「昔の日本人はめっちゃ素晴らしい論」はありえない

今までの反動なのか、昔の日本人に妙な幻想を抱いている方々が増えているように思えます。

はっきり言って非常に恥ずかしいのでやめてほしい。

この辺は『大韓民国の物語』のまえがきで、韓国に対する鄭大均教授の指摘と同じ感想を日本の保守に対して抱いてしまいます。

日本統治の問題であれ、分断の問題であれ、韓国には多様な意見があるが、日本にこれまで紹介されてきたのは前述の民族ナショナリズムの系譜にある人々のもので、北朝鮮についても日本についても異口同音の内容が多すぎた。姜萬吉や宋建鎬や崔章集や池明観といった面々の著作がそれである。

といっても、保守派の側にいい作品があるというわけではない。これは保守派のみの傾向というわけではないが、韓国人による韓国論にしばしば見てとれるのは独特のナルシシズムで、それは韓国の外で自己形成をしたものには、韓国人に対する敬意をむしろ減退させてしまうものである。韓国には特別な受難の歴史があり、韓国人には特別な道徳心や知性があるなどという発想は、半島の外に住む人間に通用するわけがない。本書はおおまかにいえばその保守派、つまり反共ナショナリズムの系譜から生まれた本といえるが、そのマンネリズムの産物というよりは、刷新の産物であって、韓国保守派の歴史において画期的な意味をもつ本である。

(※鄭大均・首都大学東京教授のまえがきより)

大韓民国の物語』 李榮薫著 P5-6

この本は「横暴な民族主義」が幅をきかせてある韓国で、李榮薫教授が「人民裁判式」のリンチを受けるリスクを覚悟の上で書かれたかなり素晴らしい著書です。興味のある方はぜひご一読ください。

個人的に、日本の歴史書で一番お勧めなのは故・岡田英弘先生の著書で、韓国なら李榮薫教授の本ですね。二人とも、「歴史とは何か?」という命題に自分の答えを出して、定義しています。こういう人たちこそが、本当の知識人と言えると思います。

 

話しを戻して、昨今増えている昔の日本人はめっちゃ素晴らしいという言論ですが、かなりありえない発想です。もちろん中には素晴らしい「個人」はいたでしょうが、集団としてのモラル水準は、絶対い今の方が高いです。だいたい一昔前の日本人がどうだったかよく思い出した方がいい。現代の基準で考えたら、犯罪者ばっかりですよ。

飲酒運転なんてあたりまえ。
ヤンキー全盛期には学校の窓ガラスは全部割れてる。
学校でシンナーを吸っている。
高校生が屋台で酒盛り。
卒業式のお礼参りで体育教師のあばらをストンピングでへし折る。
暴走族が道路を爆走。
政治家の賄賂も桁が違うし、愛人もいて当たり前。

一昔前がそんなレベルなわけです。

最近の暴走族なんて信号守りますからね。本当に笑える。まぁ暴走族というより爆音族という方が正確かもしれません。

縦軸をモラル、横軸を時間としてグラフを描けば、普通に考えて昔になればなるほどモラル水準は下がっていくはずでしょう。

保守のありえないところは、昔になればなるほどモラルが高くて、江戸時代がMAXくらいに思っているところでしょうね。

逆にリベラルのありえないところは、現代の価値基準で過去の人間を断罪し、その罪を現代の人にあがなわせようとするところでしょう。

前者は「馬鹿」ですが、後者「野蛮」です。こういう人たちは愛国馬鹿と外道左翼と呼んで差し支えないと思います。

保守の人たちはこの本でも読んで、「昔の日本人はみんな素晴らしい」という幻想を捨てた方が良いでしょう。

昔の日本人はモラル低いな~、と思うこと請け合いです。

中国論を語る人で、道徳道徳言っているのは道徳が身についていないからそう言っている方がいます。おっしゃる通りですが、日本も同じなのに、なぜか「素晴らしい道徳教育が行われていた」という結論になってしまいます。そういう二重基準はやめてもらいたい。

この『「昔はよかった」と言うけれど: 戦前のマナー・モラルから考える』を読めば、いかに昔を美化したがる保守が幻想を抱いているかが分かります。

戦前の新聞記事を読んでも、昔の人間はみんな蛮族だな、と思えるような内容がたくさんあります。

『昭和ニュース事典Ⅲ 昭和6年/7年』から、労働争議の記事を紹介しましょう。

◎労働争議・岩手県大船渡鉄道工事
労務者同士か大乱闘、死者三人
〔昭和7年5月6日 岩手日報(夕刊)〕

四日夜八時頃より大船渡線第十三工区矢作詰所附近に於いて、日本人土工と朝鮮人土工とが各団結をくみ、両方兇器を持って大喧嘩をなし、負傷者十二、三名、死者三名を出した大事件あり、目下詳細調査中であるが、同村使役鮮人土工は去る三月中にも不穏の事あり、盛署より署員一同駆け付け取調べ中である。

