北朝鮮の強制収容所の残虐さ、親兄弟、親族まとめて殲滅する連座制、それらの起源はソ連の強制収容所かもしれませんが、その残虐さを極めつくしたのは毛沢東だと言えます。
脱北者のもたらした数々の証言から北朝鮮の強制収容所の実態が明らかになってきました。それを知った時に驚くのは、毛沢東が行った大躍進や文化大革命との親和性です。
金日成は毛沢東のやり方を見習ったそうですが、なるほどまったく同じことをしている、と思わされます。
大躍進時代の中国共産党による、中国人民への拷問のやり方が、北朝鮮強制収容所とほぼ一緒です。
『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』のP412-415まで引用し、その親和性を見てみたいと思います。
拷問の記録
たしかに棍棒は普通に使われていたが、これは覇気のない人々に屈辱を与え、拷問するために地元幹部が考案した恐怖の武器の一つにすぎなかった。農村が飢餓に陥ると、飢えた人々を畑に駆り出すためにより激しい暴力を振るわざるを得なくなった。
大勢を痛めつけ苦しませるために、ごく少数の人間が考え出したあの手この手は尽きることがなかった。人々はときに縛られ、ときに衣服を剥ぎ取られて池に放り込まれた。
まさに北朝鮮が人民に言うことを聞かせる手法そのままです。中国でもまったく同じことが起きていました。
下水のため池に二人の少女が保衛員に蹴り落とされます。一人は死にました。これが北朝鮮強制収容所の現実です。
『Are They Telling The Truth?』 P174
羅定では、十歳の少年が小麦の穂を数本盗んだだけで、縛られて沼地に放り込まれた。少年は数日後に死んだ。
クルミを盗み食いして、手についた染みのせいでそれがバレてしまい、熊のような体格の教師に運動上の砂地で手の染みがなくなるまで皮膚を削ぎ落す。そういう事例が北朝鮮の強制収容所でもありました。飢えに苦しむかわいそうな子供に、そんなことを平気できる神経が理解できません。
『Are They Telling The Truth?』 P132
(※関連投稿:『北朝鮮脱出 地獄の政治犯収容所』 運動場の砂地で子供の手の皮を削り取る)
寒い中、裸で放置された者もいた。農民の朱育発は、豆を1キロ盗み、百二十元の罰金を科され、服も毛布も床の敷物も没収された上で、裸にされて批判闘争集会に引きずり出された。
何千人もの農民が強制労働に送り込まれた広東省のある人民公社では、落伍者は真冬に衣服を剥ぎ取られた。
ところ変わってダム建設を急ぐ現場では、氷点下の中で一度に四百人の農民が綿入れの上着もなく働かされていた。
妊婦も例外ではなかった。寒ければ、さぼったりせず一所懸命働くものだと考えられていた。
湖南省の瀏陽地区では、雪が降る中、男女三百人の一団が上半身裸で働かされ、七人に一人が亡くなった。
北朝鮮で、取り調べを受ける過程で、極寒の夜空に放り出され、水をかけられ凍え死ぬ寸前まで拷問を受けたという報告があります。
『Are They Telling The Truth?』 P126
夏には、炎天下で両手を広げて立たされた(石ころやガラスの破片の上に跪かされることもあった)。このような光景は、南は四川省から北は遼寧省まで各地で見られた。白熱ラップで焼かれたり、へそを熱した針で焼かれた事例もあった。ダム建設に駆り出された河北省嶺背公社の農民たちが苦痛を訴えたさいに、民兵は彼らの身体に焼け焦げを作った。河北省では、人々が熱した鉄で焼き印を押された。四川省では、灯油をかけられ火をつけられ、焼け死んだケースもあった。熱湯を浴びせられることもあった。
北朝鮮の収容所も同じです。
長時間つらい姿勢をさせて苦しませる拷問をあたり前のようにやらせています。
『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』 P120-121
焼きごてを押し当てる拷問も繰り返し行われました。
『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』 P29
燃料不足に陥ると、糞尿をかけるやり方が横行した。向こう見ずにも、自分の生産小隊のリーダーが米を盗んだと告発した八十歳の老婆は、尿に浸されて密告のつけを払わされた。汕頭に近い龍帰公社では、一所懸命働かなかった者は、糞便の山に埋められたり、尿を飲まされたり、両手を燃やされたりした。糞便を水に溶かした液体を喉に流し込まれることもあった。飢餓で衰弱した黄丙音は鶏を盗んで捕まり、村長に牛糞水を飲まされた。畑から甘藷(かんしょ)を盗んだ罪に問われた劉徳昇は、尿に浸されたのち、妻と息子ともども糞便の山に押し込まれた。彼は糞便を飲み込むのを拒否したため、火箸で口を無理やりこじ開けられた。三週間後、彼は死亡した。
糞尿を使った拷問も北朝鮮の強制収容所で繰り返し行われています。
保衛員に尿をかけられるという屈辱を味あわされたのが収容所に入れられた人々です。
