『ルポ 思想としての朝鮮籍』に見る詭弁

在日朝鮮人の中村一成さんが書いた『ルポ 思想としての朝鮮籍』。

北の、北による、北のための在日の歴史で洗脳教育を受けるとこうなる、という典型的な本でした。

基本すべてがブーメランです。

何十年も前の日本の植民地支配や、韓国の軍事政権時代の虐殺にはえらくご立腹なのに、現在進行形の北朝鮮の政治犯収容所をはじめとした人権問題には何も言わない時点で終わってます。

何より信じがたいのは、あれだけ「民族教育ー!」と連呼するのに、金日成・金正日に強奪された朝鮮学校を取り返そうとしないところでしょう。

それどころから、子供の未来を北の暴君に売り渡すことに平気で加担します。

そういう点では、辛淑玉さんのように「朝鮮学校は潰れるべき」と断言する在日コリアンの方がはるかにマシです。そういやなぜか朝鮮学校に都合の悪いリベラル言論人にかぎって、えらくネトウヨに攻撃されているようにも思えます。

この辺の手腕はさすが北朝鮮といったところでしょうか。

さて、『ルポ 思想としての朝鮮籍』ですが、あとがきに在日チュチェリアンの問題点がすべて凝縮されていました。

 

あとがき

一九九四年秋、新聞社でライターを始めて以来、在日一世、二世の聴き取りを最優先の課題にしてきた。原動力は私の出自だろう。一九三〇年代、慶尚南道から渡日した祖父母、二人から生まれた私の母は、自らの来歴や在日する思いについて私にほとんど話さなかった。

この人たちの特徴は、北送された在日一世、二世であり脱北者である北送同胞たちの声をことごとく無視するところでしょうね。

この辺の本を読んで、北送同胞がどういう目に合わされたかちゃんと勉強してほしいものです。

取材で知り合った(ルモニやハラボジからいただく言葉の数々、そして彼彼女らのあまりにも豊饒な沈黙と対話を交わし、それを文章に刻みつけていく行為は、一方のルーツから疎外された私にとって自己の空白を埋めることに直結していた。最初の単著『声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々』は、語られなかった私の来歴を追い求めた結果でもある。

強固に構築されたこのアイデンティティを傷つけられたくないせいか、北朝鮮の政治犯収容所で北送された在日同胞がどうやって殺されたかは知ろうとしないですね。

だがそんな先人たちは得てして先に逝ってしまう。二〇一一年、会社を辞めてフリーになった大きな理由もそこにある。このまま会社員を続けていては「間に合わなさ」を重ねるばかりだと思った。すでに見送った幾人もの先人に応答したいと思ったのだ。

間に合わなさで言えば、90年代に姜哲煥がもたらした在日同胞の苦しみにショックを受けて、「我々の親族を日本に戻せ!」の大合唱を巻き起こさなったことこそが「間に合わなった」と称すべきでしょう。

同胞を盛大に見捨てた人たちが何を言ってんだか。

本書もその流れから生まれた。雑誌『世界』二〇一五年七月号から翌年七月号まで連載した同名ルポルタージュをもとに、加筆、修正した。

出ました、『世界』。

昔っからの親北雑誌ですよね。

リベラルが聞いてあきれる。

今回、焦点を当てたのは「在日からみた戦後七〇年史」、とりわけ一九四〇年代から五〇年代だ。在日が厳しい選択を迫られた時代であると同時に、憲法草案(GHQ案)が提示した、戦後のこの国の「別の在りよう」が踏みにじられ、世界に発信し、広めるべき価値、理想、理念が死滅していく時代を批判的に振り返りたかった。

どう考えても在日にとって重要なのは、60年代後半から70年代にかけての金日成絶対主義の蔓延でしょう。

この時期に完璧に朝鮮学校の民族教育が変質させられたわけですから。

40年代、50年代を問題視するより、60年代の帰国事業という名の集団拉致の方がはるかに問題です。

在日のとっての「広めるべき価値、理想、理念が死滅していく時代」がまさに60年代です。

聴き取りを重ね、史料を読むなかで再認識したのは、戦前、戦後の連続性だった。仏文学者の鵜飼哲さんが「憲法九条の前と後」と喝破したように、憲法は、一条から八条までを天皇制の規定にあて、九条をはさんだ後、一〇条で「国民の要件」を定め、一一条から軒並みその享有主体を「国民」にした基本的人権条項が並ぶ構造をとる。それは帝国の象徴である天皇制の存続と、戸籍から国籍に再編された在日差別で「戦後」が始まった事実を刻んでいる。「出発点」での欺瞞と人びとの順応が、この国、社会の在りようを規定したと思う。

北という監獄に同胞送って、その被害者の声や、日本に残った親族の苦痛を無視し、徹底して口封じをし、北の暴君が朝鮮学校の子供の未来を踏みにじるのを黙認することこそ、史上最悪の在日差別だと思えます。