昭和ニュース事典 (3)』 P769

昔の労働争議の記事は本当にありえないレベルです。普通に死者が出てますから。

ことの経緯が大変面白い。

解雇手当の要求がもつれ、惨事に
〔昭和7年5月6日 岩手日報〕

昭和ニュース事典 (3)』 P769-770

全文引用すると長くなるので箇条書きにすると、

  • 人が余ったので朝鮮人の松本以下土工一同を解雇
  • 昔、朴以下土工一同を解雇したとき二千円を帰国の餞別としてあげた例があった
  • 清水親分(雇い主)に、同じように解雇手当一千円を要求
  • 日本人某が「そりゃ取り過ぎだ、半金にまけろ」と仲裁
  • その際、「生意気だぞ!清水親分をあまりいじめるな!」と松本を殴る
  • 負傷した松本が手当のために医者に行く
  • 途中で日本人の中野に出会い、中野が松本に慰めの言葉をかける
  • 言葉が不自由な朝鮮人松本は、ちょっとした言葉のゆきちがいから憤慨
  • 松本、中野をぶちのめして負傷させる
  • これに憤慨した中野の日本人土工仲間が決起
  • 餅屋で朝鮮人土工が集まるのを聞いて襲撃をかける
  • フルボッコにされた朝鮮人土工たちは付近の山に逃げて立てこもる
  • 朝鮮人土工、ダイナマイトをもって日本人土工と対峙

野蛮人の集団ですね。昔の人間なんてみんなこんな感じでしょう。今じゃ考えられません。

昔の朝鮮人は日本人に鞭打たれて強制労働させられてた、という神話を信じている人たちがこの記事を読むと、「ほれ見ろ!朝鮮人は弾圧されてるじゃないか!!」、という解釈をしそうですが、「反撃する自由」がある時点で、今の北朝鮮よりははるかにマシでしょう。

さらに言えば、朝鮮人を殺害した日本人はきっちり警察に捕まっています。

どこかで、北朝鮮と植民地時代を比べて、「日帝時代はまだ法があった」という感想を書いてあるのを見ましたが、的確な表現だと言えます。少なくとも問答無用で公開銃殺をするようなことをしていません。

もちろんだからと言って、朝鮮人差別がなかったというつもりもないですし、日本植民地時代が素晴らしかったというつもりもないです。

そもそも朝鮮人土工は殺害されているわけですから、明々白々な被害者と言えます。

ただし、朝鮮人土工が被害者かと言うと一概には言えない記事が続きます。

下請負人が全協系一掃を目論んだ襲撃
〔昭和7年5月24日 岩手日報〕

昭和ニュース事典 (3)』 P770

死者まで出した、この「日鮮土工」間の乱闘事件ですが、最終的に仲裁者が入って、「朝鮮人土工は絶対に解雇せざること」、などその他の条件で手打ちとなります。

乱闘現場は警察の所轄から遠く離れた山中で起きたため、ことの経緯があまり知られなかったようです。

「昨年から労働争議が頻発し、下請負人等は土工等の羽振りに全く威圧せられた感があった」という記述があり、警察はこういう背景をまったく理解できなかったそうです。

下請負人の清水親分が、朝鮮人土工に解雇を言い渡したとき、「清水組一万二千円の総工費に対して、四千円の不当なる解雇手当を要求した」とあります。

三分の一です、三分の一。むちゃくちゃな要求と言えます。清水組に倒産しろ、と言っているに等しい要求でしょう。

ここまでを読むと、「ほれ見ろ!横暴な朝鮮人に日本人が困らされているじゃないか!」とか、「朝鮮人土工は解雇しないと言ってるじゃないか!むしろ日本人が被害者だ!」と言う愛国馬鹿が出てくるでしょう。

ところがどっこい、清水親分も負けていません。このままではジリ貧だと、家族を帰郷させ、自分の命をかけて土工側と闘争する決意をします。

この時点で、現代の労働争議とは別物だと分かります。何せ家族を避難させているわけですから。現代の労働争議とは別物でしょう。ヤクザの抗争と言う方が的確かもしれません。

