朴烈の『神戸事件の教訓 : 我等は子弟を如何に教育すべきか』

神戸事件に端を発したその後の阪神教育事件、朝鮮学校では徹底して神格化がはかられています。

もちろん生涯学習式に、在日の歴史を語るあらゆる本でも、大変肯定的な書き方をされています。

その認識と一線を画するのが民団初代団長の朴烈でしょう。

暴動は暴動であり、朝鮮人への偏見を助長する行為であり、同胞全体の汚濁として肝に銘じ、深く反省すべきと呼びかけています。

その他にも「政治目的のために教育を歪めては奇形児を生むことになる」、と指摘するなど、今の朝鮮学校の体たらくを見れば、朴烈氏の先見の明に驚かされます。

朝鮮戦争時に捕まって北朝鮮に連れていかれ、反共から容共に転じたと言われていますが、そんなもの北朝鮮で生きていくためには当然のことでしょう。逆らえばこの世の地獄である収容所送りになるわけですから。

朴烈の書いた、『神戸事件の教訓:我等は子弟を如何に教育すべきか』を見ながら、今もそのまま朝鮮総連と朝鮮学校にあてはまる素晴らしい指摘をとりあげます。

 

神戸事件の教訓 ~我等は子弟を如何に教育すべきか~
(当時民団団長) 朴 烈

目次

一、静かに省みる
二、汚点を見る
  1、不利な条件
  2、対日関係の悪化
  3、乗ずる共産党的小児病
  4、子弟に与えた影響
  5、教育者えの影響
三、日本当局の措置について
  1、官僚的サボと画一主義
  2、日本官僚の封建的高圧態度
  3、国際的見識の欠乏
  4、大局を見失う態度
  5、政府を理解せぬ態度
結論

 

神戸事件の教訓
-我等は子弟を如何に教育すべきか?-

一、静かに省る

在日朝鮮人学校問題は日本側当局との間に諒解成立して解決を見たが、事今日に至る間幾多の迂余曲折を経、あまつさえ所謂神戸事件として神戸市日本当局との間に紛乱を生じその結果多数の朝鮮人同胞が軍事裁判に或は一般裁判に附される等、多くの犠牲者を生じたことは事態の善悪曲直を別の問題として遺憾の極みと言わなくてはならぬ。

われわれは、深く反省沈潜し、再びかくのごとき犠牲を払うことなく、生起された問題は合法的に、平和裏に、そして大国民的襟度をもって円満に解決に導くべく、あらゆる努力を払わなくてはならない。

若しそうした努力を怠るならば、今回の事件に現われたように、朝鮮人の立場が非常に誤解され、朝鮮人に対する世界各国の認識を誤まらせるに至るであろう。

合法的に、平和裏に、節度をもって円満に解決へ導くべし、と主張しています。

素晴らしい見識ですね。

北の暴君と一緒になって在日朝鮮人から収奪を繰り返した韓徳銖とは次元が違います。

日本国内において惹起された朝日両国民間の紛争はひとり両国間において注目されるばかりでなく在日世界の各機関、並に連合国が同様に注目しており一度日本占領軍機関の裁断を受けるようになれば公然と世界に対して不信を買うことになる。

この点を冷静に判断するならば、そして将来朝鮮の統一独立により国際的地位を確保しなければならぬとするならば、小さな己れを殺して民族百年の大計に生きるの襟度を養なわなくてはならぬ。とくに青年知識層指導層にある諸士においてはこの点沈思するところなければならぬと思う。

神戸事件がもたらした大きな教訓は、実に以上指摘した一点に初まる。

日本に限らないが、とくに日本は現在連合国の占領下にあり、そこに生活する朝鮮人われわれは日本政府と同時に占領軍当局の公安秩序維持の方策に対し、全幅的な信頼をよせ、いやしくも民族の襟度を破ってこれに背反することがあっては、勢い信を連合国全体に対し失う結果となる。

顧みて神戸事件は正に世界に対して信を失ったと思う。

これは在日朝鮮同胞全体の汚濁である。

われわれ同胞が祖国同胞の信任に応えることなく日本においてこうした事件を惹起したこと自体をわれわれは遺憾とする。

この汚濁について、相手国たる日本当局に対しては後述するとして、第一に自ら同胞信頼に背反し、その結果が軍事裁判に付せられる至ったこと自体をわれわれは汚濁として銘記するのである。

そして将来の禍根を芟除するためにこの汚濁を強く民族全体の汚濁として銘記しなくてはならぬということである。(※芟除=さんじょ。良くないものを取り除くこと)

ちなみに従北史観に汚染された在日知識人(たいがい朝鮮学校卒業生)の著書を読むと、せっせと朴烈叩きをしています。まぁ要は民団叩きです。

基本方針は、民団=右翼という印象操作でしょうね。右翼=悪、という情緒を形成する朝鮮学校の教育を受けた子どもが民団に対してどう思うか予想がつきます。

頭のおかしい暴力上等の共産主義者が、まともな人たちに親日派のレッテル貼りをして追い出し、その人たちが結成した団体が民団と言えます。

そういう事実はうま~く、隠蔽・歪曲して在日の子孫に対し、あくなき歴史洗脳プロセスを行い、北の暴君にとって都合の良い行動と発言をするようせっせと情緒誘導をしてきます。

大暴動を起こし、連合国に対する信頼を失った結果、色々と不利な状況に追い込まれていったことを反省すべきでしょう。当たり前のことのはずが、なぜか民族教育を守るために在日一世たちが闘争したという神話になっています。

朴烈の主張は、日本に例えるなら、「真珠湾攻撃という自国が不利になる馬鹿な作戦を遂行した己の無能を恥じるべき」というのと同じです。この大暴動を神話にするようでは、「大東亜戦争=聖戦」という神話を信じてる馬鹿な日本人と同レベルと言えます。

ついでわれわれに要請されるのは自らその立場に対する反省である。この立場とは祖国朝鮮同胞全体としての立場であり、また日本に在住する朝鮮人としての立場である。

その一点を考えるならば日本人共産当的小児病患者と一諸になり、或は彼等を先達として集団暴力的行動に訴えることは何を措いても充分将来のために反省したい。

共産党主義者には共産党主義世界化を目ざす一つの政治哲学というべきものがあり彼等は集団的暴力行為を切っかけとして暴力革命遂行の導火線たらしめようとなっている。

そして事あるごとに何等かの機会を把握してはその革命行為を前進させようとしている。

しばしば朝鮮国内に起る小暴動的行為はその前哨戦である。

そうした共産党主義患者の共通した小児病が敗戦後の日本にはある程度実勢力を以っている。共産党が合法政党として是認されたことにもよるが、破壊された秩序の上に共産党的小児病が活発に活動出来るのは容易である。

