日本植民地時代 米消費量の誤謬 断固修正しない韓国歴史教育

木村光彦著『日本統治下の朝鮮 – 統計と実証研究は何を語るか (中公新書 2482)』から、戦後一貫して日本の植民地統治の苛烈さを証明するデータとして引用され続けてきた”米消費量の減少”について、いかに嘘がまかり通ってきたかが分かる記述があったので紹介しておきます。

別に「日本の統治は寛大で素晴らしいものだった。だから感謝しろ!!」なんて言う気はさらさらありません。ただ、嘘を根拠に「日本けしからん論」を主張しても、引っ込みがつかなくなって後で恥をかくだけなのでやめた方が良いですよ、というだけです。

 

2 個人消費――食糧消費量は激減したのか

一人当たり食糧消費量

従来、注目を集めた他のデータは、米の消費量である。前章で述べたように日本統治期、米の生産量が大きく増加した。しかしその多くが内地市場向けに販売されたため、朝鮮内の米の消費量が、一人当たりではかえって大きく減ったといわれる。

この現象は一九三五年に、著名な農業経済学者、東畑精一と大川一司が『朝鮮米穀経済論』で指摘した。それによれば、朝鮮の一人当たり米消費量は、一九一五―一九年間、年平均〇・七〇七一石であったが、そののち減り続け、三〇―三三年には〇・四四八六石まで落ち込んだ。東畑・大川はさらに、この減少分を補完すべき粟の鮮内消費量が同期間、ほとんど増加していないと述べ、これを(朝鮮農民の)消費生活の暗黒面と呼んだのである。

東畑・大川が算出した結果(あるいは類似の数値)は、戦後、近年に至るまで繰り返し引用され、一般にも知られている。

ところが東畑・大川は一九三九年に、原データ(総督府の統計)に問題があったとして前記の数値に変更を加え、それを追補版として公刊した。そこでは、一九三〇―三三年の一人当たり米消費量を〇・六二〇三石に上方修正し、さらに三四~三六年の値を〇・五八三九石と算定した。これによって、朝鮮の米消費量の激減という現象はなかった、しかし減少の事実は変わらないと結論づけたのである。この修正は、広くは知られていない。

追補版の数値にも問題があった。それは、一九一五―一九年の一人当たり米消費量が、人口過少評価のため、過大になっていることである。この点を考慮すると、減少率はさらに小さくなる。最近の研究では、一人当たり米消費量は以下のとおりである(単位/石)。一九一五―一九年、〇・五八九、三〇―三三年、〇・五五六、三四―三六年、〇・五一一、三六―四〇年、〇・五五五(前掲、金洛年編、五七〇頁)。このように、一人当たり米消費量は減少したとはいえ、その程度はわずかにすぎない。

同じ研究によれば、一九一〇~四〇年間、米と麦・雑穀・豆類を合計した全穀物の一人当たり消費量はやや減少傾向にあったが、これにイモ類、野菜類、肉・魚貝類などをくわえると、一人当たりカロリー消費量はほとんど減少しなかった(同前、二二二頁)。

他方、データ不足のために同研究の分析対象から外されているが、一九四一年以後、一人当たりカロリー消費量が大幅に減ったことは確実である(本書第4章)。

日本統治下の朝鮮 – 統計と実証研究は何を語るか (中公新書 2482)』P92-93

日本に植民地支配されたあと、一人当たりの米消費量が一貫して減って貧困化していった、という歴史認識がいかに嘘八百だったかが分かります。

その根拠だった統計データが間違い、というオチ。

  • 1915-19年の人口が統計データ不備で過小評価だったため、約0.7石と平均値が高かった。
  • 総督府の統計データに問題があり、1930年代の約0.45石から、1930-33年の一人当たり米消費量を約0.62石へ、34-36年の値を約0.58石へと上方修正。
  • 結局最新の研究では、一人当たり米消費量は、1915-19年、0.589、30-33年、0.556、34-36年、0.511、36-40年0.555(単位/石)。

さんざん日本の植民地支配の苛烈さを示す根拠として引用されつづけてきた”米消費量の減少”ですが、ふたを開ければ一貫して0.6~05石程度で、あまり変わらないというオチ。

