『北朝鮮脱出 地獄の政治犯収容所』 生徒が狂うまで暴力を加える

 

 この本は、強制収容所から脱出した方の手記です。ここでは、強制収容所内での子供達がどれだけ残酷な目にあっているかが書かれています。この強制収容所の実態を知らずに、北朝鮮は語れないでしょう。

北朝鮮脱出〈上〉地獄の政治犯収容所 (文春文庫)』 P181-184


 昨晩、革命歴史の教員である「老いぼれ狐」こと朴泰洙教員の置いてあった自転車が、めちゃめちゃに壊されていたのである。
 誰が石を投げたのかサドルが壊れ、自転車の電灯がわれているではないか。それを見た朴教員の顔つきはこの世のものとは思えないほどであった。
 「この糞ったれめが。この自転車がどういう自転車か、わかっているのか。これは親愛なる指導者同志の誕生日の特別プレゼントとして賜わった自転車だ。共和国では最高の自転車なんだぞ。その自転車をこんな姿にしてしまったのはどこのどいつだ、早く出てこい。頭を糞だめに突っこまれないうちに早く出てこないか。この反動野郎めが」
 「老いぼれ狐」 朴教員が喉まで真赤にしながら、悪態をつけばつくほど、私たちには痛快であった。
〈誰がやったのか知らないが、胸がすうっとした。僕だけじゃなくて、みんなも同じことを考えていたんだな……〉
 問題はその次であった。朴教員は老いた狐らしく、きわめて狡猾な方法で私たちを問いつめた。
 「俺の自転車をこんなふうにした者が現われるまで、誰も家へ帰れないと思え。何日でも、いや何カ月かかっても、必ず探し出してみせる」
 私たちは、朝から立たされる羽目となった。身動きできず、水一滴も飲めなかった。
 やがて日が暮れた。一日中、立っていると足がふらふらしてきた。それでも犯人は名乗り出なかった。
 「反動分子の種子というのは、やっぱり反動だ。これは教員を甘く見て、反抗する行動だから、絶対に放っておくことはできない。さあ、目にものを見せてくれよう」
 いつの間にか夜になった。私たちは膝ががくがくしてもはやこれ以上、立っていることができなくなった。
朴教員は、私たちを十時間をこえるほど長く立たせておきながら、自分は椅子を持ってきてどっかと座り、どちらが勝つかやってみようという構えであった。
 夜の空気はとても冷たかった。骨の筋は棒きれのようにはれて固くなってしまった。体全体がぶるぶると震えてとまらず、歯ががたがた鳴った。夜は次第にふけていった。このような拷問は殴られるよりもずっときついものであった。子供たちはさめざめと泣いた。こんなに辛い思いをするのは生まれて初めてだった。
 朝になり警備隊の隊員が銃を下げてやってきた。彼らも教員の壊れた自転車を見ると一緒になって騒いだ。
 私たちはその気勢に圧倒され恐怖にかられた。
 収容所内の警備隊員はみんな二十歳前後の若さであった。また世間知らずの青二才だった。朝鮮では、収容所の人びとはみな反革命分子であり、同胞ではなく敵であると教育している。彼らもまた私たちを敵と考え、毛ほどの迷いも同情心もなかった。
 彼らは突立っている私たちのあいだを通りながら、
 「どいつがやったんだ、えっ。 反革命分子のガキだけあって強情さもかなりのものだな」
 と言った。そうして誰かれかまわず銃のヘリで殴ったり、蹴ったりした。
 私たちの中に咸興から新しく来た生徒がいた。彼は背も高く、体格もよかったが、正義感の強いまっすぐな性格のせいで、まだ収容所の生活によく適応できないでいた。警備員が彼を殴ると、
 「あ、何をするんですか。私は何もしていないのに」
 と食ってかかった。警備員たちは、
 「何だと、そうか。まさにこういうやつこそ、教員の自転車をあんなふうにしたやつにちがいない。うまくひっかかった」
 とその生徒を引きずり出してさんざん痛めつけた。彼は度胸がよく、ほとんど死にそうになりながらも最後まで反抗した。そのために彼一人が犠牲になってしまった。
 朴教員と警備員の関心が彼に集中すると、私たちはやっとひと息入れることができた。
 革命歴史の教員は彼を連れて校舎に入り、私たちを解放した。
 「おまえたちはもう家へ帰ってよい。糞ったれめが。おまえたちを何のとがもなく帰すのでないことははっきり知っておけ。いつか、俺の手で、必ず犯人を捕えてやるから」
 彼の言うことなどもはや耳に入らなかった。体はまるで雲の上に立っているかのようにふらついていた。どうして家までたどりついたのか、それだけでもラッキーであった。
朴教員に連れて行かれた生徒は数日後、半狂人になって解放された。出てきた姿を見ると、顔全体が元どおりのところは一つもなかった。あまりにひどく殴られてそうなったのか、口は開いたままで、目には焦点がなかった。
数日間、飯も与えずにずっと絞りあげたため、本当に精神に異常をきたしてしまったのである。あれほど明るかった子が、異常な声をあげたり、教員が通りすぎるだけでぶるぶると震え、机の下に隠れたりするような子になってしまった。


 

 戦慄を覚える暴挙です。そしてこの暴挙に日本の世論が騒いでいないことに恐怖を覚えます。これこそ平和を愛するリベラルの出番だと思えますが、一切沈黙しています。まだ極右だのなんだのと言われている人達の方がこのことを取り上げています。

 朝から立ちっぱなしにし、夜通し立ちっぱなしにし、水も与えず、夜の寒さに震える。夜が明けるまで続けています。

 それを子供相手にやっているのです。ありえないほどの残酷さです。

 そして反抗した子供に容赦なく暴力を加え、精神に異常をきたすまで人を追い込みます。異常な声を上げ、教員が通り過ぎるだけでぶるぶる震え、机の下に隠れる。人をこのような状態にまでするのが、学校の先生です。

 そしてこれを国家として、容赦なく行っているのが北の暴君なわけです。その人を「敬愛する将軍様」と書いて褒めたたえる教科書を使い、子供に授業を行う。そんな残酷な教育を日本の朝鮮学校で行っています。なぜこの暴挙を朝鮮学校で教え、人権の尊さを学び、北の大地で残酷に殺されている強制収容所の人達のために、怒りの声を上げてくれないのでしょうか?これが朝鮮民族の民族教育と言えるのでしょうか? 絶対に言えないと思います。北の大地で墓もなくただ埋めれた、朝鮮同胞の魂が、絶対に許してくれないでしょう。

 朝鮮学校は、一刻も早く子供達の未来を踏みにじる、残酷な教育をやめてほしいと思います。そうしなければ、せっかく数十年の歴史を刻んできた学校が、衰退し、消えてしまうでしょう。北朝鮮の人権弾圧を教え、その暴挙に怒り、涙し、冥福を祈る、そんな真の民族教育をしてほしいと願ってやみません。

※トップの画像は、『図説 北朝鮮強制収容所』から引用。

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