大多数の純真なる同胞がその一部に乗ぜられて不知不識の間に深入りして事件を構成した点—その過程をわれわれは容易に想像出来るのであるが、今は彼等小児病患者の盲動を非難する前に自らこれを反省の素材としたいと思う。

この意味では、この犠牲が彼等共産党的盲動を正確に批判する最大の契機となったと見られ、この契機をもって再び彼等の盲動に乗ぜられないよう反省を必要としよう。

「共産当的小児病患者と一緒に行動するな」
「集団暴力的行動に訴えることは何をおいても反省すべし」
「共産党は暴力革命を起こし世界共産化を狙っている」
「朝鮮国内の小暴動はその前哨戦」
「この事件を契機とし共産主義者の盲動に乗せられるな」

う~ん、素晴らしい。この時、すでに共産主義の危険性を見抜いていたことになります。

ただ、在日の多数の共感は得られなかったのでしょう。民団団長への再選を果たせず、失意の中で韓国に戻ります。その後、朝鮮戦争で捕虜となって北へ連行され、容共的な著作など書いて生涯を終えます。

朴烈が再選できていれば、また違った在日の歴史があったかもしれませんね。

暴動を神話にした朝鮮総連と、信頼を失う盲動と反省した民団。その後の歩みを見れば、どちらが正しかったかは一目瞭然でしょう。

ついで、われわれは、これを機会にわが子弟を教育すべき方針、方向についてもこの際真剣な努力を払う必要があると思う。

即ち、一つは祖国独立未完成に禍されているが、教育問題は寸時もゆるがせに出来ないし、在日本同飽の教育方針は極めて複雑で困難を伴い、一朝一夕に新方針を編み出すことは出末ない。

日本人婦人を妻として長年月日本に在住した同胞子弟は祖国語さえも知らない、祖国を見たこともない。こうした子弟にはそれに相当した教育により次第に朝鮮を知らしめる必要がある。直ちに強制することは不可能である。

係争中心となった朝鮮語使用問題も教育の本旨として絶対的であるが実情に即して実施する方法が選ばれても支障はない。

現実的ですね。

即朝鮮語強制して、朝鮮語を喋れない奴は小ばかにする。

そういうことはやっちゃいけません。

それにも増して重大なことは基本的教育方向が決していないことである。

もしあるとすれば一つの政治的偏見の下に考案された方針であり、これは教育の本旨を冒読すると言いえるものである。

およそ教育はそうした政治的目的の埒外にあって、朝鮮と世界とを知らしめ、事物のよって起る根本を究明する—真理の探求に向けられなくてはならぬ。

その使命を逸脱して一つの政治的目標の線に教育を歪めしめるならば、純粋無垢なる童心は似て非なる教育禍により恐るべき奇形児を生むに至るであろう。

ここがすごい。

すでに民族教育の教育内容が、「一つの政治的偏見の下に考案された方針」だと見抜いています。

「教育とは政治的目的の埒外にあり真理の探究に向けるべき」という意見など今でも十二分に通用します。

その使命を逸脱しては、「純粋無垢なる童心は似て非なる教育禍により恐るべき奇形児を生むに至る」という苦言など、朝鮮学校や朝大の歴史を知れば知るほど、朴烈の正しさを証明しています。

ただまぁこの時代の朝鮮学校の運営方針を責めるのも酷です。北朝鮮は社会主義を実現した素晴らしい国という大嘘が信じられていましたから。

北朝鮮が良い国になれば、北朝鮮の公民化教育を朝鮮学校でしたことも正しかったことになっていたでしょう。全ての間違いは、「盲従」してしまったことでしょうね。

日本政府や韓国政府に対しては、元気一杯に反権力市民デモ闘争をビシバシやるのに、北朝鮮に大しては借りてきた猫のように大人しくなります。

民族意識とはやっかいなものですね。身内が犯罪を犯しても身内だからなんだかんだと擁護してしまうのと似たところがあります。

われわれは如何なる政治形態をもなくてはならないか?

それは建国の途上において政治的討議の渦中から自ら学び取るであろう。その結果国民的意欲を基底にして一つの政治形態は育まれてくるものであるが、これを差し置いて今日の教育部面に一政治思想の影響力を認めることは許されない。

一時の混迷と錯誤の中に、或はそうした手段方法が黙認されたかも知れないが、これを合理的に分析究明するならば、朝鮮人基本教育として共産党的教育を行うことになり、今日そうすべき何の根拠理由もなく、またこうした専断を許容してはならないのである。

「教育に一政治思想の影響を認めることは許されない」

おっしゃる通りですね。チュチェ思想マンセーの教育をやっているようでは話になりません。日本で言えば、一部の愛国馬鹿が要求するような皇室マンセー教育を認めるべきではないというのと同じです。

「何の根拠理由もなく、こうした専断を許容してはならない」

これができずに、北朝鮮と金日成に心酔した朝鮮総連と韓徳銖の専断を許容してしまったため、まさに「共産党的教育」を民族教育の外面で包み、何万人もの在日同胞の人生を踏みにじる結果になってしまいました。悲しいことですね。

かくてわれわれは朝鮮人の子弟教育について真摯な努力を払わなくてはならぬが、それは在日関係当局の協力を得て、在日本の公共機関の全的協議により純粋な教育指針を研鑚しなければならない。

在日本における子弟の教育であるだけに日本機関の全的な協力を求める限り所期の効果を発揮することは困難である。

要するに、神戸事件を契機としてわれわれの感得したことは、この事件が遂にわれわれ同胞に対する対外信用を失わしめるにいたった汚点、これを率直に認め、それから民族としての反省の素材を見出さなくてはならないこと。

「神戸事件を在日朝鮮人に対する対外信用を失わせた汚点」

神戸事件から始まる阪神教育闘争を神話にしてアイデンティティを確立した在日チュチェリアンには受け入れらない主張でしょうね。

こういう点を素直に認めて反省できなかったことが、北朝鮮と朝鮮総連による、在日朝鮮人に対する収奪と弾圧を許してしまうことになった根本原因でしょう。

とくにわれわれの子弟の教育ないし教育問題が一部共産党的小児病患者の手に牛耳られ、同事件も、これら日本人共産党分子と同調して行われたところに今後反省すべき多くの素材を含むと言うのである。