『Are They Telling The Truth?』 P116
収容所の教師に、子供が繰り返し肥溜めに落とし続けるという最悪なこともしています。これは在日の子孫であるカン・チョルファンの証言から明らかになりました。
『Are They Telling The Truth?』 P137
(関連投稿:『北朝鮮脱出 地獄の政治犯収容所』 教師が子供を糞まみれにして殺す)
身体の一部を切断されるケースはあちこちで見受けられた。髪の毛はむしり取られた。耳や鼻は削ぎ落とされた。広東省の農民、陳迪は食べ物を盗んだために、民兵の陳秋に縛り上げられ、片耳を削ぎ落とされた。王資友に関する報告は中央の指導部まで届いていた。
彼は片耳を切断され、両足を針金で縛られて、十キロの石を背中に落とされ、最後に焼き印を押された。勝手にジャガイモを掘り出した罰だった。
湖南省のゲン(さんずいに元)陵県では、睾丸を殴打され、足裏に焼き印を押され、鼻の穴に唐辛子を詰め込まれた。耳は壁に釘付けにされた。
同省の瀏陽地区では、針金で農民を数珠つなぎにした。四川省の簡陽市では、泥棒の両耳に「泥棒常習犯」と書いたボール紙をぶら下げた針金を通し、その重さで耳がちぎれた。
爪の下に針を剌された者もいた広東省のいくつかの地区では、幹部が普段は蓄牛に使う注射針で人間に塩水を注入した。
体の一部を損失させるのは北朝鮮の強制収容所ではあたり前です。
『Are They Telling The Truth?』 P121
針金で数珠つなぎにするのも中国へ逃げた脱北者を連行する際に行われていました。
『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』 P24
爪の間に針を通す拷問も北朝鮮で行われています。
『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』 P28
夫婦が互いに殴り合うよう強要され、死に至るケースもあった。生き埋めにされた者もいた。これについては湖南省に関する報告書で頻繁に言及されている。
独房に監禁された人々は、最初は半狂乱で叫び扉をかきむしるが、やがて不気味に静まり返り、そのまま死ぬまで放置された。
湖南省のボス、周小舟は一九五八年十一月に鳳凰県を訪れると、ただちに監禁について問い質しているのだが、それほど広く日常的に行なわれていたということだ。
北朝鮮の強制収容所では、家族同士が憎み合うようなやり方で運営されています。連座制で家族ともども収容所送りになりますが、罪を犯した当人が死ぬと釈放されるため、「早く死んでくれ!」、と家族同士で罵り合いが起きるそうです。そうやって家族の絆を破壊し、団結して支配者に抵抗できないようにするのが北のやり口と言えます。
罰を与えるときも、子供に父親を殴らせるようなことも当たり前のようにやらせています。
『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』 P18
(関連投稿:『北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所』 家族を憎み合わせ、絶望死させ、道に埋めて平土にし、祈ることも許されない)
独房に入れられた人は、腰を伸ばすこともできず、とがった壁のため、壁にもたれることもできません。体勢を崩したときには保衛員から棒で殴られます。糞尿は垂れ流し。ここから出るときはまともに立って歩くことすらできなくなります。
『Are They Telling The Truth?』 P102
屈辱は苦痛に優るとも劣らない懲罰だった。三角帽子をかぶって、あるいは胸にプラカードを下げて、ときには素っ裸で行進する姿が各地で見られた。顔には墨が塗られていた。頭髪の半分だけを剃られる「陰陽頭」にされた者もいた。言葉の暴力にも事欠かなかった。十年後、文化大革命のさいに繰り返された多彩な暴挙は、紅衛兵たちの想像力の産物ではなかった。
人間としての尊厳を徹底的に破壊するのが北朝鮮の強制収容所です。大の大人が、保衛員の子供だという理由だけで、腰を深く折り曲げおじぎをさせます。子供はこんな大人たちを見て嘲笑します。こうやって屈辱を与え、抵抗心を砕き、奴隷にするわけです。
『図説 北朝鮮強制収容所』 P48-49
懲罰は死後も続いた。殴り殺された遺体は道端に捨て置かれ腐乱していった。
古来、死者は埋葬の儀式を経て初めて永遠の安らぎを得ると信じられてきたが、放置された遺体は幽鬼となってさまよい、来世でも除け者にされる運命だった。
墓に故人を貶る札が立てられることもあった。一九五九年に五人に一人が死亡した広東省の龍帰公社では、遺体を埋めた場所に「怠け者」と書かれた札が立てられた。
湖南省石門県では、毛乗祥一家が全員餓死したさい、生産隊のリーダーが埋葬を許可しなかったため、一週間ほどで遺体の両眼ともネズミに齧られた。地元の人々はのちに調査チームにこう語った。「わしらは犬コロ以下だ。死んでも誰も埋めてくれないんだから」