さらに野菜や肉・魚の消費も含めればカロリー消費量に差はないという結論です。

穀物オンリーでカロリーまかなうより、肉・魚・野菜というバリエーションが増える方が食生活は豊かになり、満足度も上がります。そう考えればむしろ食生活はぐんぐん改善していったと言えるでしょう。

著書ではこの後に質にも言及されており、籾摺り(籾から籾殻を除去して玄米にする作業)や、精米の技術も向上して米の質が上がっているので消費の満足度は高くなっているとも指摘されています。

帰還事業で北送された在日朝鮮人が、北朝鮮の不純物たっぷりの配給米をもらって「こんなの食えねぇ…」と満足度が大変低下したのと逆パターンです。

あと最後に「1941年以降、一人あたりのカロリー消費が大幅に減った」とありますが、これは戦時中(それも負け戦)なので当然でしょう。

これが”米消費量”の歴史的事実なわけですが、今までさんざんこの件を引用して日帝強占期の悪逆非道を扇動してきたせいで、断固修正しない姿勢が韓国の歴史学界で維持されています。

コラム② 米消費をめぐる韓国歴史教科書の誤謬

本論で触れた一人当たり米消費量の「激減」は日本の悪政の象徴として、韓国の歴史教科書で以前から今日まで変わらず特筆されている。

二〇〇六年の韓国高校国定『国史』教科書は、一九一二―三〇年間の米生産量、移出量、および朝鮮人(「韓国人」)の一人当たり年間米消費量を二年ごとに図示している。それによると、一二年に〇・七七二石であった同消費量は三〇年には〇・四五一石にまで減少した(邦訳、一九五頁)。

韓国教科書の国定制度はその後廃止され、検定制度に移行する。それにともない、民間数社か、異なった『韓国史』教科書を作るようになった。最新の各社教科書はいずれも、総督府の統計(農林局『朝鮮米穀要覧』一九三七年)にもとづいて、一九二―三〇年間、一人当たり年間米消費量が大きく減少した(〇・六三石から〇・四五石)ことを記している。

本論で述べたように、総督府の統計には欠陥かあり、東畑・大川はこれを修正していた。韓国の歴史教科書は、戦前すでにデータの修正か行われ、戦後その上に日韓で研究か蓄積されているにもかかわらず、それらをまったく反映していない。

参照教科書/三橋広夫訳『韓国の高校歴史教科書-高等学校国定国史』明石書店、二〇○六年/『高等学校 韓国史』東亜出版社、二〇一六年(二〇一三年、教育部検定)/同、ピサン教育、二〇一六年(同)/同、金星出版社、二〇一六年(同)/同、未来、二〇一六年(同)/同、志学社、二〇一七年(同)

日本統治下の朝鮮 – 統計と実証研究は何を語るか (中公新書 2482)』P106-107

今まで情感たっぷりに被害者意識を煽る道具として使ってきたため、国家全体で「今さら認められないからこのまま嘘に目をつぶる」状態になってしまいました。

相手が日本になると、とたんに”冷静な学術論”から”感情論”へとレベルが著しく低下するのが韓国歴史研究の問題でしょうね。

不可解極まりないのは、日本だと年々記述が過激になるのに、相手が北朝鮮だと北の暴政に対する言及がどんどん抹消されるか矮小化されていく点でしょう。

共産主義者は”角が生えた赤鬼”のようなファンタジーで悪魔化する必要はないですが、収容所・連座制・密告制・公開銃殺といった”事実”は教えても良さそうに思えます。

慰安婦問題など、子供にそんな細かく教える必要あるのか?と親から苦情が出るほど具体的に教えるのに、北の人権蹂躙には「餓死者が〇〇万人出ました」程度の無味乾燥な統計データの紹介であったり、「深刻な人権問題があります」という言及程度。

日本と北朝鮮の扱いの差が凄まじい。この辺が韓国が北朝鮮化している、と言われてしまう原因となるのでしょう。

巷のアホな嫌韓本とちがい、学術的かつ冷静に日本の韓国統治の実態が分かる良書です。ぜひご一読ください。