「共産党的小児病患者に牛耳られた」

これをどう解釈するかは重要です。

日本共産党に利用されたという主張が在日の歴史で流行っているようですが、どう考えてもチュチェ思想だの、民族の太陽だのという「小児病患者」全開の金日成に盲従したことが最大の問題でしょう。

朝連時代に日本共産党に利用されたことよりも、北朝鮮労働党と結託したことを問題視した方が良いと思えます。

そしてそのことは必然に在日同胞の教育指針をどこに求むべきか、どう教育すべきかの根本問題を考えさせられるのである。

具体的施策は既に着手されているようだが、教育の本旨が一つの政治的目標によっての歪められるようなことがあってはならぬ点を強く指摘したいのである。

思えば、教育の課題は、よって来るところ甚だ複雑であり、その解決も困難が伴い、その方向の決定も容易なことではない。教育が民族発展の明日のために最も重要である点を沈思するならば、われわれはもっと積極的に日々の生活それ以上に真剣な努力を傾注する必要がある。

この問題を早急に解決しないならば、明日の時代を負う青少年の正しい思想を確立することが出来ないからである。

これがいまだに解決できていません。

朝鮮学校改革の第一条件に、みんな口をそろえて「北朝鮮と手を切ること」を上げているのに、それができないことに驚く。

きっと朝鮮学校の黎明期を支えた先生、朝鮮学校の先輩、朝鮮学校建設に尽力した在日一世、そういう人たちが北朝鮮の収容所でどのようにして殺されたのか知らないからでしょう。

あれだけ「LOVE民族教育!!」の情緒形成をせっせとやっているのに、朝鮮学校衰退の根本原因である親北人士養成教育をやめないことが理解できない。

教えるべきことを教えない。これこそが洗脳教育の真髄でしょうね。

 

朝鮮総連が右翼の仮面をかぶって、朴烈叩き、民団叩きをする理由が良く分かりますね。

二 汚点を見る

以上の諸点を基礎にして、われわれはやや具体的に、神戸事件がどうして民族われわれ全体の汚濁であったかを究明して見よう。

1.不利な条件

最初に言えることは、日本占領軍当局が神戸地区に対し初の非常事態を宣言し、同事件に関係した一部の者達が軍事裁判に付されたこと、即ち占領軍当局が発動したことである。

このことは一見注視されなかったかも知れないが、一は日本の警察力では事態を収拾し難いと占領軍当局が認めたことで、それは事件の重大性を思わせるものであった。

また一つは朝鮮人の集団行為ということを甚だ悪く印象つけるに至ってしまったことだ。一旦占領軍当局の発動となれば事態は容易ではないかつて日本人により日本国内ではこうしたことがなかった。

それが朝鮮人同胞の行為により占領軍が非常事態を宣言したことは何を措いても重要措置である。

その結果がどのような判決され、どう裁定されようとも事態をここに及ぼしたことは遺憾と言わねばならぬ。いまその事件の原因ないし責任を別個のもとしで究明しても明らかに朝鮮同飽の非を認めなければならぬ。

それは占領軍の発動が不可避であったかどうか別として結果的にその非を率直に認めたいと言うのである。それが原因となり、朝鮮人に対する不当な非難の言辞が発せられ、朝鮮人の全体が暴徒の集団ででもあるかの如き言辞が、高い責任者の口から発せられたことも甚だ遺憾としなくてはならぬ。

このように占領軍当局の発動をきっかけにして思はざる方面に亘って不信を買い、それは思はざる程高価価なものであり。それが国際的に朝鮮人に対する正しい判断を非常に誤まらしめるに至ったことは争えない事実である。

よしわれわれの行動が正しい動機から発していたとしても、また不法に騒ぎたてる程の事件でなかったと仮定しても、結果的には相当不信を買い、朝鮮人の今後の立場を不利に導いたことは争い難い。

2. 対日関係の悪化

第二、対日関係である。

終戦以来、両国人間の生活感情は必ずしも好転はしなかった。朝鮮民族に対する四十年近くの帝政専断という事実が、一方日本人に対し、依然たる優越感情を懐かせていたし、他方、朝鮮人間には広く日本人に対する反感も手伝って、これは容易に消去り難いものであった。

この間、公平なる両国人間の理解が保たれていたのは極めて少数の知識層に限定され、大多数の両国人は互いに譲らぬ不満を包蔵し合い、しばしば集団的に行動は拡大した。

その原因は言うまでもなく正常なる理解の不足であるが、この幾多大小の事件を円満に妥結させることは一朝一夕の業ではなかった。

その根本に横たわる両国人の不満は容易に一掃されない。

そしてこれを早急に一掃しようとしても到底一般的には不可能である。ある一定の時日を要し、互に文化度の高揚と両国間国交の正常化を待って次第に調整する以外に方法はない。

悪化の一路を辿るとは言わないが、悪化させない為の具体的措置は関係方面において執ることは出来るが、これを根絶させるには相当の期間を必要としたのである。

この或る期間を経て初めて両国民の円満なる理解に立つ親交が約束されるのであるが、今次の事件は、逆にこの理解点に達する日時を消し去り、両国民の生活感情深く不抜の対日感を生むに至ったのである。

言うまでもなく、これとても長期間の日時により取り戻すことは出来ない筈はないが一たび植付けられた対立感はこれを抜去るに相当長期を要するであろう。

この事実は将来の朝日両国々交上に悪影響を及ぼすことは云うまでもなく、現在日本に居留する六十万同胞が日夜直面する障害となるであろう。

とくに婦女子、子弟等専ら独立生計を営めないものたちにとって耐え難き苦痛であるに相違ない。それは現実に生活の上に直面する苦痛であろう。

そのことは大なり小なり在日同胞の生活部面にも影響してくる。何をもって生活するにしても、その生活環境が、われわれに同調し金融、資材、生産、販売等各部面において円滑でなければ生活上の安泰は得られない。

