『北朝鮮人喰い収容所』  弟と妹を殺して食べた兄

北朝鮮人喰い収容所―飢餓と絶望の国』 黄万有著

北朝鮮が隠し、日本のメディアも無視し、忘れ去ろうとしている脱北者の証言です。北朝鮮がこれを反省し、慰霊碑をたて、国家的行事として無残に殺された魂を供養してくれなければ、北朝鮮との国交正常化は不可能ではないでしょうか?核問題も良いですが、同じくらい人権問題を外交交渉での争点にすべきだと思います。

『北朝鮮人喰い収容所』 P88~96より引用します。

 

正植は五人兄弟の長男で、長女、すなわち彼の一番上の姉は戍鏡北道茂山郡の農村に嫁いだ。二番目の姉も延社郡で農業を営む男に嫁いだ。家には父と母、正植、妹、そして弟が暮らしていた。

(中略)

先行きが見えないまま、手持ちのものは何もかも底をつきはじめた。父はあらん限りの努力を尽して、せめて子供たちの命をつなごうとしたが、奮闘空しくついに一家は貧困の極限をさまようようになった。夕方になって、トウモロコシでうどんをつくって売りに出ようとすると、安全部の巡察隊に出会い、売ってはならないところで売っていると警告を受け、すべてを没収されることもあった。こうなると、どこか静かな場所に座り込んで、飢えで眠るように死んでいく方が楽だという考えもちらついてきた。万策尽きた両親はついに自分たちが生きのびることをあきらめた。遺産としてトウモロコシ三〇キロを子供たちに残すと言って断食を始め、その言葉通りほどなくこの世を去った。

「アボジとオモニがどれほど社会を恨んで死んでいったか、ご存じでしょうか? 本当にそれは、私たちだけのことではありませんでした」

村の人びとは、すきっ腹を抱えてよろよろしながらも、彼の両親を葬ってやろうと、スコップを抱えて彼の家にやってきた。一昔前ならば、亡くなった者の家には多くの人が酒や米を持って訪れ、葬儀の家だということが外からすぐ分かる提灯のような灯を家の外にかけてくれ、多くの人びとが黙とうし、故人を悔やみ遺族をいたわってくれたものだった。

しかし、それはもうすっかり昔の話になってしまった。昔なら死んで三日間は、棺に入れられて家に置かれたが、彼の両親は亡くなった翌日に埋められた。故人に捧げる酒一本ぶらさげてくる者さえないのが、ふつうのことになっていた。

両親の遺体が山の高みに設けられた共同墓地に移されていくのを見送って、村中の人が泣いてくれた。

「私たちもいっしょに埋めてほしいよ」
「ひと月もたたずに私たちも死ぬんだから、あっさり逝けるんなら、今死んだ方が楽だよ」
「埋めて下さい」

正植の妹と弟は天を仰いでは泣き叫び、地にひざまずいてはとめどない涙をぽたぽたとたらして、呪いの言葉を吐いた。社会に、政治に恨みを述べ、死にたいと訴えたが、生きた人間を埋めるわけにはいかないから、その訴えが受け入れられるはずもなかった。

(中略)

結局三人はそのまま死ぬ道を選び、一日また一日と何も食べずに絶食の日を送り、力尽きるのを待った。

すると、とうに死ぬ覚悟はできているつもりだったのが、ただ食いたい、生きたいという渇望が、本人たちの考えや気持ちとは別に、体の中からわき上がってきた。早く死にたいと思うのに、もはや体はがりがりにやせ、寒気と衰弱で身動き一つする力も出ないのに、目だけは三人ともぎらぎらと輝いていた。そうして、しゃべる元気のないままに、兄弟同士ぼんやりとお互いを見合っていた。

そのうち、弟がこんなことを言い出した。

「兄さん、ぼくたち、こんなふうにして死んで行くのかな。夢だって希望だってたくさんあったんだよ、それなのに……コメの飯でもいっぺん腹一杯食べて死ねたら、どんなにいいかなあ、ねえ、兄さん……」
「おコメのご飯、一杯でいいから食べたいよ、お兄ちゃん……」

からっぽな体に皮だけ張りつけたような弟と妹の顏には最後の涙が、するすると流れて落ちた。

これが弟と妹の最後の夜なのだ。ふつうに考えれば逝くべき年齢ではない。わんぱく盛りで、外を飛び跳ねているべき弟と妹が、食べるものさえなく、両親がそうなったように、兄ともども飢えて死んでいくとは……。残された子供たちも両親の後をついて歩いているようだった。

それからさらに一日、二日が過ぎた。しゃべる元気もない弟と妹は正植の顔を見ているばかりで、何の反応もない。何かを言っているようであるが、声が細く、ろくに聞き取ることもできない。シューシューという呼吸音のような音が、実はささやき声だということがかろうじて分かる程度だった。生きたい、何かを食べて生きたいという哀願の声らしかった。いつ明けるとも知らない窓の外の夜空を眺めては、幾度となくため息をつき、無念さに拳をこんこんと床に叩きつけて、慟哭のうめきを漏らした。

どれほど時間がだったろうか。弟と妹は眠りこけていた。このまま三人で死んでいくしかないのか? あるいは思い切れば一人で生きていけるのではないかというオオカミのような本性が、ふと正植の脳裏にひらめき、頭の中を駆け巡りはじめた。

どこからそんな力が生まれたのか、正植はむっくりと立ち上がると、台所に行き、斧を握りしめて、部屋に戻った。足下に見た弟はイヌに、あるいはブタにでも見えたのだろうか。その時、正植の目の前にあったものや、頭の中に浮かんでいたもののことを、彼自身よく覚えていない。それは近くにあるのに、何か遥か遠くにある感じがした。一瞬、もやが渦巻いて、むくむくとうごめいているのが見えた。ものの分別ができる状態ではなかった。

