『イスラム化するヨーロッパ (新潮新書)』で、ブルカ禁止措置のことが書かれてありました。
意味のない禁止措置をすると、弾圧だ!の大合唱が始まって狙った効果とは逆の結果を生むという良い事例と言えます。
サルコジが人一倍、熱烈な女権論者というわけではない。当時のフランスは世界金融危機の影響にあえいでいた。
「改革」を掲げながら、これといった成果を出せなかった大統領が、イスラム社会に強硬姿勢を示し、支持率向上をねらったと言ってもあながちうがった見方ではあるまい。
演説には、悲観的な国民世論を吹き飛ばすため、フランス伝統の価値観を訴え、国威を発揚しようとする狙いが濃厚だった。
では、わざわざ法で取り締まらねばならないほど、覆面ベール着用者は多いのか。
二〇〇九年の調査によると、全仏で覆面ベール着用者は推計約三百六十人だった。約五百万といわれるイスラム人口の中で、きわめて少数派といえる。
パリ大モスクの導師ダリル・ブカクールは「たった三百数十人の女性が覆面ベールをしているからといって、イスラム原理主義が広がっていることにはならない。(ベールは)他人を不快にさせるほどのものではないだろう。国家が大騒ぎするのはいかがなものか」と苦言を呈した。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、「表現の自由、信仰の自由に反する」と法を真っ向から批判した。
『イスラム化するヨーロッパ (新潮新書)』 P91-92
馬鹿なことやってますね。
超スーパー少数派を弾圧して、大多数の反感を買うわけです。
ほっときゃいいのに経済的に困窮すると、こういう自分で自分の首をしめることをしがちです。
逆に言えば、マイノリティがスケープゴートにされるのも、経済的な困窮が動機として大きいわけです。
そもそも在日差別や部落差別をなくすことに貢献したのはバブル景気ですから。
人手不足で困っている状態で、国籍だの出身地だの言ってられません。
差別や争いをなくしたいなら、経済成長が必要不可欠なのに人権を大事にするリベラルほど経済合理性を無視した理想論を掲げてさらなる経済停滞を呼び込み、差別どころか戦争を呼び込むような真似をします。
困ったものです。
日本でも、戦前に禁止することで逆の結果を生むパターンがありました。
戦前の靖国神社参拝を学校に強要した軍部と、それに反発して結果的に参拝拒否が全国に広がった事件です。(関連投稿:先祖の英霊にあきれられる「靖国参拝論争」)
ごくごく少数のキリスト系大学の学生の、それもごく少数の生徒が学校行事の靖国参拝に不参加したことに陸軍が抗議して、ほっとけば何の問題もなく大多数の生徒が靖国参拝していたのに、結果的に反感を買って全国に参拝拒否が広がったという事件です。
いつの時代も似たようなことをやっていますね。
朝鮮学校も同じといえます。
政府の圧力のかけかたが微妙です。
ミサイルや拉致を理由に無償化対象外だと言ってもカルト化に拍車がかかって、北の暴君喜ばせるだけなんですよね。
わざとやっているとしたら自民党の従北汚染も深刻です。
朝鮮学校卒業生に日本の大学の受験資格を認めている大学もありますが、これも大いに広げた方がいいでしょう。野球、ラグビー、サッカー、バスケ、そういうスポーツの大会もどんどん参加してもらった方がいいでしょう。
その方が北の独裁者は嫌がります。
社会から孤立させて、自分たちは被害者だ!信じられるのは総連コミュニティ内部の同胞たちだけだ!と被害者意識を炸裂させてくれた方が好都合なんですよね。ちょっと優しく接するだけで、やっぱり祖国だけが自分たちの味方だ!と思ってくれますから。
教祖様に従うカルト信者のいっちょあがりです。ちょろいもんですね。
政府が朝鮮学校にやるべき制裁は、北朝鮮渡航禁止の徹底と、朝鮮総連から経営権をはく奪して地域のコミュニティに移譲し、教育内容を文科省の指導に従うよう徹底させることでしょう。
一条校にでもなった方が、朝鮮学校に通う子供の未来のためにはプラスです。
保健室がないとかプールがないとか体育館がないとか、ギャーギャー文句言っている声が聞こえてきますが、だったらさっさと一条校になればいいだけです。
結局、治外法権的に教育内容は変えず、でも補助金はもらいたいという乞食根性なわけです。よくネットで嫌韓ネトウヨ=従北偽装右翼が、韓国のことを乞食呼ばわりしていますが、なんのことはない自分を投影しているだけです。
北朝鮮にもそうですが、「自由化」につながる制裁なら大いにやるべきですが、「カルト化」に拍車をかけるような制裁や非難はやめたほうがいいでしょう。
別に人権がどうとかいう問題ではなく、マイナスの結果を生むからやめたほうが良いというだけです。
『イスラム化するヨーロッパ』を読んで、どこでも似たような失敗をやっているな~と苦笑してしまいました。
そうは言ってもなんでもかんでも自由にして、犯罪まで自由化したら本末転倒ですから、きっちり犯罪者と頭おかしい絶対主義者を取り締まりつつ、極端な主張で妙な弾圧をしないよう気をつけることでしょう。
そうしてこそ、世の中が徐々に良くなるのだと思います。