韓国で広まっている李承晩の再評価

韓国のリアリスト、李春根教授の著書『米国に堂々と対した大韓民国の大統領たち』を読みました。

この辺を知ると、自虐史観とは韓国のためにあるな、と思わされます。

いや、自虐を越えて自滅史観かもしれません。

義務教育で使われている検定版教科書と、国際政治の専門家が書いた内容がここまで真逆だと、教科書の国定化を求める声が出てくるのも当然だと思えます。

韓国戦争勃発後、中国も介入して膠着状態に陥り、38度線で停戦交渉が始まるのですが、そこでの李承晩の交渉術が大したものだと感心します。

恐ろしいことに、当初アメリカには韓米相互防衛条約を結ぶ気がさらさらなかったことです。

停戦したら米軍撤退。そういう可能性があったことになります。

韓国にしたら悪夢のシナリオでしょう。

 

李承晩は頑強に38度線を越えての統一を主張しますが、腰が引けていたアメリカは停戦へと流されます。

世界三大戦略家の一人、エドワード・ルトワック氏は韓国がやるべき外交は、机をバンバン叩いて交渉すること。それが小国が大国に対して行う外交だ、と中国に何も言えない韓国を批判していました。

まさにそういう小国がやるべき外交をやったのが李承晩でしょう。何せ本当にバンバン机叩いてブチ切れてます。その辺は『米国に堂々と対した大韓民国の大統領たち』をご一読ください。この辺が外交の天才だと評価されているゆえんでしょう。

ギャーギャーわめいてアメリカを徹底的に困らせます。

ありとあらゆる嫌がらせをして、自分は停戦交渉を破綻させれるんだ!という力を見せ、李承晩の同意なしには、停戦交渉は不可能だとアメリカに分からせます。

そして、交渉し最終的に韓米同盟を勝ち取ることになります。

よく考えましょう、当時の韓国なんてスーパー弱小国です。

世界最強の国家と、世界最貧国が相互防衛同盟を結んだわけです。「相互」とは名ばかりの、片務的な韓国にメリット絶大な同盟です。

この同盟があるからこそ、北朝鮮の南進武力統一という野望を抑制し、韓国の安全を担保することができるわけです。

勝手に捕虜を釈放して、北に送還せず韓国内で解放した事件などかなりの無茶です。人道的には正しいことですが、やったことは軍法会議ものの暴挙です。

その結果、米国は、国連軍が共産圏といかなる協定を締結しても、それを破綻させられる力が李承晩にあることを痛感します。その結果、李承晩の同意を得るよう意見を聞くようになるわけです。

自分たちは助けに来てもらってる立場で、弱小勢力だから、、、と情けないことを考えていたら、韓米同盟という値千金の果実を得ることはできなかったでしょう。

韓米相互防衛条約の締結の際、李承晩はこう述べます。

「韓米相互防衛条約が締結されることで、われわれは今後何世代にもわたって多くの恵沢を受けることになる。この条約があるため、われわれは繁栄を享受することだろう。韓国と米国の今回の共同措置は、外部の侵略からわれわれを保護することで、われわれの安保を確保してくれるだろう」

まさにおっしゃる通り、韓国に何十年にもわたり絶大な恩恵をもたらしています。

ですが、米帝の植民地状態だー!と言って左翼を煽り、右翼には国家の名誉と誇り傷つけられたー!と言って被害者意識を醸成し、本来感謝すべきことなのに意味不明の情緒を形成させ、この同盟を破綻させようとしてきます。

日米同盟を破綻させようとする連中も一緒ですね。最近のGHQだのWGIPだのほざく愛国馬鹿には本当にイライラさせられます。

今は影も形もない化粧品みたいな名前のGHQなどどうでもいいし、どこぞの投資ファンドみたいな名前のWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)もどうでもいいです。

そんなことにパワーを浪費する暇があるなら北のホロコーストを無くすことに尽力してくれ、と言いたくなります。その方がよほど拉致被害者奪還の役に立つでしょうし、日韓友好に寄与します。

このような反米情緒や反韓情緒を醸成する工作が、北朝鮮はじめ共産国が長年やってきた韓米分断&日韓分断工作の基本中の基本と言えます。

もちろん李承晩が全て完璧と言いません。

要は相対評価です。

数値化でもして総合評価しなければ、客観的な歴史認識にはならないでしょう。

北朝鮮が大好きな、済州四・三事件、麗水・順天事件、保導連盟事件と、色々と多大な血が流れた事件もありますが、それだけ取り上げて他を全て無視するのは客観的な評価とは言えません。

