『北朝鮮人喰い収容所』 己と祖国を呪って死んだ青年

北朝鮮が隠し、日本のメディアも無視し、忘れ去ろうとしている脱北者の証言です。北朝鮮がこれを反省し、慰霊碑をたて、国家的行事として無残に殺された魂を供養してくれなければ、北朝鮮との国交正常化は不可能ではないでしょうか?核問題も良いですが、同じくらい人権問題を外交交渉での争点にすべきだと思います。

『北朝鮮人喰い収容所』 P103~108より引用します。

 

20歳の娘を殺して収監された李英白の犯行は、山の中の猛獣と異ならない残忍なものだった。

昔のことわざに「三日腹をすかせば両班(李氏朝鮮時代の上流階級、貴族)でもなんでもない」というのがある。恐らく、飢えて死ぬ瀬戸際に立てば、最後のあがきとして、考えられないようなことをしてでも、最大限の努力をするというのが人間の本能だと言えるだろう。たかだか25歳の英白のその犯行の理由を、私はしばらく知らなかった。彼は私と同じ監房ではなく、隣の5号房にいたからである。

もちろん人喰い犯の英白は南青と同じく、看守たちのひまつぶしの主な対象だったから、看守たちの話から、英白がどのようにして人を殺して食べたかのおおよそは知ることができた。

(中略)

彼の家では飴とモヤシの商売をしていたが、ほとんと売れないのでやめてしまった。九八年二月の初めから家族全員が飢えに苦しみはじめた。英白と彼の父だけが健康で、母と兄は病気を患っていた。英白は草粥をすすりながら、毎日のように山菜と木の皮で何とか食事をまかなっていた。

一九九八年三月一三日、この日も英白は草粥を食べて、斧と鎌をリュックのような背負い袋に入れて、近くの裏山へと入っていった。付近の住民がこれまであまりに頻繁に出入りして、草を採り、木の皮をはいでいたから、残っているものはほとんどなく、その日はもっと山深くに入っていった。

英白が低い山を越して、高い山に入り、木の皮をはいでいた時、一〇メートルほど下で見なれない娘が山菜を採っているのが目に入った。その娘の姿を見た時、人が人を殺して食べるという話が瞬間的に脳裏にひらめいた。まわりには誰もおらず、静かだった。もうどのくらいたったか分からないほど長く草粥だけしか食べていなかったから、数日をへずして自分も死ぬだろうと感じていた。

そんな彼に、目の前の娘は「生きた肉」としてちらついてしょうがなかった。こんなに腹をすかせて、おれもどうせ、もうすぐ死ぬ。誰もとがめやしない。だいたい見ている奴もいない。目の前の「あれ」を殺して持って帰り、ゆでて食えばいいんだ。そんな考えが頭から離れなくなった。

自分も山菜を採っているふりをしながら、少しずつ娘に近づいた。娘は英白も自分と同じように苦しい立場で、何とか飢えをしのごうと、山菜を採っていると思ったのだろう。かわいそうな身の上だと思いこそすれ、別に驚きも警戒もせず、英白にちらりと目をやっただけで、後はただ脇目もふらず、黙々と山菜を採りつづけていた。

英白は苦もなく娘の背後から近づくと、懐に隠していた鎌を振り下ろし、娘の後頭部にざりくと突き立てた。「ああっ」と、娘は大声をあげたが、英白はかまわず何度も鎌を突き刺し、さらに首筋に打ち込んで頸動脈を切り裂いた。

どれだけの血が流れ、どれだけの時が過ぎたのか。英白は返り血にまみれていた。足下にはもはや息をしていない娘の体があった。英白は娘の体を切り刻みはじめた。まず、手足を、そして首を切ったが、手足だけを背負い袋に入れ、家に戻った。首や胴体は埋葬せず、その場に投げ捨てたままだった。

(中略)

英白は、一九九八年三月一五日に逮捕、殺人罪として起訴され、一〇日後、咸鏡北道安全局の留置所に移管された。六月二五日、英白は死刑宣告を受け、刑の執行を待つ身となった。