若しその安泰が得られないとすれば、同胞は陰惨なる生活を外国において営まなくてはならぬ。

このように結果させるならば、在日朝鮮人同胞の指導的地位にある者全体の責となり、神戸事件の責任者は、当然こうした面の責任をも分担しなくてはならないのである。

われわれは、正しい在り方において日本人との交流を認め、飽くまでも親善による提携を主張している。それ故、不当であり不法である要請は、相互になすべきでなく、若しそうした結果が現われたとすれば、直ちに胸襟を開いてこれが解決打開の万全をつくすべきである。

いづれにせよ、神戸事件が対日感情上、面白くない原因をなしたこと、その一事については自責しなくてはならない。

この見識は凄い。

俺たちは弾圧されてる!だから暴動起こしてでも権利を主張すべし!!という意見が大多数の中でこれを言えるのは凄いですね。

韓国の国民を不幸にする「凶暴な民族主義」に孤軍奮闘している李栄薫(イ・ヨンフン)教授を彷彿とさせます。

3. 乗ずる共産党的小児病

第三に指摘したい点は、さきにふれているが事件惹起直接の責任者が日本共産党的小児病患者であることと、この事件関係同胞もまたその傾向甚だ濃かった点である。

事件に関係ありと目された者、或は当日神戸当局に参集した大多数の同胞は、その子弟の教育を危惧し、何とかして一刻も早く正常なる方法で日本側と協定を結び、安心して子弟を教育してゆこうとする念願に燃えていた。

この強い欲望を巧みに把握したのが共産党的小児病患者で、彼等はその野望—即ち党活動をこの機会に宣伝し、党勢をこの機会に拡大強化しようと狙ったものである。

韓国の反軍事独裁で朴正煕叩きをしていた連中と一緒ですね。

純粋な善意を利用して己の私益のために利用するわけです。

そうやって市民団体を次々乗っ取って、反政府デモや、反米デモには全国各地からぞくぞくと人が集まるのに、中国の脱北者送還を非難することには協力しない従北左翼が出来上がるわけです。

そして期せずして動員された同胞の威力をもって日本側当局と折衝し、これが意の如く進捗しなかったことが原因となり、いわゆる暴行事件に発展したのである。

真実そうあるべからざる課題を、無理に彼等の野望の前に動員していたのである。仮令短時間であるにもせよ彼等小児病患者の野心動員されたことは全朝鮮人のために不面目のことであった。

「そうあるべからざる課題」=「共産主義教育」ですね。

その結果が、金日成主義教育への変質です。

めでたく「反」朝鮮民族教育の完成です。

それは在日朝鮮人国体の一部が彼等の盲動に乗ぜられ、常に彼等の野望に踊らされていることに原因する。

日常朝鮮人連盟の思想的背景、そして彼等が常に何を目論見つつあるかを熟知していたならば、一朝ことあった場合、決して彼等に乗ぜられることはあるまい。

日常の団体生活において、朝連活動の生体を認識していたならば、その犠牲となることはなかった筈である。

それは正に犠牲者である。

朝鮮総連の前身である、朝連時代から共産主義者が裏で暗躍していたのが分かりますね。

さればわれわれは直ちに本事件の究明に乗出し、一方この犠牲となった同胞の救援に着手し、米国第八総司令宛被告人の釈放を懇請、われわれの真意を明らかにした。その部分において次のように述べている。

今回大坂並びに神戸地方で、朝鮮人教育問題のために惹き起こした騒擾事件被告人全員の即時釈放を懇願し陳情するものであります。

本件の発生原因は、朝鮮同胞が過去四十年余、日本帝国植民政策の犠牲となって歪められていた教育を是正して、民主主義的教育の自主性を要求するにあって連合軍占領治下の日本社会の治安をみださなかったことは明白であります。

けれども群衆心理を逆用して、純朴な児童と、その父兄達を共産主義党員共が、慣用手段である暴力沙汰にまで捲き込ましめたことは誠に遺憾であります。

またこれがために連合軍占領政策に違反した結果を来したのは誠に残念なことであります。

わが民団は創立以来、始終一貫して民生安定、文化向上、国際親善等を網領として実践し、在日六十万同胞を対象としていることは周知の事実でありますが、たとえ所属国体こそ相違あれ、今回のような事件に、連坐の多数同胞を出したことは遺憾であり、道義上の責任を痛感しております。

このように、責任を明確にしたのである。これをもってしても、神戸事件に対するわれわれの思考がどうあるべく、そして本事件を契機として、われわれがどのように行動すべきかの一端が明らかにされたと思う。

われわれは軽挙してはならない。同時に、同胞相共に玉石混淆してはならない。慎重にして正しくあらゆる他民族に対応するの途を見出さなくてはならぬと思う。

素晴らしくまともな意見です。

従北史観で汚染された在日チュチェリアンが書く在日の歴史では、GHQ、日本政府、韓国政府が、民族分断のために、民族主義者や親日派が作った民団を支援した!くらいに書いています。

どう考えても法を守って話し合いで解決していきましょう、というまともな主張をする団体に肩入れするに決まっています。

4. 子弟に与えた影響

第四に問題となるのはこの事件が子弟に及ぼした精神的影響である。

日本当局との間にしばしば折衝の続けられた間は何等かの光明を期待していただろうが、この学校問題が契機となり、多数の父兄ないし関係者達が法の裁きをうけ、しかも相当長期間に亘って学校問題の紛争をつづけたことは、確かに有形無形の悪影響であったことは争えない。

しかもわれわれは子弟の重要な教育問題としてこれを視、その円満な解決を期待していたのである。

子弟永遠の教育対策を、よりよく然もわれわれ父兄の欲する方法において解決したかったのである。

それが逆に、懸案解決を見ることなく、多くの犠牲者を出すに至ったことは、千載の恨事でなくてはならぬ。

それは童心に直接明らかに悪印象を与え、これを拭い去ることは困難であろう。

そして教育の大業が暴力に及んだことは子弟将来の教育面から見ても喜ぶべきことではない。

それが集団をなして事態解決に当ったこと、その事実は公平で正当であったに相違ないが不善の目的に利用されたために純粋な朝鮮人同胞は多数罪なき犠牲者となった。

こうして結末はどう判断しても割り切れない悪感情を後口に残し、童心をむしばまずにはいられない。

今後教育刷新のあるごとに学校当事者が紛争の基盤となるようなことがあれば渦紋はさらに拡大するであろう。

そして小学から中学にかけて童心はまさに開かれようとしている。祖国も日本も極めて不安定な政情下にあるとき、この開かれんとする童心は何を悟るであろうか—言わずして明らかである。