完全統制区の政治犯収容所では、山に遺体が打ち捨てられています。それも女性の陰部にシャベルが突っ込まれた遺体が。どれだけ想像を絶する拷問が行われたのか、背筋が凍りつきます。
『Are They Telling The Truth?』 P150
(関連投稿:『北朝鮮 絶望収容所』 墓もなく、祈りもなく、打ち捨てられた遺体)
遺体は墓もなく、祈りもなく、ただ埋められます。まるで最初から存在していなかったかのように。記録は抹消され、誰が、いつ、何の罪で消されたのか永遠に闇の中です。
『北朝鮮全巨里(チョンゴリ)教化所―人道犯罪の現場』 P20
規則に反して、殺された者を身内が埋葬しようとすれば罰せられた。
七十歳の母親が飢えから逃れるために首吊り自殺をしたと聞いて、娘は半狂乱になって畑から自宅に向かった。すると、規則違反だと激昂した地元幹部が彼女を追いかけてきた。彼は娘の頭を殴りつけ、彼女が倒れ込むと上半身を蹴りつけた。娘は障害者となった。
数日経って腐り始めた母親の遺体を見て幹部はこう言った。「このままにして食べればいいじやないか」。
死者に対する冒涜の最たるものは、遺体を切り刻み肥料にすることだった。この仕打ちを受けたのは、子供が蚕豆を二つ、三つ盗んだからと言って殴り殺された鄧達明だった。党書記の丹寛明は彼の遺体を煮詰めて肥料にし、カボチャ畑に撒いた。
(※以上『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』 P412-415より)
毛沢東の大躍進で、中国全土が飢饉になり、余裕を失った人たちが弱い者を弾圧し、恐怖でもって体制維持を図ります。本来毛沢東の失策を責めるべきが、すべてのしわ寄せが人民に降りかかり、恐怖と暴力で、死者の魂までも踏みにじらせます。
これが、北朝鮮の強制収容所のモデルケースとして採用され、現在の金一族独裁体制維持のための最大の武器となっています。
90年代に起きた北朝鮮の大量餓死など、まさに毛沢東の失政による大飢饉と同じです。
体制維持のためのやり方も一緒です。
恐怖と暴力で不満を抑え込みます。
そのための武器は、秘密警察・連座制・強制収容所でしょう。
こういう残虐な体制のもと、北送在日数万人が収容所で殺されています。
その中には、朝鮮学校学校の先輩や先生もいれば、学校建設に尽力した人も含まれています。在日朝鮮人の金剛山芸術団の黎明期を支えた人たちもいます。
その人たちの無念を忘却させ、加害者を褒め称える公演を子供たちにさせる。まさに死者の魂を踏みにじる行為を強要する残酷な人権侵害だと言えます。
中朝関係が破たんしないのは、同じ原罪を抱えているからでしょう。
北朝鮮が自由化・民主化され、収容所で殺された人たちの遺骨を発掘し、慰霊碑を建て、悲しみを乗り越えて良い国になった場合、最も困るのが中国です。
金一族の銅像と肖像画がなくなり、全体主義の残虐さを伝える施設が出来た場合、「中国はなぜ北朝鮮を見習わないのか?」、という議論になります。
中国からしたらメンツ丸つぶれでしょう。
よく天安門事件を話題にして中国の人権問題を責める保守がいますが、大躍進や文化大革命の方が天安門事件の100億倍残虐です。
中国や北朝鮮を非難しているようで、最も触れて欲しくない部分をスルーしているのを見ると、保守言論人も中朝にいいようにコントロールされているな~、と思わされます。
中国が絶対に北朝鮮と縁を切れない根本原因は、強制収容所での自国民大虐殺という原罪を共有しているからでしょう。地政学的な問題もありますが、一要素に過ぎません。
北朝鮮が自由化・民主化してしまうと、中国共産党の黒歴史に飛び火し、中共のよって立つところが破壊されてしまう可能性高まります。そうなれば彼らは破滅しますから、そんな事態になることを許すはずはないでしょう。
結局、中国も北朝鮮も平気で自国民を弾圧する独裁体制です。国家システムを共有する者同士で、利害も一致している同盟関係はまず崩れないと思った方が無難です。
あと、北朝鮮の強制収容所を民族の特性だとか思っている人は、『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』を読んで考えを改めてください。
民族は関係ありません。システムの問題です。全体主義というものは間違いを断固認めないがゆえに、失敗がどこまでも拡大し、とんでもない悲劇が起きるという特性を備えています。環境に適応して生き抜くのが人間です。DNAだの民族だのは関係ありません。
大衆的熱狂が起きて、社会が全体主義っぽくなったら要注意、ということを歴史の教訓にすべきだと思います。
やはり人類に必要なのは「懐疑主義」でしょう。「疑ってから判断せよ」というのが福沢諭吉先生の『学問のすすめ』で一番大事な教えだと思います。
※中国共産党の黒歴史。ぜひご一読ください。これを読んで泣かない奴は人間じゃないと思います。私はボロボロ泣きました。
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