「このイヌにも劣る野郎め、鉄格子の外に出てくるんだ!」
「この畜生め、お前それでも人間か!」

彼の話を聞いた看守たちは竹ボウキで彼を突いたり、叩いたりして、大騒ぎをするのが常だった。

「はい、私は死に損ないです。どうしてあんなことをしてしまったのか、自分でも思い及びません。あの時の自分は自分ではなかったようです。どうか殺して下さい」

こういう時は英白はいつもこれしか言わないのだった。同房の囚人たちからも英白は罵声を浴びた。

「こん畜生め! いったい何だって年若い娘を切り刻んで食べたりするのか」
「こいつの中には獣と同じ性根が棲んでやがるんだ」
「そうだ、上っ面だけ人間なのさ。ああ、おっかねえ」

しかし、彼はひたすら「自分でもわけが分からずにやりました。どうしてあんなふうになってしまったのでしょう」と答えるだけだった。

英白は地下室で秘密裡に行われる処刑を待たず、自ら断食をして九八年七月九日の夜九時に死んだ。私が仮釈放されるちょうど前々日のことだった。看守たちをはじめ、誰もが彼が断食しているということを知っていたが、「どうせ死ぬやつなのだ」と言って、英白の食事を他の囚人に回し、彼か静かに死んでいくのを待った。

しかし、英白も死の直前には狂ったように北朝鮮の社会を呪った。

「ああ、この畜生のような国め!おれはどうしてこんなふうになったんだ!コメを与えられない国家に罪はないのか!!」

青年なら、誰もが夢も希望もふくらませて生きている。英白も例外ではなかった。しかし、それらを花咲かせる機会は永遠に訪れず、罪人の中でも最も不道徳な殺人者となって国家を呪い、天神ともに怒りながら、自ら死を選ぶことによって、冥土へと旅立っていったのだった。

北朝鮮人喰い収容所―飢餓と絶望の国』 P103-108

 

これが1990年代に起きた、苦難の行軍で死んだ300万人の餓死者の実態です。
朝鮮学校の教科書では、これをまったく教えていません。それどころか、苦難を乗り越えて、強盛大国への大躍進した偉大な行為として書かれています。将来、この手記を読んだとき、朝鮮学校の子供達はどう思うでしょうか? 自分の母校を憎んでしまうと思います。 なぜ先生たちは事実を教えてくれなかったのか? そう怒ると思います。

この人達のために、黙とうを捧げ、涙し、北朝鮮政府の悪逆非道に怒ってこそ、真の朝鮮民族の民族教育ではないでしょうか?朝鮮学校は、子供たちに残酷な教育をしています。
「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が、朝鮮学校の教科書を翻訳してくれています。
その翻訳版の教科書から、苦難の行軍がどう書かれているか引用します。

「苦難の行軍」と社会主義強行軍

1990年代の中ばになると、共和国では建国以来、もっとも厳しい難関が作りだされた。民族の大国喪(金日成の死去のこと)を契機に、共和国を孤立圧殺、窒息させるためのアメリカと帝国主義連合勢力の策動はますます悪練に敢行された。

帝国主義連合勢力は軍事的な圧力を強める一方、経済封鎖の度を強め、他の諸国が共和国とはいっさい経済協力関係をもたないようにさせた。

こうして第3次7ヵ年計画遂行以降、経済的難局を打開するために提示された新しい革命的経済戦略(原注:1993年12月、朝鮮労働党中央委員会第6期第21次全員会議で示された農場第一主義、軽工業第一主義、貿易第一主義の経済戦略をいう)も、そのままでは貫徹できなかった。

それだけでなく、米日「韓」が結託してあらゆる手段と方法を駆使し、共和国を内部から瓦解させようとした。

このため共和国人民は、帝国主義連合勢力と単独で立ち向かい、政治、経済、軍事、思想、文化にいたる全面対決戦である「銃砲声なき戦争」を展開しなければならなかった。

そのうえ、社会主義市場の崩壊で共和国の伝統的な対外市場構造が崩れ、原料と資材、設備などが入ってこなくなり、何年間も続いた自然災害までが重なり、農業生産が莫大な支障を受けた。