そもそもあの当時は共産主義全盛期です。暴力革命で共産化すべし!があの当時の常識です。各地でバンバンそういう衝突が起きていました。無政府状態になると、混乱が生じてしまうのは当たり前のことです。

動乱のレベルが想像できていないから現代の常識で判断して、過去の人間を断罪してしまうのだと思えます。

当時の情勢を感じ取れる内容を紹介しましょう。『北朝鮮を継ぐ男―革命家・朴甲東の80年の軌跡』から引用します。

こうした中、ソウル市民を震撼させる事件が起こった。韓国民主党党首の宋鎮禹が、一二月三〇日に暗殺されたのである。解放後の暗いテロの時代の始まりだった。 P110

金九や民族派がつぎに刺客を差し向けてくるのは、共産党に対してであることは間違いなかった。 P110

共産党はさらに攻勢に出た。翌三日、ソウル運動場で「民族統一自主独立促成市民大会」と銘打った決起集会を開いたのである。労働組合、農民組合、青年同盟など100以上の団体と、ソウル市内270の町内会代表が参加した。委員長の朴憲永は姿をあらわさなかったが、信託統治賛成を全会一致で決議した。その後、市内で「賛託」のデモ行進をおこなう予定だったが、運動場を出たところで石つぶてが飛んできた。先頭を歩いていた党員は頭から血を流し、混乱の中、デモ隊は散会してしまった。
民族派団体は、朴憲永が朝鮮の独立を抹殺し、朝鮮を永久にソ連の衛星国にしようとしていると喧伝し、信託統治をめぐって緊張が高まった。 P111

韓国民主党党首・宋鎮禹が暗殺されて以来、ソウルの街は、日増しに物騒になっていった。甲東は、ソウルを南北に分ける漢江に、ちぎれた人間の手足が浮いていたり、麻袋から身体の一部がのぞく死体が川岸に漂着しているのを目撃して、悪夢でうなされることもあった。刺客がいつ自分を背後から襲ってくるかしれないので、街を歩くときには細心の注意を払った。
北では金日成が、反対派を容赦なく粛清しているとのことで、南へ逃亡して来る者があとを絶たなかった。そうした北からやってきた者たちが中心になって「青年会」をはじめとする民族派のテロ団体が結成された。 P113

通りの反対側を見ると、棍棒や日本刀らしきものを持った100人以上の学生が、仁寺洞通りのほうから走ってきた。武装した学生たちは、ソウル市人民委員会の三階建てのビルの前で立ち止まるや、いっせいにドアや窓ガラスを叩き割った。彼らは事務所の中へ入っていき、間髪入れずに出てきたかと思うと、仁寺洞のほうへ走って逃げた。すべては一瞬の出来事だった。
驚いた甲東は、人民委員会の事務所に急行した。幸い、中に人はいなかったが、机、椅子、ロッカー、書類など、あらゆるものが壊され、室内は廃墟と化していた。 P113-114

その無残な遺体は従弟の晋東だった。甲東は号泣した。晋東は身体を何ヵ所も銃で撃ちぬかれており、さらに銃剣で身体中を刺され、銃身で殴打された跡まであった。天井を見据えるように虚ろに開かれた目が、無念さを物語っていた。甲束は茫然自失となって、もう一度講堂内を見回すと、東西の出口近くに、うつ伏せになった死体が一体ずつ転かっていた。逃げ遅れた学兵のようだった。 P116

甲東は寒さも感じないまま、涙をこらえて呂運亨の演説を聞いていた。思えば、日本時代には法があった。日本は取調べで死んだ遺体を家族に返したし、僧侶を呼んでお経を唱えさせることまであったと聞いたが、いまの警察は家族に知らせるどころか、遺体を放置したままである。解放さえすれば、平和で希望に満ち溢れた時代が訪れると思っていたが、この現状を見ると、朝鮮民族というのは、日本人以上に残虐な民族なのではないか。甲東は何度も溜息をついた。 P116