この点を省るとき、祖国朝鮮の民主教育は飽くまでも民主的教育としてその環境そのものからして改善さるべく、この意味では神戸事件の教育的環境は全く最悪のものと言わなくてはならぬ。

そして二度と神聖なるべき教育を課題として非民主的な言動が個人にも団体的にも惹起されてはならないであろう。

ぐうの音も出ない正論です。

まぁ、戦後の混乱期ですから、こういう暴動は頻発していました。

この反省点を生かして朝鮮学校の建設と発展に活かすことができず、暴力を神格化して北朝鮮を植民地支配した金日成に盲従する人間を育てる学校に変質していくこのを止められなかったことが残念な点でしょうね。

5. 教育者への影響

最後に教育者そのものへの影響は、けだしはかり知り難いものがある。

校長以下職員の極めて小数者を除けば愛民族に徹した純真なる教育家であって、むしろ神戸事件への発展など夢想だにしなかったであろう。

そして一身を聖業捧げて悔いざる人達であり、教育そのものの上に生きる意義を見出していたのだ。

こうした教育家が共産党の動員戦術の犠牲となり、いずれも検挙を受けて、其の責任を追及されることになった。

そして全く予期しなかった取扱を受けて彼らの精神は平静ではなかった。それと同時に苟くも教育者の神聖な業務が一部共産党的小児病患者の犠牲に供せられたことを熟知したとき、教育家の心情と良識は、これをどう判断したであろうか。

今も変わらないですね。

朝鮮学校が、「チュチェ思想的小児病患者」の犠牲にされてますから。

児童に対する教育活動までが共産党の方略に左右されるとなれば、中国における中共の教育活動と何等相違せず、共産党々目的そのままを義務教育の通念としなくてはならない。

教育は政治ではない。

一つの政治意図が教育の分野に喰込んできたとき、教育は本来の目標を歪めて有機的な活動を停止してしまう。そして無味乾燥な宣伝と、空虚な概念の累列と、何等情意を発動させない結果となり、教育の創造性は全く停止してしまうのである。

まさに朝鮮学校衰退の根本原因です。

無味乾燥な金日成マンセー教育と、空虚なチュチェ思想概念の累列、創造性を停止させる反帝国主義&反右翼の憎悪を扇動する教育をやってますからね。

信じる信じないの問題ではなく、そんなくだらないことに貴重な青春の時間を浪費させられる子供はたまったもんじゃない、ということです。

神戸事件は、全教育関係者に対し、こうした危惧を与えなかったであろうか。

民主的朝鮮の出発は、解放以来われわれの合言葉であり、これを実現するものは独り教育の大業と言われた。しかも教育に従うものの任務は、いよいよ重責を加えてきたに拘らず、その生活環境は常に不安に脅かされている。

こうした教育者の活きる途は一途に教育そのものえの献身的な奉仕的観念であった。

この聖なる観念にいささかにせよ危惧の念を値付け、教育が一政治目的に動員され、それが極めて不健全なる政党の触手であったとすれば、波及するところ甚だ大と言わなくてはならぬ。

無形の犠牲は取返えし得ぬものである。

まさに取り返しのつかないことになりましたよね。

一政治目的のために子供が動員される仕組みは今も変わってないです。

われわれは童心に興えた影響並に教育家たちに値付けた事件の悪影響は、どの方向からも問題とされなかった点をむしろ不思議に思う。

そして関係者達が眼前に現れた事象にのみ捉われて、それだけを解決すれば、今後の教育が十分に、そして完全に行われると盲信している点を指摘して、むしろ真の教育振興は、無形のこうした童心や、教育家達の心の中に宿っている事実を強調したいのである。

若し、唯物論者である共産党小児科病患者の教育方針のように、教育それ自身が彼等の政治目的を教えるためにのみ役立ち、それ以外の教育が凡て、ブルジョワ的のものだと言うならば、それは階級的教育をもって全朝鮮民族に臨もうとするもので、民族を共産党化そうとする無法な暴挙である。

う~ん、凄い。まるで朝鮮学校のその後を知っていたかのようです。

彼等が民族の教育を重視して、その部面から唯物革命を遂行しようとする策は甚だ賢明なものだけであるだけに、その悪果も重視しなくてはならない。

いずれにせよ神戸事件は多年彼等が教育部面に深く工作の根を下しており、それがたまたま事件を契機にして表面化いたもので、この表面化により純真なる教育者とその関係者らは初めて事の意外に一驚した。その悪果が恐るべき点に延びていたことを知ったのである。

それだけに無形な教育界えの影響の深さを指摘したいのである。

戦後すぐに共産主義の工作の魔の手が在日朝鮮人に伸びていたことが良く分かります。

まぁあの当時はそれがすべての問題を解決する唯一の方法だとみんなが幻想を抱いていたわけですから、仕方ない面もあるでしょう。

ありえないのは、いまだにそれを継続していてやめようとしない点でしょう。

三 日本当局の措置に就て

1. 官僚的サボ(注:サボタージュ)と画一的主義

以上われわれは率直に朝鮮人側の非と反省について摘記したが、ここに日本側のこれに対する態度について摘記するならば、その一にくるものは官僚的尊大さ—そこからくるボス的尊大さと、拭い難い画一主義の弊害を挙げなくてはならぬ。

神戸事件の発端たる学校問題については、従来しばしば正規な方式により日本当局との間に交渉を進めつつあったことは事実だ。

しかし事最後の事態に至るまでに両者窮通の道を発見しようとする努力に欠けていたこともまた事実だが、日本側当局とくにその努力を怠っていたことは掩い難い事実である。

即ち当面的原因については以上において指摘したが、より根本的な原因は両者ともその胸底に横たわっているものが禍根であったのである。

良いこと言いますね。

市役所の窓口も今はサービス精神がありますが、昔なんて超尊大です。お客様という感覚皆無ですから。

まぁどうせ「うるせぇな~、法に従えよ!」的な態度で怒りを買ったのでしょう。

こういう風に両者のダメなところを真摯に指摘してお互い改善していきましょうという態度は素晴らしいですね。

それは言葉としては明白に表現出来ないが、常に心底深く、そしてはつきり割り切れないものが残っていた。敢て言うならばその割切れぬ感情こそ日本人の日本的優越感であり、日本の敗戦はアメリカの武力に負けたのであって他の如何なる国の何ものにも負けたのではないとする日本の敗戦感覚である。