それを在日自身が率先してやっているんだから笑えない。

「戦争放棄」を唱えつつ、一方の国家殺人「死刑」を支持、黙認し、「基本的人権の尊重」を言いながら、「元国民」である在日朝鮮人がその享有主体から排除されている現状を看過する。「平和主義」を口にする一方で米国の戦争に付き従う――。これらの欺瞞を多くの日本人はそれとして認識してきたか? 倫理と生活を切り離し、日常の安定を謳歌してきた結果が、数年来、吹き荒れるレイシズムであり、「戦後」という欺瞞を最悪の形で解消しようとする第二次安倍政権の誕生ではなかったか。

北朝鮮で、北送された在日同胞が公開銃殺されてますね。

人権を尊重している!と豪語して、人権弾圧やりまくりの北朝鮮にはなぜかダンマリ。

まぁちょろっと文句を言う程度ですが、日本に対する100倍は北に文句言わないとダメでしょう。なにせ在日一世、二世が万単位で殺されているわけですから。

「平和主義」を口にする一方で米国の戦争に付き従う――。これらの欺瞞を多くの日本人はそれとして認識してきたか?」

これも盛大なブーメラン。

「在日差別を口にする一方で、朝鮮学校に通う子供を北の暴君から保護しようとしない在日差別に加担していないか?」と、言ってやりたくなります。

戦後アメリカが戦ってきた相手をよく見た方がいい。自国民虐殺する独裁者ばっかりですよ。アメリカが完璧とは言いませんが、自国民平気で殺す狂人集団より米軍の方がマシです。まぁ失敗して無政府状態という独裁より悪い状態になってしまっているのは残念ですが。

本稿執筆の最中、戦後日本が拠り所とした「世界秩序」の創造主たる米国で、レイシストでセクシストの金満家が大統領に当選した。これはイスラモフォビアが蔓延する欧州の極右や、日本の差別主義者を後押しし、「市民社会」という概念を破壊していくだろう。

凄いこと言いだしました。

これってトランプに対するヘイトスピーチでは?すんごい憎悪言動に思えます。

そもそもトランプごときに市民社会は破壊できないですよ。考えすぎです。

人類の英知「人権」を取り巻く危機的状況は、新たな段階に入った。「人間の尊厳」や「自由」がいかに尊いか。なぜそこに命を賭けて闘う者がいるのか、その真の意味と重みを今後、私たちは、空疎な「お題目」ではない形で身をもって知るはずだ。およそ七〇年前、「平和」のありがたさを身をもって知ったように。それが「別の在りよう」を求める連帯と生き直しの出発点になるだろう。

これが凄い。

ぜひ朝鮮人民のために、人類の英知「人権」を掲げて北朝鮮労働党と闘ってほしいものです。

少なくとも、朝鮮学校を北の暴君から奪還するためにの闘いは開始すべきでしょうね。できないというなら人権語る資格なしです。

書籍化作業と同時進行で起きたいくつかの出来事を付記しておきたい。大統領の任期満了まで一年を切った二〇一六年五月、伊勢志摩サミットに出席したバラク・オバマ氏は広島に立ち寄った。核兵器使用を命じるための専用鞄を平和記念公園に持ち込みながら、慰霊碑に献花、演説し、被爆者と抱擁を交わす姿は、「核なき世界」を標榜しつつ、何ら成果を残せなかったこの大統領の「捻れ」を象徴していた。安倍晋三氏はこの年の原爆忌でもまた「唯一の戦争被爆国」と口にし、空虚な挨拶を述べた。ちょうどその頃、オバマ氏が導入を目指した核兵器の先制不使用政策に安倍政権が反対の意向を示していたことが判明(『ワシントンーポスト』によれば、首相本人が米側に伝えた)、加えて安倍政権は同年一〇月、「核兵器禁止条約」の制定協議開始を定めた国連決議にも反対票を投じた。

悪意の塊みたいな解釈をしています。これだから脳内が従北汚染された人は困る。

やり方が思想警察ですよ。あいつは「こう思っているに違いない」という悪意に満ちた解釈。

人の頭の中なんてのぞけないのですから、言葉と行動で判断するしかないでしょう。言葉と行動を見る限り、なんら問題はありません。

オバマの広島訪問と、安倍総理の真珠湾返礼訪問は素晴らしい和解のイベントだと思えます。

核兵器禁止の件も、そもそも北朝鮮に言うべきです。

日本はともかく韓国が核武装しても仕方ないでしょう。

自分の腹心を機関銃でひき肉にするような狂人が核兵器持っているわけです。対抗手段を持とうと思うのが当然です。

そっちを無視して日本だけ非難しては、従北呼ばわりあれても仕方ないでしょう。

それにしても徹底して北のための言論を展開しておられます。

韓国の政治状況には転換が訪れている。朴槿恵大統領の親友である占い師が、国の政策や人事に介入していたことが問題化、大統領の親友や側近が逮捕され、朴氏の支持率は歴代最低の四%にまで低下、弾劾訴追案も可決された。彼女の末路がどうなるかによらず、「国民的批判」の強い国定教科書導入は断念に追い込まれる可能性が出ている。次の政権次第では、「慰安婦合意」の白紙化もあり得る。四・三の認識を巡る後退にも一定の歯止めがかかるだろうが、あの大虐殺を「共産暴動」としたい保守・右派系団体の攻撃は根強い。正名を巡る闘いはこれからである――。

