。その事実が発覚して、北に帰るや道警察に引っぱられた。結局、彼は「民族反逆者」に仕立てられて電気拷問を受けた末、一九八九年十月頃に命を失った。
 一九八九年秋、帰国事業三十周年を迎え、収監されていた在日帰国同胞は恩赦を受け、監獄から釈放された。それでも釈放後いくらもしないで、再び逮捕される人が多かった。
 いつも北朝鮮の上層部のやり口は同じである。表面上ではきれい事ばかりを並べ立てる。だが、その裏では、常に卑劣な現実が進行している。北朝鮮ではかくも欺瞞に満ちた行為が続けられているのだ。

北朝鮮 泣いている女たち―价川女子刑務所の2000日 (ワニ文庫)』P245-248

 

構図は朝鮮学校と同じですね。

「表面上ではきれい事ばかりを並べ立てる。だが、その裏では、常に卑劣な現実が進行している」

この一言にすべてが集約されています。民族教育を語る裏で、在日同胞や朝鮮同胞を大虐殺した暴君を愛する教育をしている。ありえない民族「抹殺」教育です。アイデンティティクライシスを起こして将来子供が苦しむことになろうが、どうでもいいと言っているようなものでしょう。

1989年に帰国事業三十周年を迎えて恩赦で釈放されたがすぐ収監されたとあります。ちょうどそのころに始まったのが朝鮮学校の子供たちで組織された在日朝鮮学生少年芸術団です。

収容所で民族反逆者に仕立てあげられた在日一世や二世たちの隣で、彼らは金日成を称える公演をやっていたことになります。

動画は2012年~2016年分ですが、昔などもっと常軌を逸した感じになっていたでしょう。本当にありえません。この公演を指摘された朝鮮学校側は、「何を今さら言うんだ!」「右翼新聞の産経がー!」の言い訳に終始しています。

そう思うなら今までの公演を字幕付きでネットにUPしてみればいい。この事実を知らされていなかった、他でもない在日同胞から盛大に怒られるでしょう。そもそも民団新聞でも朝鮮学校の教育に対する問題点は何度も書かれています。同じ在日同胞からの苦言は綺麗にスルーして、産経が言うことだけには反論します。右翼レッテル張りで自己正当化できるからでしょう。

この教育を受けて辛い葛藤に陥っている卒業生の言葉を紹介しましょう。

 最近、韓国で親しくなった若い脱北女性に、何もない天井を見ながら、空腹で立ち上がることさえできず、数日間生死を彷徨っていた幼少時代の思い出話を聞かされました。彼女が苦しんでいたその時間に、自分は金日成の歌を歌い、主体思想を信じ、北朝鮮を我が祖国と叫んでいたのです。人間の底なしの自分勝手さと、見えることにしか興味を示さない浅はかさ、罪深さを痛感せざる得ません。

『拉致と真実 第9号』 P15 朝鮮学校修了生 リ・ナナ より

このような辛い葛藤を抱かせる教育をしていて何が在日同胞のウリハッキョでしょうか?何が民族教育でしょうか?

北朝鮮で収容所に入れられた在日一世たちは、まさに朝鮮学校を作るために血と汗と涙を捧げてきた人たちです。その人たちの無念を忘れ、この人たちを虐殺した相手を愛する教育を、よりにもよってこの人たちが作った朝鮮学校でやらせる。本当にありえない暴挙と言えます。

北に親族がいる人たちを責める気はありません。むしろこの子供を利用した差別ビジネスで利益を得ている日本人が許せません。結局、子供の味方面をして、子供の未来踏みにじることに加担しているわけです。本当に朝鮮学校が存続してほしいと思うなら、今の教育を変える以外ないはずです。もうこれ以上、大人のエゴを子供に押し付けるような真似はやめてほしいです。

最後に朝鮮総連の良心の声を紹介しましょう。

 政治犯収容所には、二〇万名もの人びとが押し込められ。即決処刑はもとより、公開処刑の数は、金正恩が出て来てのこの一年間に、二〇一〇年の三倍に跳ね上がっています。連座制が敷かれ、人びとは「完全監視」の巨大な監獄のなかで喘いでいます。脱北後に中国で捕まり強制送還された女性たちは、堕胎・嬰児殺害の拷問を受ける地獄絵の世界が展開されています。
 極寒の収容所で、千丈の地下炭鉱で、そして闇市場の片隅で名もなく殺され死んでいく人びとが、わが子であり、家族であり、同胞であって、どこの誰でもありません。
 だというのに、いまなお一部の総聯幹部たちは、この現実から眼をそむけています、わが子や肉親、親族、そして友人、知人を政治犯収容所で殺された人を持だない、総聯の古い活動家は一人もいないはずです。
 あのトンム(同志)や友人が、全部民族反逆者であり、スパイたちだったと言うのですか! とんでもありません。私たちは、同志愛と友情を紙クズのように捨ててしまった、血も涙もない人間になり下がってしまったのでしょうか? それともマインドコントロールされ、正と悪の判断がつかなくなっているのでしょうか!

(中略)

どうか、初心に戻り現実を直視してください。同胞の本当の願い、南北同胞の渇望する統一とは何なのかを考えてみてください。総聯はどう生まれ変わらなくてはならないのかを、いま一度真摯に考えなおしてください。おのずから結論と方向が見いだせるのではないでしょうか。
 政治犯収容所を取り払い、北の地に人権を回復するためにも、わが総聯は、許宗萬現執行部を退陣させ、金正日政権から決別しなくてはなりません。

『朝鮮総聯の改革と民族統一・志向会 第十報』より一部引用

日本人や在日は、本当に差別をなくしたいと思うのであれば、こういう人たちの声を広めるべきでしょう。

こういう声は徹底的に潰されてきました。この声を無視することこそが残酷な差別でしょう。レイシズムを語るのであれば、この人たちの無念の声に耳を傾けるべきだと思います。

※トップ画像は『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』より、拷問を受けた女性囚人の絵を引用。

コメントを残す