そして、下請負人たちと協議して、この際全協系(労働組合)のだれそれをバラしてしまおう、と計画して朝鮮人部落を襲撃し、殺害に及んだそうです。

襲撃した下請負人側の大半は、殺人または殺人未遂罪で起訴した、ということで記事はしめくくられています。

今じゃ考えられませんね。

左翼は差別と弾圧を受けた朝鮮人が、、、と主張して、右翼は不逞朝鮮人に追い詰められた日本人がやむにやまれず決起したのだ、、、と主張しそうです。

リベラルな現代人から言わせればどっちも野蛮人ですよ。ろくでなし揃いだな、という感想以外ないです。ヤクザの抗争と変わらないですね。

もう一つ、朝鮮人は関係していない、日本人同士のありえない労働争議という名の暴動事件記事も紹介します。

◎労働争議・北中皮革
争議団員ら三百人が警官隊と乱闘
〔昭和6年12月18日 大阪毎日〕

重軽傷者三十余名 十七日午後八時ごろ、姫路市外水上村大日磧北中兄弟皮革会社の争議演説会が同市外花田村高木公会堂で開催された

(中略)

尖鋭化した争議団員はテロ行動に出で、これに同村民も加わって約三百余名は警官隊を包囲して、或いは竹槍を手に、或いは大石を投げつけて大衝突を演じ、制止もきかばこそ、盛んに猛襲するので警官もついに抜剣して各所で渡り合い、双方負傷者三十余名を出した。警察官中の負傷者は重傷六名、峰久警部以下軽傷者数名で、いずれも姫路市近藤、阿保両病院に収容、手当を加えたが、重傷者は前額部裂傷を負い、その他は頭部、足部に負傷し鮮血を流していた。

(中略)

惨憺たる現場 衝突現場の公会堂は見る影もなく扉、障子は破壊され、畳はめちゃめちゃに踏みにじられ、鮮血飛び散り、大小の椅子無数に散乱し、凄壮だった当時の模様が目のあたりに見受けられた。

(中略)

午後三時ごろ行われた争議団、村民のデモに対し解散を命じ首謀者八名を検束したため、激昂した村民は午後七時、寺の非常鐘を乱打し三百余名集合、村民大会の名の下に演説会を開いたので、姫路署員がこれに対し解散を命ずべく押し寄せ衝突したものである。

(中略)

かくて大衝突 さきに生産過剰のためアイドル・システムを発表した結果、職工全体が反対決議をなし、十一日以来罷業を行っている姫路市外の北中皮革工場の労働争議は漸次拡大し、村民、学童までがデモ隊に加わり、労資対立の情勢はますます硬化する模様であったが、十七日夜に至りいよいよその極点に達して大衝突をなし、ついに流血の不祥事を見るにいたったものである。

昭和ニュース事典 (3)』 P770

 

「血風 労働争議列伝!!」といった感じですね。

もはや「労働争議とは何か?」という哲学論争をしなければいけない状態です。

村民も加わって警官を包囲し、「竹やりと投石で盛んに猛襲」したそうです。

それに対抗して「警官が抜剣して鎮圧」です。本当にありえない。

ここで、2015/11/14の韓国の光化門前の暴力市民デモを見てみましょう。

「脚立と投イスで盛んに猛襲」、「警官が放水で鎮圧」、と言ったところでしょうか。

現代人の感覚で見てもありえないデモだと思えますが、これ以上に極悪なデモをやっていたのが昔の日本人です。

負傷者数十人出して、流血沙汰の大参事なわけです。

安田公会堂での安保闘争よりもさらに野蛮なデモが繰り広げられていたのが戦前の日本です。

昔の日本人は、和を尊び、規律を守る素晴らしい人たちだった、という幻想を抱いている愛国馬鹿が増えていますが、ありえない幻想と言えます。

左翼はよく神話を創造しますが、右翼もレベルは同じです。

どう考えても今の日本人が一番素晴らしいです。

それにしても昔の新聞記事は本当にありえない内容がてんこ盛りで笑えます。昔を知れば知るほど、現代に生まれて本当に良かったとしみじみ思うこと請け合いです。

だいたい、クーラーもない、冷蔵庫もない、洗濯機もない、掃除機もない、そんな非文明的な時代なわけです。

試しに真冬に川で手洗い洗濯をしてみればいい。

「あぁっ、冷たい!あ~~~っ!冷たい!!ぅぅぅ、、、強制労働だぁ~~~(泣)」

となるでしょう。

現代人からしたら昔の時代なんて生きていくだけで地獄ですよ。

子供が小さいから、という理由で炭鉱の狭い穴に入って石炭採掘してたりするわけです。今の基準で考えれば昔の会社など全部スーパーブラック企業でしょう。

どうも過去を美化してしまうのは、人間の病気のようです。

過去を美化するというよりも、悪いことを極度に恐れがち、ということかもしれません。

いじめ問題の報道などでも、「昔はこんな陰湿なことはなかった、、、」という反応する人が多いですよね。

よく考えましょう。昔のいじめなんてガチの暴力です。

「陰湿な言葉の暴力」より、「スカッとさわやか右ストレート」の方がマシだ、と言っているようなものでしょう。

さわやかだろうがなんだろうが、右ストレートの方が嫌にきまってます。

昔に比べて社会は良くなっているのに、どうもそれを認めて評価しようとしない。この辺は右翼だの左翼だの関係なく、人間という動物の性(さが)なのでしょう。

右翼は昔の人が素晴らしいという幻想を捨てて、左翼は昔に比べてどんどん良くなっていることを認めるべきでしょうね。事実を無視した神話を創造されると、無駄な議論に時間を浪費させられるので本当に疲れます。