アメリカに負けたというより、己の愚かさで勝手に自滅した、という認識がないのが困ったところですね。特に最近はやっている愛国掲げる人たちに多い。

そうした感覚に禍いされて大衆的に敗戦感に徹することもしなければ、大国民的襟度を示すことも出来なかった。

在日朝鮮人の教育の実施は、これを国際慣例上から見れば改めて説明するまでもあるまい。

のみならず将来の民族相互の理解を深めるためには、同一の学校に於いて互いに机を並べて共に学び、共に風習を理解し合うことは最も効果ある方法である。

いいこと書いてます。

同じ学校え互いに机を並べて学ぶ。

同化政策だ!と断固拒否して超閉鎖的な北朝鮮式教育を行い、アイデンティティクライシスの被害を受ける人も出てこなかったでしょうね。

相互親善の実も挙げられるし、世界が単一国家に向かって進みつつある今日、その大勢にも順応する途であろう。

しかし身を換えて、私が日本の当局者であるならば、其の時は私は今日と将来の国交の観点に立って、もっともっと寛容と理解と同情とを以て物事を考え、快く、教育用語は是非とも日本語ならざるべからず等とは言わず、朝鮮語によってでも他の如何なる国の国語によってでも大いにその教育を盛んにし、大いにその文化水準を高めて、真正な朝鮮独立のため、朝日親善のため、東亜安定のため、また全世界の平和のために大いに働いてもらいたいというであろう。

目指すべきはこれでしょうが、まぁかなり厳しい理想論でしょうね。

結局、こういう意見の善良な日本人がまんまと騙されて、ガッチガチの北朝鮮式「反」朝鮮民族教育を作り上げることに加担させられたわけです。

共産主義のかかげる理想論はほぼ嘘だと思った方が無難ですね。

自国語による自国民の教育をむしろ進んで施行することを歓迎したいと思う。私はその私見において、日本人的立場に立っても、朝鮮民族との相関性をこのように理解する。

戦前は世界の一等国をもって任じた以上、敗戦により直ちに自ら進んで六等国民の認識にまで成下ることは私ならば敢てやらぬ。

これは私の意見に過ぎないが、少なくとも事実はこれに相違して発展した。そして事件を対立の形に導いたものはまず日本側の官憲の官僚的サボとその画一主義である。

これを事実調査班の報告を基礎に検討すれば、官史は忠実に問題を解決してこそ行政官としての任務を果たしたことになる。

しかし、しばしばの折衝にも拘らず、徒らに法規と官僚主義の権化である画一的主義の弊に捕われて、何とかして強調の途を発見することを恰も恐れるかの如くであった。

そのため、つねに、上級官庁の指示事項を伝達することにただ重点を置いていたのである。

これでは問題は解決せず、討議は水かけ論とならざるを得まい。

しかし問題が日本人以外の他民族の教育問題であること、帝政日本支配から解放された直後の朝鮮民族の教育問題であって見れば、当然法規一点張りの官庁示達事項で解決される道理はない。

良史は良史の良識によって問題解決に挺身すべきであった。しかし日本側官僚はその誠意に乏しく、一片の示達事項でこの問題を処理しようとした画一主義の弊は、今日になっても篤と反省さるべき課題である。しかも事件の発達の最大の禍根となったのはこの画一主義にあったことにおいてをやである。

今も変わらないですよね。

官僚というのはそういうものだと言われればそれまでですが、めんどくさいな~と思うと対応がぞんざいになります。

朝鮮学校問題も、戦後最も在日朝鮮人の人権を蹂躙したのは北朝鮮と朝鮮総連である。ゆえに朝鮮学校からこの2つの影響力を排除しない限り、朝鮮学校に未来はない!くらいのことを言えばよいのに、そういう主張は全く出てきません。

そんなことだから、アムネスティや国連人権委員会が、朝鮮学校側の主張を真に受けて日本政府を非難するようなことになるわけです。

2. 日本官僚の封建的高圧態度

また日本側官史の重大な欠陥をも指摘したい。日本の良史は職務に忠実であること、信念に徹する精神主義が高く評価されたのである。

しかしこの問題にふれた官僚は形式の上では甚だ尊大であったが、交渉度毎に態度を留保して解決に導かず、遷延策をとりつつ、最後的段階にまで達し、交渉は一線もゆずれぬ所にきてしまった。

そして最後通牒に類する通牒によって決定してしまったのである。これが原因でとなり暴民的挙措に出た朝鮮人一部の錯覚行動については前述したが、これとても何等原因のない所から発したのではなく、実に日本官史の暴君的意識が、その最後段階に達し、遂に意見上の諒解に達しないままに最後通牒となって現れたのである。

ハル・ノートで追い詰められ、やむなく真珠湾攻撃をしたんだ!と主張するくらいですから、こういう追い詰め方をしてはならないと思ってほしいものです。

今の朝鮮学校問題とて、法律つくって朝鮮総連で自由投票を強制するもよし、別団体を作ってもらって超法規的措置で経営権を移管させるもよし、民団に経営権を移管させるもよし、色々対案はあるはずです。

北朝鮮&朝鮮総連と手を切れ!と機械的に要求したところで、北に親族がいるのに逆らえるわけがないですし、そもそも保護者の8割以上が朝鮮総連系の団体に所属している時点で自主的に手を切れと要求してもかなり厳しい。

こういう時こそ善意の市民団体が声を上げて、外圧で北の鎖を断ち切るべきと思えるんですけどね。まぁそんな声はほぼ皆無です。

こうした態度は、戦前日本においてもしばしば警察官史の常套手段とされたところだが、今日にあっては日本人を対照にこの種の事件は起こらず、遺憾ながら朝鮮民衆に対してのみ惹記され、それが不祥事件に発展した。

われわれは日本気質の崇高性と官史の精神主義的な良識を信ずるが故に、公正で堂々たる態度を期待している。

敗戦後、俄かに成下ったような態度、そして事を構えて自ら解決し得ないような短慮狭量な態度は強く反省をもとめたい。

常にこうした態度から脱却出来ないならば、日本の行政面は全面的に暗黒政治の底と化するであろう。

当時のアメリカの一新聞記者はこれを指摘して『日本官僚は、いつまで六ヶ敷い問題は自ら解決に当ることをせずして、進駐軍にその責任を転嫁しようとしている。これは最も卑怯な振舞いである。』と言ったが、私はこうした批評が、事実と相反するものであることを希望する。

