南北は同じ民族か?

韓国崩壊 統一がもたらす瓦解のシナリオ』という2005年出版の本に、「そもそも南北は同じ民族なのか?」という根本的な問いかけがありました。

 

南北ともに統一機運を盛り上げる場合には「同じ民族」を強調しますが、そもそもその大前提が間違っているのではないか?という当然の疑問です。

平和共存も南北統一も、この「わが民族同士縛り」の呪縛から逃れないと話が進まないでしょう。「民族」を強調して、「自由」「人権」「民主主義」「市場経済」と言った、根本的な価値観を無視しても統一は遠のくばかりです。

「南北はあまりに違う、これでは同じ民族とは言えない」

こう言うと発狂する人たちもいるでしょうが、そろそろこの認識を一般常識化すべきだろうと思えます。

 

南北は同じ民族か

「われわれの願いは統一、夢でも願いは統一……」。われわれが切実に歌い続けてきた歌のワンフレーズだ。同じ民族ゆえに、そしてもとより一国だったがために、統一は至上命題で、これに反する考え方は許されない雰囲気の中でわれわれは生きてきた。強い民族主義の伝統は、まずもって統一に最大の価値を置いた。しかしドイツの統一を見ながら、われわれがこれまで何の疑いもなく受け入れてきた、韓国と北朝鮮が一つの民族だという事実をあらためて考えてみたい。

たしかに韓国と北朝鮮は、統一新羅時代以降、単一民族として、そして一つの国家の国民として過去の歴史と経験を共有してきた。しかし、南北分断後、韓国と北朝鮮がまったく違った道を歩んできたことを真剣に見つめなければならない時がきた。よく韓国と北朝鮮は性質が異なる国家であると言われるが、将来統一した際にこれがどのような影響を及ぼすかについて、われわれはほとんど無知である。いや、統一の邪魔になるという理由で、議論すること自体をタブー視してきた傾向がある。

「同じ者はともに暮らさなければならない」

東方政策を通じてドイツ統一の基礎を築いたヴィリー・ブラントの言葉だ。彼がこう語った時、この言葉の真偽に対して一点の疑いもなかっただろう。しかし彼は、当時、東ドイツが典型的な社会主義国家だったということを見逃していた。彼は「体制」と「理念」より、「同族」が先に立つと考えた。同じように統一当時の西ドイツの政治家たちは、東ドイツ人も自分たちと同じ民族だから、西ドイツがしたとおりにさえすれば東ドイツも西ドイツと同じになるだろうという錯覚の中にあったのだ。しかしそれは致命的な錯覚だったということが、すでに証明された。

このことから、体制と理念を前にして、漠然たる同族概念がどれほどむなしいかがわかる。

同じく、朝鮮半島統一後、韓国がしたようにさえすれば、北朝鮮でも「漢江の奇跡」が起きるはずだという錯覚をしてはならないのだ。エングラーとマーツは社会主義政権下の人々をそれぞれ「道楽者のような労働者」「自分の不適応を社会と国家の責任にする」と分析したが、その分析どおりの北朝鮮の人々の姿は、極端ではあるが、脱北者支援政策の失敗例にも見て取れる。それだけではない。北朝鮮を訪問した人々が共通して伝える北朝鮮大衆の姿も、エングラーとマーツの分析と寸分違わないと言っても過言ではない。ドイツが施行したすべての同化政策の失敗の原因は、このような社会主義的人間性を見逃したからだ。いくら立派な政策や特別な配慮、予算を投入しても彼らの社会主義的性質が変わらないことによって、ドイツ政府の試みは無力化してしまったのだ。南北朝鮮のケースでも、統一の最大の障害物は、まさに北朝鮮の人々そのものの特性だろう。

統一を考える場合、同じ民族とは歴史的・社会的・文化的に感性を同じくするという意味である。つまり南北が統一する場合には、市場経済と民主主義についての感性も同じであることが最低条件であるが、現実では同じどころかまったく異なっている。同じ民族という象徴が存在するだけであり、価値観や体験などに関しては少しも同じではないのだ。社会主義崩壊後の急激な市場改革は、ほとんどすべての地域で失敗した。ロシアの「市場経済」はマフィア経済となり、彼らの言う民主主義は、西欧大たちの視点からはまったく民主主義とは見なされないものだった。彼らが市場経済と民主主義を求めても、それはわれわれの知る市場経済と民主主義ではなかった。彼らは最初からそれ自体を知らなかったのだ。