一九四六年夏、甲東がソウルへ戻ってみると、全国に六〇万の党員を擁する朴憲永麾下の朝鮮共産党は、大混乱に陥っていた。スターリンの後ろ盾を得ている平壌の金日成は、日本人から没収した潤沢な資金を使って呂運亨と白南雲を味方につけ、朴憲永に対する圧力を強めていた。共産党を呂運亨率いる人民党(党員二万人)および白南雲率いる新民党(党員七〇〇〇人)と合併させ、呂運亨を委員長にして朴憲永を骨抜きにしようとしたのである。また、のちに知ったことだが、金日成は朴憲永に刺客まで送って暗殺を企てていた。 P123

まぁカオスですわ。

この辺見ると右派が野蛮なテロリストに見えますが、この著者は南労党のガッチガチの社会主義者です。まぁ当然バイアスはあるでしょう。

もちろんそれをもって右派が素晴らしいとはなりません。野蛮人そのものですから。

無政府状態になるとこうなりがちです。

「朝鮮民族というのは、日本人以上に残虐な民族なのではないか。甲東は何度も溜息をついた」、とありますが、こういう考え方はやめた方がいいでしょう。

だいたい、外でパルチザン活動やってた連中なんて殺人&略奪を平気でやる蛮族なわけですよ。

そんでもって当時の共産主義者など暴力革命マンセー!の人たちで、ならず者まがいの連中が牢屋から出てきて、その蛮族どもが権力闘争おっぱじめたわけです。

ISISがイスラム教徒ではない、というのと同じです。ただの犯罪者は、ただの犯罪者です。民族云々は関係ありません。

そういう連中が権力闘争はじめれば、そりゃとんでもない混乱が起きるにきまってます。

法を守ってまじめに働いて生きてた大多数の人たちは、この蛮族たちに「親日派」呼ばわりされて発言権を奪われたわけです。

歴史から学ぶのなら、「こういう蛮族に権力を持たせてはいけない」、ということを教訓とすべきでしょう。

こういう壮絶な内ゲバが始まると、常識人ほど嫌気がさしてきます。嫌気がさした呂運亨の言葉が当時のありえなさをあらわしています。

こうした中、渦中の呂運亨がテロリストに襲われて刺されるという事件が起こった。

(中略)

呂運亨は部屋の中央のベッドに、半身を起こした格好でじっと座っていた。窓から差し込む午後の陽光を浴びた白い韓服姿は、悟りを開いた仙人のように見えた。

「先生、お身体は大丈夫ですか。心配になってやってまいりました」
呂運亨は達観したような顔をあげて、「朴君、元気でやっているかね」と、いつもの太い声で聞いた。

「私はいまも朴憲永先生の下にいますが、共産党は内部分裂を始めており、自分でもどうしたものか思い悩んでおるところです」
甲東は正直に答えた。

呂運亨は、小さく息を吸って、病室の天井を仰ぎ見た。

「朴君、じつは私はもう何もかもが嫌になった。田舎に帰って、静かに余生を過ごそうと思っているところだ」

呂は苦衷に満ちた表情で、かぶりを振った。還暦を迎えた顔には深い皺が刻まれていた。

中央高普生のときに初めて出会って以来、呂運亨に接するたびに、甲東は故郷の丹渓にそびえる銀杏の大木を思い出した。大木は四方から風を受けるたびに素直にその風になびいた。呂運亨も同様に日本になびき、蒋介石になびき、ハッジ将軍になびき、スターリンになびき、朴憲永になびき、いままた金日成になびいていた。あまりに八方美人なために、どの派からも信頼されなくなった。

当時の朝鮮政界では「中道」というものはありえなかったのである。

「呂先生は朝鮮建国になくてはならないお方です。どうか旗色を鮮明にして、建国のために尽くしてください」
甲東はそこまでいうと涙が溢れてきて、そのまま深々と頭を下げて病室を後にした。自分の将来について呂運亨に相談に行ったつもりが、さらに思い迷う結果となった。

呂運亨は、翌一九四七年七月、恵化洞のロータリーで、ふたたび刺客に襲われて死去した。享年六一。二〇世紀朝鮮を代表する政治家にしては哀れな末期だった。 P124-125

「何もかも嫌になった。田舎で静かに余生を過ごすよ、、、。」
「当時の朝鮮には中道というものがなかった」

大変ですね、ほんと。

日本の愛国馬鹿といい、昔の人に妙な幻想を抱いていますが、「気に入らない奴は暗殺せよ」、がこの時代の常識です。こういうのを知れば知るほど現代に生まれて本当に良かったと神に感謝する毎日です。