きびしい難関が前途をさえぎると、隊伍の中では尻込みし動揺する傾向があらわれた。

生みだされた難局を突破するか、それともへたりこんでしまうかは、国と民族の尊厳と自主権を守りぬくか、それともふたたび植民地奴隷になりさがるかの死活的な問題であった。

敬愛する将軍様におかれては、主席様が銃身で開拓された朝鮮革命を銃身で最後まで完成させるという確固とした決心のもと、先軍の旗印をさらに高く掲げ「苦難の行軍」を断行することを決心なされた。

1995年1月1日、朝鮮人民軍第214軍部隊(タバクソル哨所)を訪ねられた将軍様は、人民軍を無敵必勝の強軍に強化し、国の防衛力を鉄壁に固めることに第一義的な力を入れることについてお教えくださった。

そして、人民軍に困難で苦しい経済建設の課業をお与えになり、彼らが人民の幸せの創造者になるようになされた。

人民軍を革命の主力軍、国の大黒柱として押し出してくださった敬愛する将軍様の信任に限りなく鼓舞された人民軍将兵たちは、「祖国の防衛も社会主義建設もわれわれがすべて担おう!」というスローガンのもと、社会主義祖国をたのもしく守る一方、困難で苦しい対象建設を直接ひきうけ、人民軍隊の威容を力強くとどろかせた。

安辺青年発電所の軍人建設者たちは、最高司令官同志の命令を貫徹するまでは、祖国の青い空を見ないと誓いあいながら、あいつぎおそって来る難関を克服し、100里の水路トンネルを貫通させた。

将軍様におかれては1996年6月、安辺発電所を訪ねられ、彼らが発揮した英雄的な闘争精神を「革命的軍人精神」と規定され、全国に一般化させられた。

革命的軍人精神は、またたく間にすべての部門すべての単位に急速に広がり、「苦難の行軍」を早める威力ある力となった。

延亨黙をはじめとする慈江道内の幹部たちと人民は、革命的軍人精神を高く発揚し、自らの力で数十個の中小発電所を建設し電力問題を解決し、高山地帯で2毛作、3毛作を成功させ、食糧問題までみずからの力で解決する模範を創造した。

この過程で社会主義守護精神であり、社会主義強行軍の威力ある推進力である江界精神が創造された。

将軍様におかれては1998年1月、「最後の勝利のための強行軍、前進!」のスローガンを示され、みずから強行軍の先頭にお立ちになり、慈江道の労働階級をまず訪ねられた。

そして、3月には城津製鋼連合企業所をお訪ねになられ、新しい革命的大高潮の蜂火・城鋼の峰火に点火してくださった。

慈江道と城鋼で燃え上がった大高潮の炎の中で、朝鮮人民は「社会主義の勝利が見える!」、「進む道はけわしくとも笑いながら行こう!」との信念のスローガンを高く掲げ、新しい飛躍と革新をなしとげ共和国創建50周年を勝利者の大祝典として意義深く迎えた。

共和国人民が断行した「苦難の行軍」・強行軍は、難関と試練の前でただ耐え忍ぶだけではなく勇敢に立ち向かい、禍を福に、逆境を順境に転換させ、社会主義強盛大国建設の跳躍台をととのえた朝鮮式行軍であった。

「苦難の行軍」・強行軍のたたかいを通して、敬愛する将軍様がお示しなされる先軍政治の正当性を深く体得した共和国の人民は、こぞって将軍様を国家の最高首位に戴くことを切実に願った。

人民の願いどおり、敬愛する将軍様におかれては、1997年10月8日朝鮮労働党総秘書に、1998年9月5日には最高人民会議第10期第1次会議で朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長に推戴された。