従北汚染全開の教科書を除染するために教科書国定化が進められたわけですが、それが気に入らないそうです。北朝鮮の数々の対韓テロ事件や、政治犯収容所はじめ自由を抑圧した北の人権弾圧が一切書かれていない韓国の検定版教科書。

国定化でもして従北汚染を除染しないヤバイのに右翼妄言扱いして徹底して阻止しようとしてきます。誰の手先かバレバレです。

もう一つは従北さん一押しの「済州島四・三事件」。

共産主義の暴動で片付けるのは乱暴でしょうが、一部の暴徒を鎮圧するために、これまた暴徒さながらの軍隊が武力で鎮圧。その過程で、色んな悲劇が起きたことは事実なわけです。

なぜか無抵抗の無辜の民が、軍隊に虐殺されたかのように描写したがります。

この辺は、北朝鮮の歴史工作の真骨頂。反政府情緒をせっせと醸成して、革命家を養成する神話を作るのが実にうまい。

そんな何十年も前のことで熱くなるくらいなら、現在進行形の北の政治犯収容所で虐殺されている朝鮮人のために熱くなってほしいものです。

本書に登場していただいた高史明さん、朴鐘鳴さん、鄭仁さん、朴正恵さん、李実根さん、金石範さんの六人は、いずれも一九四〇年代後半から五〇年代の生き証人である。当時の在日を語る上で避けられない「分断」「共産党指導下での革命闘争」「文化運動」「民族教育運動」に当事者として参画した経験を持ち、「『イデオロギー』としての朝鮮籍」でなく、「『思想』としての朝鮮籍」を生き、それを自らの言葉で語れる大たちである。何人かは「最後の仕事」「遺言のつもり」と口にして、聴き取りに応じてくださった。

朝鮮籍にイデオロギーも思想もないでしょう。

言っている意味が分からない。

ぐだぐだ言い訳してないでさっさと、平和統一のために北の軍事独裁清算と民主化を求める活動をはじめてほしいですね。かつて朴正煕政権に軍事独裁清算と民主化を求めたように。

本書の刊行にあたってはまず、時間を割いて、微妙な内容も率直にお話しくださった、これら六人のみなさんにお礼を申し上げます。お会いした時期は様々だが全員、私淑の大、「取材」の名目で贅沢にも個人授業を受けた、というのが実際である。ゆったりとした時間の中で対話を重ね、これからを生きる糧となる言葉を紡ぎ出していく作業は、まさに至福の体験だった。学んだのは歴史的事実や数々の知識だけではない。それらを忘れ去った後にも残る人間の在りよう、品性のように思う。

また、昼夜を問わぬ私の五月雨式の質問に対応してくれた文京洙さん(韓国現代史)、呉仁済さん(朝鮮近現代史、在日朝鮮人史)、連載段階から貴重なご意見をいただいた在日本朝鮮大人権協会の金東鶴さん、雑誌連載を読んで、そこではとりあげなかった高史明さんとのインタビューの実現に尽力してくださった作家の黄英治さんに深謝いたします。一〇代の頃、高史明さんの『生きることの意味』を生きる支えとした私にとって、黄さんから高史明さんとの対話にお声掛けいただいたことは望外の喜び(と緊張)だった。

『世界』編集長の清宮美稚子さんは、前著『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件―〈ヘイトクライム〉に抗して』に続き、今回も、雑誌連載から単行本化まで伴走してくださった。心から感謝申し上げます。

六人の先達から得た言葉の数々を躰で読み、私自身の言葉をそこから掴み出さねばならないと、心を新たにしている。

本書の刊行を誰よりも喜んでくれているはずの李榮汝さんに、本書を捧げたい。

二〇一六年十二月九日

中村一成

この中村一成さん、典型的な従北病です。本人に自覚症状がないところが非常に厄介。

朝鮮学校で教育受けると、北朝鮮を嫌いながらも、別の理由を見つけて北朝鮮の喜ぶことをせっせとやってしまう人間ロボットになってしまうという良い例です。

この本に登場する人たち、やたら統一にこだわるんですが、統一のために最も大事な北朝鮮の軍事独裁清算と民主化を求めることはまずない。意味が分からない。

北の人権問題にも沈黙。

それよりも北朝鮮が大嫌いな、韓国の保守と、日本の保守を攻撃することが大事。

だいぶ善悪の判断と、優先順位の考え方が狂ってる。

それにしてもこの人たちはいつまでこの欺瞞を続けるのか?

このまま朝鮮学校は潰れたら、残るのは怨念だけ。

それも本来北朝鮮に向けるべき怨念を日本や韓国に向け、その呪いをこれから生まれてくる子供に伝染させる。

いつまで在日子弟の未来を踏みにじるつもりなのか?

ルポ 思想としての朝鮮籍』のような本を書いて、生涯学習式に怨念を子孫に伝える残虐な行為はやめてほしいものです。