最後に、『大韓民国の物語』から李榮薫教授の名言を紹介したいと思います。

死者からの解放を

・・・歴史を新しく解釈しなおすのに際して求められるもう一つの前提条件とは、歴史から自由になるだけの時代の精神であると考えます。

(中略)

歴史とはいったい何でしょうか。それは過去に対する人間たちの記憶でしょう。しかしその記憶がどうであろうとも、人間の精神は本質的に自由なのです。歴史とは、生きている人間たちの選択行為を規定する様々なもののうちの一つであるだけです。

これとは対照的に、前近代の人びとは歴史に従属して生きていました。我々の先祖は毎日早朝に祖先の霊を祀る祠堂に祈りを捧げ、祖先の霊と呼吸をともにすることで一日を始めました。

(中略)

このように死者の亡霊が生者の生活を支配していたのが前近代なのです。近代に入ると、人びとはこうした死者による支配から解き放たれました。死者が生者の足をひっぱる行為は、近代の到来とともに断絶されました。政治とは生きている人間の約束であり、選択にすぎません。これこそが近代政治の本質であると、私は考えています。

(中略)

韓国の政治は過去の歴史の亡霊から解放される必要があるという思いを強くします。政治とはただひたすらに生者が役目を務めるものです。未来のための生者の選択と約束にあって、もうこれ以上死者が生者の足を引っぱることができないようにしなければなりません。過去をあげつらう行為ほど愚かなことはありません。個人であれ、また集団であれ、あるいはそれが国家であれ、すべてにそれぞれの過去に関する記憶があります。みだりに他人の記憶を問題視してもらっては困ります。すべての記憶は民主的であり平等なものです。互いに異なった記憶を持つ人びとが満面に笑みをたたえ、美しい未来を建設しようと競い合い、また約束を行うのが現実の政治です。その点に関しては国際関係においても同様であると考えます。すでに数か年にも及ぶ「歴史戦争」がいつ果てるともなしに続いていますがそんなことは歴史研究者に任せてもらっても十分だと思うのです。

大韓民国の物語』 P336-342

「歴史とは過去に対する人間たちの記憶」
「歴史に従属し、死者の亡霊が生者の生活を支配していたのが前近代」
「政治とは生者のもの、死者が生者の足を引っぱる行為を防止してこそ近代」
「互いに異なった記憶を持つ人が美しい未来の建設を約束するのが現実の政治」
「いつ果てるともなしに続く「歴史戦争」は歴史研究家に任せておけ」

素晴らしい総括だと思います。

これを全部逆にやっているのが北朝鮮と言えますね。金日成と金正日という死者が、生者の足を引っ張りまくってますから。

歴史は歴史家に任せておけ、というのは安倍首相も良く言っていることです。左翼は極右のアベというレッテル張りが大好きですが、「どうでもいいわ!政治に持ち込むなよ、うざいな!」とよっぽど言いたいと思いますよ。

まぁ、それを言っちゃうと保守票が減るから言えないのでしょう。この辺の構図は、朴槿恵大統領が、挺対協をはじめ、横暴な市民団体に振り回される構図と同じです。

「親日親日うるさいわ!日本と仲良かったらなんぞ問題あるんかいっ!!」

と、ブチ切れてやりたい韓国の政治家は結構いるでしょう。それ言うと韓国の「横暴な民族主義」に、人民裁判式のリンチを受けるので言えないだけです。さらには落選確実です。

日本でもそういう「横暴な民族主義」を育てようとしているのが北朝鮮の戦略でしょう。韓国を分裂させることに大成功した手法をせっせと日本に適用していると言えます。

まぁ、日本ではなかなか流行らないですよね。幸福実現党や日大党の得票率を見れば全然うまくいっていないのが良く分かります。しょせんはネット上に作られた、水増しされた工作員アカウントが盛大に騒いでいるだけでしょう。

死者に人生をコントロールされているとしか思えない歴史論争はやめるべきでしょう。

リベラルと保守が見につけるべき歴史観というのは、「昔よりも今、今よりも未来、人類社会はどんどんよくなっている」、という楽観的かつ常識的な考え方だと思います。

双方ともに、「歴史を知れば知るほど、現代に生まれて本当に良かったと神に感謝する毎日です」、という考え方をした方が健康的でしょう。

不毛な歴史論争に付き合わされるのは本当に疲れます。

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