出ましたね、責任を取りたくない官僚体質。

アメリカに責任を丸投げです。

9条、9条と言って、国際社会の安定に協力しようとしない責任逃れと一緒です。

3. 国際的見識の欠乏

つぎに問題にしたいのは、行政措置として何等国際人としての良識を持たぬことである。

さきにもふれたが問題の複雑さから推して、単に「スベシ………」というが如き一通り一ペンの通牒で解決される程度の事柄ではない。

道ばたに立小便をして科料をとられる通牒とはいささか内容を異にするであろう。

日本人の教育は日本人の文化水準が決するし、朝鮮人の教育は朝鮮人の文化水準とその要請が基盤とならなくてはならぬ。

在日朝鮮人は日本教育そのままを受けなくてはならぬ道理はなく、朝鮮文化を基礎とせざるを得まい。

その条理に立って考え、現実の両国々家間の関連を切り開いて考えるならば、何とかして双方共に円滑な諒解点を発見しなくてはならぬ道理である。

しかし日本官僚はその認識を欠き一片の通牒によってのみ解決されることを希望した。

具体的には、日本人と同等な教育内容を同様に教材とすることが最も望ましいという結論に等しい。

教育内容の問題にせよ、校舎問題にせよ、朝鮮人の一部にはかつて日本の要請によって渡日し、そのまま日本に止まっている者、また日本婦人との結婚により子弟をもっている者など—民族的連関は血肉の関係にあり、これは条理一片により切り離し難い。

その点に着目すれば日本官僚がより高い国際人としての立場から事件を円滑に解決するの構えを当初からとるべき筈であった。敢てこれをなし得ないところに国際人としての資格を全然持合せなかったと言える。

事件発生のためばかりでなく将来日本の対外態度のためにも強い省察が必要である。

おっしゃる通りですね。

まぁただこういう主張が受け入れられ、全国各地に朝鮮学校が建設されたわけです。

学校のために土地を提供した日本人もいれば、いっしょにローラーを引いて運動場を整備した人もいました。

北朝鮮の海外公民と規定したのがそもそもの間違いでしょうね。

朴烈が指摘した「教育とは真理の探究」という本道をまげてしまったために、「奇形児」ができてしまったと言えます。

4. 大局を見失う態度

また、問題を早急解決するために問題の焦点を事務的処理に限定し、より高い両国民の襟度から出発し、広く思慮し、禍根を将来に残さぬ慎重な態度に欠けたことも争い難い事実である。

苟も良識人として問題を考えるならば教育上の大業が片々たる事務的措置により事務的に解決される道理はなく、ましてや朝日両国民族の歴史的ないし血族的宿縁よりしても、そうした措置に始終し得るものではない。

戦前に一等国民として自負し、その信念をもった日本民族は大民族の襟度をもつべきであり、朝鮮民族に対する道徳的責任感の上から言っても、より高く、より深い理解に立ち、教育問題は、即ち民族相互の親善観点に立つて大乗的な視界をもつべきであろう。

われわれは自ら同じ朝鮮人であるからと言って、朝鮮人の仲間が、日本の秩序を乱すことや、集団的行動によって事態解決をはかろうとしたことを弁護するのではない。

けれども逆に弾圧の形において事を構えてはならぬ。それは大国民自身のためにも、将来朝日関係のためにも、ともに排撃しなくてはならぬ。

ましてや朝日両国民族関係は、好きとか嫌いとかいう愛憎の点からそうあるのではなく、今や両民族の宿縁宿命として、排撃に非す親和と扶助とによつて共存する以外残された途はないのである。

途は絶対に只一道である。その点を凝視するならば、官僚的事務処理の俗的解決方法にたよることなく、くり返し言うように大局に立つ大国民的襟度に基いて平和裏に運ぶべきであつたと言えるのである。

愛国者の仮面をかぶった従北さんたちがせっせと日韓関係破綻のために暗躍しておられますが、朴烈が言うように「相互の親善のため」という観点で一応は進んでいます。

まぁおっしゃる通り「反日教育」もやっていますが、北朝鮮の対南工作に最も利用されているのが反日感情ですから、そういう点を指摘して、韓国内の歴史見直しの動きを応援していけば、日韓親善に役に立つでしょう。

別に日本の植民地支配が素晴らしいなどとは言ってませんよ。

だいたい内鮮一体など不可能な理想論ですからね。一人一票という権利が得られればめでたく平和的に分裂してたでしょう。

お互い積み上げてきた歴史が別物ですからね。しょせんは破綻が約束された併合です。

5. 朝鮮を理解せぬ態度

最後に挙げられる点は、地域的にも、民族的にも不離の関係にあるべき朝鮮民族に対し日本官憲は極めて無理解であったと言える。

即ち若し、この問題が解決されなければ朝鮮人子弟の教育はどうなるのか—に対する思いやりは全くなかった。

謂わばこの規則を守らなければ教育も学校も、どうなっても貴方の責任である。命令事項を守らない学校は閉鎖するより外はない—こうした態度を反覆したにすぎない。

これでは俗に言う実も蓋もない話で、最初から合意的に最もよい方法で協調して行こうとする構えのなかったことが窺えるのである。

われわれは朝鮮人として他国にあるが故に意に満たないことがあっても両者窮通の途を発見するためにしばしば折衝して交渉の途を開こうとしている。

現にその努カは今日でも継続されている。

だが日本側当局が問題の間口を甚だ限定して、冷酷に門戸を開かないとすれば、われわれはどうすればよいか。

しかもわれわれは不可能の要求をもって迫っているのではなくて、実に耐え得る最大をつくして譲歩して朝鮮人子弟に朝鮮語を可能範囲で教え込み、学校経営に対しても日本側の協力を希望するといっているのである。

朝鮮国家が統一した一国家として公式に在日使臣を置く時代がくれば、この間の交渉方法も内容もまた自然に相違してくるであろうが、今日においては、能う限りの方法により日本側の協力を要請している。

事件が神戸事件となり世人の注目を強く惹いたが、これに類する経済問題は今日でも相当あり、将来もまた益々増加しよう。

願わくば、今日の朝鮮の現実を認識し、そして将来の朝日関係を含みとして、朝鮮人の立場に公正な理解を持つよう、われわれは希望している。この理解が猜疑であったり、軽視であったり、時に蔑視であった場合には事柄は常に円満には解決し難い。