バサッ。

「うわーッ」

バサッ。

妹と弟の頭に斧を打ち下ろした。

一〇日も何も食べずにいた弟と妹はその一撃でわけもなく息絶えた。正植はなおも朦朧とした頭のままで、二人の体を牛やブタの仔のように切り裂いて、ぺっこりとへこんだ腹の皮まで肉だと思い込んで、鍋に放り込んで煮た。人間の肉なのか、動物の肉なのか、自分が殺したのに、その自分にもよく分からない感じがした。とにかく、彼は食べた。精神状態がふつうではなかったから、食べられたのだった。だから、とにかく彼自身は生きのびることができた。しかし、弟と妹は彼の手によって殺されることになってしまった。

正植は食べ残した二人の頭、そして骨を、なおもぼやけた頭のまま、台所の隅に積み上げた。そして、何だか矢も盾もたまらない感じで、家を飛び出し、七日かけて咸鏡北道延社郡にある姉の家にたどり着いた。

(中略)

そして九八年五月一〇日、彼を逮捕して咸鏡北道安全局の留置所に拘留した。

これが金正植の運命である。もちろん、彼は裁判所で死刑宣告を受けた。

「私の最後の願いは、留置場の飯でいいから、腹一杯食べて、満腹して死にたいということですよ」

彼が最後に言い残したのはただそれだけだった。

彼が罪を犯したのも、その家族がすべて死に絶えてしまったのも、北朝鮮の政治が生んだものであることは明らかだった。

「誰でもいいですから、お願いですから、生きて外の社会に出たら、必ずこの事実を広く社会に知らせてください。お願いします。お願いします」

彼は自分の地獄のような体験が世間に知られることだけを望んでいた。しかし、北朝鮮当局はこのような犯罪者たちの存在を隠蔽していた。社会主義の国で人間が人間を殺して食べるということが知られれば、たちまち労働党の恥さらしになるということを司法当局者もよく知っていた。
だから、人喰い犯たちは公開処刑の対象にできなかった。後に紹介するように、秘密裏に地下室に引きずり込んで、誰にも知られないままにあの世に送るやり方で、彼らの忌まわしい人生を力ずくで片づけていたのだ。

私が仮釈放された九八年七月一一日まで、正植は留置場にいた。

「兄さん、達者でね」

その日も、正植は私に挨拶しながら、手を振って別れた。泣きも笑いもしていなかった。私にとってはいいことだと思えたが、お互いにこの世でもう二度と顔を合わせる希望はないといってよかったから、明るい表情で見送ることはできなかった。また、とうに人間としての人生を放棄していた正植にとっては、涙を流す気にもなれなかったのだろう。

今頃彼は地の底のどこかで眠っていることだろう。正植が残した遺言に従い、私はこの惨劇を全世界に知らせようと決心した。

北朝鮮人喰い収容所―飢餓と絶望の国』 P88-96

 

この残酷な事実が、ほとんど知られていないことに愕然とします。平和を愛するリベラルたちは、いったい何をしているのでしょうか?

保守も愛国愛国言っている暇があるなら、このことをもっと自国の国益のために利用しようという、したたかさを身につけてもらいたいものです。

子供達に食べ物を残すと遺言し、断食して餓死する。子供達は親と一緒に埋めてくれて懇願する。飢えのあまり、兄は弟と妹を殺して食べる。死刑を待つ身の兄は、このことを社会に知らせてほしいと願って死んでいった。このことを語り継がずに朝鮮民族の民族学校を名乗る資格はないでしょう。ましてや、おぞましくも、「敬愛する将軍様」と書いた教科書を使うなど論外のはずです。朝鮮学校は、朝鮮民族としての誇りを踏みにじる、残酷な教育をしています。

最悪なのは、このような悲劇が繰り広げられていたその横で、この地獄を引き起こした独裁者を褒めたたえる公演を、朝鮮学校の子供にさせていることでしょう。

この公演がどれだけ子供の心を深く傷つけるかまったくわかってない。

この公演が無償化裁判の争点にもなり問題視されているのに、一向にやめようとしない朝鮮学校と、やめさせようとしない周りの支援者が本当にありえない。

他人事ではなく、帰国事業で北送された在日同胞も同じような地獄を味わったわけです。他でもない朝鮮学校の卒業生や先生、在日の友人知人、親類縁者です。日ごろ子供の学ぶ権利だの人権だのを力強く要求するわりには、この人たちには信じがたいほどに冷酷です。

「誰でもいいですから、お願いですから、生きて外の社会に出たら、必ずこの事実を広く社会に知らせてください。お願いします。お願いします」

こうやって死んでいった朝鮮同胞が数えきれないほどに存在しています。

このことを語り継ぎ、この人達のために涙し、黙とうを捧げ、冥福を祈る。そういう行事を朝鮮学校にはしてもらいたいと思います。それでこそ朝鮮民族の民族教育であり、在日一世や帰還事業9万3千人の同胞に、胸を張って誇れるウリハッキョ(我々の学校)と言えるのではないでしょうか?

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“『北朝鮮人喰い収容所』  弟と妹を殺して食べた兄” への 2 件のフィードバック

  1. めろん

    先日の好きか嫌いか言う時間という番組に出演なさっていた日本人妻の方も人肉を食べるなど普通の精神状態じゃなかったと言ってましたね。

    金正恩を潰すとか倒すとかそんな考えではなく、生き残るためにも普通の国になりなさいという言葉が切実というか重いというかなんとも言葉がなかったです。

    アメリカでも拉致されたスネドンさんのことが取り上げられてましたし、核問題とともに拉致解決の道も考えてくれると有難い。

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