NO FENCEより 高政美さんの証言

 今年の2月13日に、北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会「NO FENCE」で証言した内容を一部紹介します。(※全文はこちら

 

1. 日本からの帰国者は 7 ランクに分類された.日本人妻は最下位  

 1963 年 10 月 8 日,3 歳のとき両親とともに日本から北朝鮮に移住し,2000 年に脱北した千葉優美子さん.講演ではまず,日本人妻の悲惨な境遇から語り始め た. 日本からの帰国者は 7 ランクに分類され,日本人妻と貧乏人は最下位に分類され, 山中に住まわせられた.

 1997 年から 1998 年にかけて日本人 43 名が 3 回に分けて里帰りをした.千葉 さん一家は中国に接する国境沿いの都市・新義州に住んでいたが,新義州から 3 人の日本人妻が候補に選ばれた.

 この 3 人は結局誰も里帰りできなかったのであ るが,受けた事前の教育のなかに,最後に恐怖教育と呼ばれるものがあった.里帰 り中に約束を破り北朝鮮の真実などを語った場合,公開処刑や恐ろしい強制収容所 に入れられるぞと,その恐ろしい実態を映像で知らされたというものであった. 強制収容所の存在と実態が記録映像で一部の市民に知らされていた事実が初めて紹介されたのである.

NO FENCE会報 Vol.38』 P.2

 夢見た生まれ故郷に帰れる。そのためには徹底的に脅迫されるわけです。戻って来た5人の拉致被害者もさぞかし事前に脅されたことでしょう。

 帰って来た日本人妻は、親兄弟からの質問に「配慮してもらっている。幸せに暮らしている」とまったく逆のことを言うはめになるわけです。こういう本当にありえないことをやってのけるのが北の暴君たちです。

3. 日本人は四つん這いで働かされていた

 2 月 13 日の千葉優美子(高政美)さんの証言のなかで,初めて聞く奇異なこと がひとつあった. お父さんは 1963 年 10 月に帰国し,長男が清津で「船から降りない,日本に戻 る」と主張して 49 号病院に入れられてから,1 ヵ月間お父さんは思想教育を受け, 1965 年から通訳の仕事をさせられていく.

(中略)

 1976 年 3 月,突然父がいなくなった.後でわかっ たことであるが,国家保衛部の収容所の独房(1 メートル四方)に入れられ,煉瓦 づくりをさせられていて,まもなく処刑される運命にあった. ところがお父さんの後輩で,総連中央の幹部で北を頻繁に訪問していた人が,お 父さんに会おうとした.お父さんが大変な事態にあることを知り,八方手を尽くし, お父さんは数ヵ月後の 8 月 31 日に家に戻ることができた.しかしお父さんの身体 は,1995 年頃飢えで死んだ人々の死体と同じで,臀部の部分もごっそり取れるく らいひどい有様であったという.

 そのお父さんがやがて娘の優美子さんに語ってくれた話が,今回の証言集会で語られた政治犯管理所の成立に関する話であった. お父さんから聞いた話のなかで,収容所の中で朝鮮人の犯罪人は立って働くこと を許されていたが,日本人は四つん這いになって働かされていたという.

(中略)

 ここに言う日本人とは,日本の敗戦後に北朝鮮に残っていた日本人やその子孫と思われる.彼らは番号札を背中に付けていたという.四つん這いになって働かされ るから,背中でないと判別できないからである.日本人は人間以下と見なされたのであろう. 

NO FENCE会報 Vol.38』 P.4-5

 戦慄を覚える内容です。四つん這いで死ぬまで働かされ、そして存在は忘れさられているわけです。決死の覚悟で脱出してきた高政美さんのおかげでこの人たちの存在が明らかになりました。この人たちだけでなく、韓国軍兵士や在日もとんでもなく残酷な目にあっています。

 ソ連のシベリア抑留には熱心なのに、これらの悲劇に注目しない愛国馬鹿が多くて本当に嫌になります。まぁ知らないだけなのだから責めるのは酷かもしれませんが、拉致被害者奪還を叫ぶわりに、北朝鮮コミンテルンの工作の歴史や、非道な行いを徹底的に調べていない人たちは、しょせん愛国ビジネスでお金もうけをしたい人たちなんだろうと思ってしまいます。

 いい加減、ネットにはびこる嫌韓論は北朝鮮コミンテルンが盛大に煽っていることを気づくべきでしょう。ネトウヨにとって最高のネタであるはずの朝鮮学校のソルマジ公演が、ネット上でほとんど注目されていないことに疑問を持つべきだと思います。

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