同じく北朝鮮の住民が韓国の人々と交流しても、両者の間には何の共通の感性も形成されない。ただ同じ民族だから早く統一しなければならないという原則論のみが叫ばれるだけだ。統一後の体制の問題と苦痛の分担について話そうとする大は誰もいない。韓国人と北朝鮮人は一つになれないほど違う、ということについてはなおさらだ。

さらに、北朝鮮の人々が普遍的な価値である市場経済と民主主義に自ら転向することも期待できない。現在、韓国の人々が北朝鮮の人々と統一できないと考える理由には、北朝鮮の狂信的な主体思想も含まれる。韓国人の中でこの言葉に拒否感を示さない韓国人がどれだけいるだろうか。北朝鮮指導層にインタビューすれば、北朝鮮の人たちはみな、自分たちの七・一経済管理改善措影さえ主体思想の枠内での市場改革であり、南北統合も主体思想を通じて実現される、と信じていることがわかる。

では一体、北朝鮮と韓国の人々が共有する価値と文化はどれくらいあるのだろうか。南北の人々の精神を解剖してみれば、互いにまったく違うということがわかるであろう。一体何を根拠にわれわれを同じ文化と思想を共有した同族だと言えるのか。最終的にわれわれは次のような結論に至るだろう。

韓国と北朝鮮が過去に一国家を形成した一つの民族だったことは確かだ。しかし今でも同じ価値と文化を共有する一つの民族共同体なのかと問われれば、その答えはまったく異なる。

「韓国と北朝鮮は、同じ民族だと言えないほど違った価値と文化、思想をもっている。われわれは言語と外見を除けば、残ったところに共通点などほとんどない。互いに異なるアイデンティティをもっているにもかかわらず、同じ民族という名分だけがわれわれを縛っているのだ」

結局ブラントの言葉のように統一が「同じ者を同じように住まわせること」なら、われわれは、もはやこのように違っているのに、統一が一体なぜ必要なのかを問い直さねばならない。

韓国崩壊 統一がもたらす瓦解のシナリオ』P22-25

「われわれは言語と外見を除けば、残ったところに共通点などほとんどない」

これが「わが民族同士」の実態でしょう。

まったく違う体制下で70年暮らせばそうなります。

しょせん民族などそんなもんです。

逆に、言葉や文字くらいしか共通点がないから、朝鮮学校のように「ウリマル(わが言葉・文字)推し」するしかないのかもしれません。

次の二択でどちらの国と合併して同じ国民になりたいですか?というアンケートをとってみてほしいですね。

  1. 見た目が同じで同じ言葉を話す人々が住んでいる。ただし、生まれたときから特定の人間を崇拝するよう教え込まれる。出身成分というガチガチの身分制度があり、親の成分で自分の未来はほぼ限定され、公開銃殺が日常的に行われ、密告制と連座制にこの世の地獄である政治犯収容所が組み合わさって、誰も反政府運動など起こせない国。
  2. 見た目が同じで違う言葉を話す人々が住んでいる。市場経済・基本的人権・民主制度の保障など、基本的な政治システムは同じ。

どちらかを選べと言われれば大半が2でしょう。

北朝鮮と統一するくらいなら、日本や台湾と連邦制国家を作りましょう、と言われた方がまだ現実的です。

北の残虐な暴圧体制を無視して、「統一すればすべて解決する」という知識人の欺瞞がここにあります。

そもそも自由・人権・民主制度が保障されていなければ統一できないのに、統一すれば「北朝鮮の人権問題も解決する」という議論は詐欺でしょう。

「鶏が先か卵が先か」という議論にすらならない。

統一したいなら人権問題の解決が第一です。

何もLGBTとか女性差別の解決といった高度な人権を要求しているわけではありません。

三代根絶やしの連座制、裏切りを推奨する密告制、恐怖を与えて抵抗する気概をへし折る公開銃殺、この世の地獄と言える政治犯収容所、移動の自由の制限や情報閉鎖体制。

これらの凶悪な人権蹂躙をやめろと言っているだけです。

本当に南北統一を願うなら、これらの点を外からギャーギャー言うのは当然のライフワークでしょう。

「人権問題に言及すると北朝鮮側と交渉にならない」などただの言い訳でしょう。

日本や韓国の南北統一活動で、北の人権問題を避けるのは全部詐欺です。

”超”基本的な人権問題も解消されない国と統一など不可能。民族でごまかすのももはや限界でしょう。

本気で南北統一をしたいと思うなら、民族推しは控えて、人権問題の解決にもっと力を入れるべきだろうと思います。人権問題の解決なくして南北統一など不可能ですから。