これが、朝鮮学校歴史教科書の300万人の餓死者を出した、苦難の行軍の書き方です。主張するところはこんなところでしょう。

  1. 帝国主義国家の孤立圧殺政策のせいで、追い込まれた。
  2. このままへたりこんでは、植民地奴隷に戻ってしまう。
  3. 敬愛する将軍様は、銃身で開拓された朝鮮革命を銃身で最後まえ貫徹することを決意。
  4. 「先軍政治」と言う名で、人民軍を経済建設に投入。
  5. 敬愛する将軍様に鼓舞された人民軍兵士たちが、電力問題を解決し、食糧難も解決。
  6. 困難を耐え忍び、禍を福に、逆境を順境に転換させ、社会主義強盛大国建設の跳躍台をととのえた朝鮮式行軍と総括。
  7. 人民は金正日将軍様の素晴らしい業績に心服し、最高指導者への推戴を切実に願ったと締めくくる。

大絶賛です。どれほどの餓死者を出したのか、一切触れていません。人民軍が盗賊集団と化して、畑の作物が奪われていったことも一切書いていません。それを「彼らが人民の幸せの創造者になるようになされた」と表現するなどありえない嘘八百教育と言えます。

飢えのあまり見知らぬ娘を殺し、収容所で容赦ない暴力を受け、己と祖国を呪って死んでいった青年のことなど一切忘れ去られています。

政治犯収容所で、人間を家畜化する残虐非道な行いも一切書かれていません。帰還事業で帰った在日の娘が、父のスパイ容疑で逮捕され、日本の親族に手紙を書こうとしたのが見つかり、その紙と鉛筆を誰からもらったのか自白させるためにひどい拷問を受けたことも書かれていません。陰部に蛇を押し付けられ、犬の陰茎をなめさせられ、火かき棒で膣を乱暴に掻き回され、最後はそれを蹴り上げて殺される。そんな在日帰還者の残酷な末路が一切書かれていません。

そのかわりに書かれているのが、「敬愛する将軍様」を褒めたたえる教科書です。在日同胞の学校として、絶対に教えなければいけないことを教えていない。これこそが朝鮮学校の最大の問題点です。それを教えたあとに、この「敬愛する将軍様」が乱舞する教科書を使おうとしたら、子供達が反乱を起こすでしょう。それくらいの残虐なことを、在日同胞に容赦なく行ってきたのが、「敬愛する将軍様」なのです。本当に残酷な教育を子供達にしています。なぜこんなことができるのか、まったく理解できません。

このような子供の学ぶ権利を蹂躙する教育は今すぐやめるべきでしょう。昔と比べて良くなってきているなど詭弁以外のなにものでもないです。本当に無条件に朝鮮学校を擁護している人たちを見ると、朝鮮学校を潰したいのではないかと疑ってしまいます。

(※過去記事をUpdate)

“『北朝鮮人喰い収容所』 己と祖国を呪って死んだ青年” への 2 件のフィードバック

  1. はじめまして、めろんです。
    北朝鮮に関するサイトが少なく、初めて知ることばかりで大変興味深く拝見させていただいております。

    太陽の下での記事にあった、自分の好きなことが分からなくなるような子供の教育は虐待ですね。
    以前テレビか何かでソルマジ公演のようなものを初めて見たときは気持ち悪いとしか思わなかったのですが、今は朝鮮学校の生徒がすごく可哀想に思えてなりません。

    一刻も早く北朝鮮が崩壊して解放されることを願うばかりですが両国ともに嫌韓と反日により反共にフィルターがかかり中国や北朝鮮への脅威レベルが下がっているような気がしています。
    日韓離反工作と知りつつも、侮日への溜飲を下げるがごとく韓国の赤化万歳のような書き込みも見られます。

    韓国の赤化に一番恐怖を感じているのは脱北者の方々だと思うのですが、なかなかその声を見つけることができず…改めてこちらのサイトで嫌韓や反日より中国や北朝鮮みたいな人命の軽い国に対する反共が重要だと気づいてほしいと思います。

    1. コメントありがとうございます。
      結局、北朝鮮のホロコーストがかすむほどの政治犯収容所のことが、慰安婦並みに日本人と韓国人の常識になっていないことが最大の問題だろうと思います。
      北の収容所のことを知れば知るほど、嫌韓だの反日だの、植民地支配がどうとか、どうでもよくなりますから。

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