われわれは常に円満に、そして安全なる理解を基礎に朝日諸懸案の解決を期しているのである。

すべてはこの後に起きた朝鮮戦争が元凶で、こういうまっとうな正論がゆがめられていきます。

おっしゃる通りと理解を示して朝鮮学校の建設を認めていったら見事に北朝鮮に乗っ取られて、民族教育がゆがめられました。

レーガン大統領の言う通りトルーマンはマッカーサーを支持して、朝鮮戦争を勝利に導くべきでしたね。レーガン大統領は回顧録でトルーマン唯一の汚点と評しています。

結語として

われわれは単に神戸事件に限らないが、繋争は一つの不名誉だと信じている。従って事ある毎に事件の民主主義的合理的解決の道を発見するために、最大の努力を払うのであるが……。

一、われわれは常に外地にある民族として日常を生活し、それが世界諸外国人の注視下にあることを忘れない。

二、仮りにも特権意識を持つな—われわれは日本が帝国主義の特権をふり廻したからそれと戦い、その合理性が今日認められ、世界が、解放を促進したのだ。そのわれわれが特権意識をもつことは民族の病根である。

世界各国を左右し得る程の国家ですら特権をもたない。ましてや、軍事、政治、経済力において未知数の朝鮮が自ら特権意識を持つことは許されず、それが自滅を意味する。今はこの特権意識を仏拭することは民族の民主的再建課題となっている。

特権意識をもって盲動すれば、ささやかに持てるものまで失うであろう。

自ら反省することがなく盲動により民族全体の損失となる場合が多い。

この「特権意識を持つな」というのは、在日三世でもある浅川先生が『「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』でも書いていましたね。

まさに朝鮮総連がやってきたことです。好き勝手暴れて自分たちは生まれながらの被害者だという歪んだ特権意識を植え付け、結果的に在日コリアン全体の利益を損なってきたのが朝鮮総連の大きな罪の一つでしょう。

別に何もかもすべてが失敗とは言いませんが、良い点をすべて台無しにする負の側面をさっさと改善しなければ、全否定されても仕方ありません。

三、自ら勉励すべきである。他国の援助も必要とあれば己むを得ない。

けれども自ら励まずして他力にのみ依存するならば、自ら民族を売る結果となり、政治的、経済的に他国に隷属することになる。

われわれは独立の地歩を得た日から万難を排して自力復興に向わねばらならぬ。

まさに在日同胞を売って、北朝鮮に隷属するはめになったのが朝鮮総連ですね。

四、民族一致団結しなくてはならぬ。

われわれはあまりにもしばしば同志相反し、同志相争っている。

これでは外悔をうけぬ平和を結ぶことは出来ない。

志を一にすることは、政治においても充分意見を交換して民主的に結束しなければ出来ないことだ。

民族の向上を計らんとすれば、自他供に愛し、供に励んで一致結束する方向に進まねばならぬ。口頭禅でなく、同志互に許すの大乗的な見識を培養しなければならない。

これは大事なのですが、なぜか「北の暴君と話し合おう!」という主張になりますよね。朝鮮人を大虐殺している相手と結束など不可能です。

そういう点を無視して、とにかく統一すればバラ色の未来を約束される!というような意見は、現実を無視した暴論でしょう。

それにしても、こういうのにみんな騙されます。

民族詐欺、統一詐欺と言えます。

五、そして建国に連る大切な理想—民族独立と完全統一を実現するために民族の自主性確立を養わなくてはならぬ。

今日は東、明日は西というように変転常なき思想の放浪や、朝鮮民族を基礎としない浮草思想は、一見如何に美装されていても借り物である。

借り物は自民族の身体にピッタリとこない。この借物思想から早く脱却して民族の民主主義によって世界の民主主義に伍してゆく実力を培養しなくてはならぬ。

おっしゃる通りです。

社会主義というレーニンの借り物で美装したチュチェ思想や金日成主義などという、極悪な全体主義体制など朝鮮民族にはピッタリくるわけがありません。

これを要するに、神戸事件は、日本当局の不誠意、無定見、官僚主義、独立守護等々………を遺憾なく暴露したが、それと同時にわれわれ同胞間においても、自ら省みてなお足らざるものを数多く発見した。

その反省材料として以上五点を指摘したが、世界の民主主義水準は、われわれが毎日こうして諸問題に忙殺されている間にも前進をとげ、より高度なものとなって地球を経めぐり、わが朝鮮民族の前に訪れる。

対外門戸を鎖した現在の朝鮮は現実にはまともにこの現象にぶつからないが、独立の完成の暁には進歩した諸外国の文化は一時に殺倒するであろう。

この時、俄かに朝鮮民族の文化水準を云々しても始らない。時即でにおそしである。

さればわれわれはこれから神戸事件の反省を単なる素材とすることなく、以って民族文化の向上に資すべく広く輿論をきき、民意に訴えて解決の帰趨を発見し、且つ具体的には在日同胞の子弟教育に遺憾なきを期さなくてはならぬ。

とくに問題が教育の大業であるだけに一朝一夕に根本解決は有り得ないが、事態の推移につれて、誤りなき方策によって、平和的解決の途を発見し、その最高目標を見誤らぬことが必要であると考える。(一九四八年六月)

『光射せ!第12号』に収録 P113-125

金日成・金正日に盲従して朝鮮学校の民族教育を歪めてきた韓徳銖に読ませてやりたいですね。

この子弟教育の方針が受け継がれているから韓国学校は一条校になっているわけです。

朝鮮総連は朝鮮学校の多さを自慢しますが、そんなのは被害者を多くだしていることを自慢しているようなものでしょうね。なぜ戦後何十年もたっているのに、たびたび問題になるのか良く考えた方がいい。

どう考えても在日差別のせいではなく、朝鮮学校の教育が歪んでいるからです。

今まで北の暴君に在日同胞の生命と財産を収奪されてきたのに、子供の未来まで踏みにじられて平気なのが理解に苦しむ。

ラグビー強豪校にまで育った朝鮮学校が存続するか消滅するかの瀬戸際に来ているわけですから、いい加減、強奪された民族教育を取り返すための行動を起こすべきでしょう。

それにしても、朝鮮総連と一緒になって朝鮮学校の子供に寄生する日本人は問題ですね。良かれと思って行動しているのが救えない。もうちょっと中身を調べて何が問題の本質かを知ってもらいたいものです。

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