こういう極論がまかり通って、不毛な論争がはじまると、まともな人ほど嫌になってしまいます。今のネット言論と同じですね。

このような無政府状態になると、一番狂っている奴が勝ってしまいがちです。

そういう点では、アメリカで博士号も取得した李承晩という知識人が韓国の大統領になったのは韓国にとっては僥倖だったと思います。

なぜか独裁者の殺人鬼のように描写されてますが、大暴れする無法者を取り締まっただけなのに、なぜか善良な市民を殺戮したことにされています。もちろん警察もかなり横暴なことやっていますが、はっきり言ってどっちもどっちです。昔の人は野蛮だね、という感想しかないですよね。

「昔と比べて、今の世の中はだいぶ良くなったね~、うんうん素晴らしい」、で終わらせれば良いのに、現代の価値観を持ちこんで過去を断罪し、その罪を今を生きる人におっかぶせて責任取れ!と大騒ぎするのが左翼のありえないところでしょう。実に野蛮です。

この『北朝鮮を継ぐ男―革命家・朴甲東の80年の軌跡』という本を読むと、信託統治にしていたら、おそらく南労党や社会主義を掲げる政党が選挙で勝っただろう、という判断になります。

アメリカとの相互防衛条約もない状態です。

その状態で南北合わせた選挙をし、共産党系の政党が誕生。

初代大統領は金日成。

そうなったらめでたくソ連の衛星国として、粛清と人民裁判が荒れ狂う国になっていたでしょうね。

そもそも金日成(=ソ連)の粛清を逃れた人たちが、韓国で右派団体を作っていたわけですよ。金日成の暴虐さを身に染みて分かっている人たちからしたら、左派の連中は何も分かってない愚か者に見えたでしょう。

「いくら言っても聞かない。むむむ、、、こうなったら暗殺するしかねぇ!」

と、左派と右派で殺し合いが始まってしまいます。

まさに当時には「中道」というものがなかった、というコメント通りと言えます。

極論がまかり通るとろくでもないことになりがちです。

「妥協」することを知らない絶対教徒がはびこると、だいたい全体主義化していきますよね。そういうことを歴史から学ぶべきでしょう。

そういう点では、歴史の見直しが韓国で広がっているのは良いことだと思います。

ちなみに「日本統治時代は素晴らしかった!」という主張など期待もしていないし、そんな馬鹿なことを言いだす奴は粛清すべきです。

当然悔しがるべきですし、二度起きないよう歴史から学ぶべきでしょう。

ありえないのは、韓国でまかり通っている建国世代と富国世代に対する異常な貶め方です。

李承晩と朴正煕の偉業を知った後に、韓国の検定版教科書を読むと、恐るべき恩知らず教育だなとドン引きするレベルです。

これに比べたら日本の自虐史観など、ただの方向性のズレた過剰な自己反省史観でしょう。純粋に馬鹿なだけです。

日本は韓国と歴史論争をするなら、日帝時代の書き方は全て無視して、「なぜ現在進行形のチュチェ帝強占期のことを日帝時代と同じように具体的かつ情熱的に書かないのでしょうか?」と言うべきでしょうね。

あと、「敬愛する朴正煕閣下が〝親日派〟などありえない主張ですよ!韓国人は恩知らず揃いかっ!!」と、机をバンバン叩いて抗議すると効果的でしょう。

朴正煕ほど「滅私」の精神で韓国国民のために尽くした大統領はいないと思えます。

日本でも、下記のような著書を読んで韓国の歴史見直しの本当の姿を知るべきでしょう。

 

日本のネットでまかり通っている、「韓国は反日教育している!!」、という書き込みは韓国で広がっている歴史見直しの本当の姿を日本で広めないようにしているのでしょう。

その手のやり口が北朝鮮のネット戦略の基本中の基本と言えます。そういう書き込みを保守の仮面をかぶってせっせとやっているわけですね。それにまんまと乗っかる日本の愛国馬鹿が大量発生するわけです。おかげさまで大川隆法に国連の場で天皇陛下が凌辱されるような事件が発生するわけです。(※国連の場で大川隆法に神道と天皇陛下が侮辱されているのに激怒しない保守

本当にいまいましい連中です。

日韓友好を願うリベラルは、そういう印象操作にだまされないようにすべきでしょう。

 

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