昔もあったよ韓国の窃盗事件

蒲生日記

対馬の仏像を盗んでその後いまだに返却されない件、実は昔も同じようなことがありました。

愛国無罪の始まりはだいたい90年代。

韓国の民主化と同時に従北汚染の深刻化が始まる時期でもあります。

 

 

愛国窃盗? ――― ’90.4.14

日本の神戸に住む陶磁器収集家から高麗青磁、李朝白磁の名品を強奪してきた韓国人の所業をめぐって、韓国のマスコミは「愛国窃盗?」「義賊?」……などと大いに筆を弾ませた。もともと韓国のもので、植民地時代に日本人が持ち去ったものだろうから、返さなくてもよいというわけだ。前科八犯の犯人も「こうでもしなければ取り戻せないではないか」と、奪ってきた陶磁器を前に堂々と写真におさまっていた。

理屈はともかく、犯罪は犯罪だから「とりあえず日本の収集家に返すのが順序」という識者の声もあったが、街の声は圧倒的に「返す必要はない」だった。神戸の収集家の老人は韓国を訪れ、愛着のある一部を除いて奪われた陶磁器は韓国政府に寄贈すると語り、返還論争は一件落着となったのだが、さて、前記の街の声をどう考えるか。

犯人の発言は「盗人にも三分の理」の居直りだったとしても、街の声の気持ちは理解すべきかもしれない。たとえばパリのルーブル美術館からギリシャ人が「ミロのビーナス」を、ロンドンの大英博物館からエジプト人がツタンカーメンの遺物を盗んで本国に持ち帰った場合、おそらくギリシャやエジプトでは英雄扱いされるに違いない。韓国の街の声に対し、「盗んだものを返すなとは何と非常識な連中か」といったんは思ったものの、これは必ずしも非常識とはいえないのではないかと思い直した。

韓国政府に寄贈するという収集家の話は、〝美談〟のはずだが、マスコミなど韓国サイドの反応は「当然」という感じで扱いは小さい。韓国人の心情を理解するのはなかなかシンドイ。

ソウル烈々―韓国を見つめつづける珠玉のコラム集』 P83-84

今この事件が起きたら大騒ぎでしょうね。

長年韓国ウォッチャーをされている人ほど、昨今の嫌韓論とは一線を画しています。

ギリシャ人やエジプト人を例にして説明されると、なるほどね~と理解できなくもない。

だとしても、前科八犯の犯罪者を擁護しちゃだめでしょうけどね。

神戸に住む陶磁器収集家が、盗まれたのに韓国政府に寄贈したという美談をまったく無視しているのも韓国の愛国無罪メンタルを良くあらわしています。

それにしても同じような事件が90年に起きているとは面白い。

韓国では愛国無罪だとしたら、在日社会では差別被害者無罪でしょうか。

愛国無罪で泥棒を擁護する構図は、金嬉老事件(きんきろうじけん)を彷彿とさせます。

借金問題で人間射殺したただの殺人犯なのに、「俺がこうなったのは日本社会の差別のせいだ」と問題のすり替えをした事件です。

ただの殺人犯のロクデナシで終わらせれば良いのに、「差別だー!」の大合唱で左翼の皆さんが殺人犯を一生懸命擁護。

意味が分からない。

この事件も従北の流れを継承する在日チュチェリアン界隈では神格化されてます。

差別を完全に消滅させない限り、日本人が殺されても文句言えないのでしょうか?そちらの方がよほど差別的でしょうに。

そんなメンタルだから朝鮮人を大虐殺した金日成・金正日というロクデナシを、朝鮮民族の英雄として祭り上げる愚かなことをやってしまうわけですね。

この辺はさすが北朝鮮。

何十年も人間モルモットにして洗脳してきただけあって、歴史洗脳はお手のものです。

 

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