帰国事業について語る『週刊金曜日2014/9/12号』

先日の記事で、2011年3月11日号の帰国事業の対談記事を紹介しました。

今度は『週刊 金曜日 2014年 9/12号 [雑誌]』で、高英起さんが司会になっている対談記事を紹介します。

うま~く、脱北者の口を使って、せっせと北と総連の罪を矮小化する内容が随所に見受けられました。さすがは隠れ従北の高英起氏です。まぁ「従北」は言い過ぎかもしれませんが、なんだかんだ身内をかばいたく人間の弱さが出てしまっているのかな~、という印象。

全文紹介しつつ、ここが危険というところにツッコミを入れていきたいと思います。

 

脱北者が語る「北朝鮮調査」のゆくえ

進行 高英起
こうよんぎ/1966年生まれ。在日二世のジャーナリスト。2010年から「デイリーNK」東京支局長を務める。

石川学
いしかわまなぶ/1958年生まれ。東京都出身の在日二世。1972年、14歳の時に北朝鮮に帰還。2001年に脱北し、02年9月に日本に入国。妻子も06年に脱北した。東京都内在住。

川崎栄子
かわさきえいこ/1942年生まれ。京都府出身の在日二世。 1960年に17歳で単独で北朝鮮に帰還。43年後の2003年に脱北。04年に日本に入国した。東京都内在住。

李花紅
リファホンソ1970年、北朝鮮で生まれ育つ。2人の子どもを連れて脱北し、2008年12月に日本に入国した。東京都内在住。

拉致被害者や日本人妻など「全ての日本人調査」の第1回報告書が近く出される予定だ。日本に約200人いる脱北者は今回の「北朝鮮調査」をどう見ているのか。在日二世である高英起さんの進行で、年代も経歴も異なる3人の脱北者が語る。

高 日朝政府が5月末に合意した拉致被害者や日本人妻など「全ての日本人に関する調査」について、脱北したみなさんに率直な意見を語ってもらいたいと思います。その前に、話せる範囲で、ご自身のことを紹介していただきたい。朝鮮民主主義人民共和国(以下、「北朝鮮」)への帰還事業(51ページのコラム参照)がありましたが、川崎さんと石川さんもこの事業で北に渡りましたね。

だまされての帰還

川崎 私は、小中は日本の学校に行き、高校は京都の朝鮮高校に進みました。家は両親と子ども5人の7人家族で、とても貧しく、進学をあきらめるように言われましたが、当時の金日成主席(1994年没)が在日の子どもたちのための奨学金を国家予算に組み込み送ってくれ、私はそれで特待生として朝鮮高校に進学できたのです。60年代初頭は韓国で李承晩(大統領)打倒の学生運動が起きるなど、資本主義より社会主義の方がよいという風潮がありました。
高校3年生だった私は実際の社会主義を経験したいと思い、自分で(帰還を)申し込んだのです。両親は2人とも韓国出身でしたから猛反対しました。しかし私の気持ちは変わらず、最後に父が「どうしても行くか。1年だけひとりで我慢しろ。家族であとで行くから」と言って許してくれたのです。単独で帰還船に乗ったのは1960年のことです。

高 その後、ご家族も帰還されたのですか?

川崎 現実を見たら、こんな所に来たら家族が死んじゃうと思い、いろんな手を使って来させないようにしました。北朝鮮は朝鮮戦争で若い男をたくさん亡くしたので労働力がほしかったのですね。総聯(在日本朝鮮人総聯合会)がそのお先棒を担いだ。日本社会もこぞって帰還を奨励しました。日本から北に渡った9万3000人を見殺しにしたのです。

石川 私は母が日本人で、小学生になるまでは白分か在日朝鮮人二世だということを知りませんでした。両親が離婚し、当時社会人だった姉と一番上の兄と、14歳だった私の3人が72年8月に万景峰号に乗って帰国しました。帰還前、中学校の同級生が「おまえの考えているような国じゃないぞ」と私に迫り、寄せ書きに「朝鮮人そんなに急いでどこへ行く」と書いたのが忘れられません。当時の日本社会とメディア、総聯が「北朝鮮は楽園の国」などと宣伝していたのに、その同級生の洞察力がどこから出てきたのか、今でも不思議です。確かにだまされて帰還したのですが、今それを責めてもしょうがないと思います。

最後の高英起氏のコラムで再出してますが、この「今それを責めてもしょうがないと思います」というのがとっても危険。

そもそも責めているのは朝鮮総連がまったく反省してない点です。もし反省して在日同胞を地獄送りにしてしまった最悪な失敗だと総括していれば、朝鮮学校の歴史教科書に帰国事業を「愛国愛族運動の礎となり高揚の契機となった」などと書けないはずです。

さらには子供を毎年平壌に送り込んで、北の独裁者を褒めたたえさせる公演など絶対にやってはいけない暴挙です。

「今さら責めている」わけではなく、事実が明らかになった後も発言と行動が改善されていないことが問題なわけです。

高英起氏の危険なところは、朝鮮総連に対して超否定的で、厳しい意見を持っている脱北者の意見を取り上げようとしない点でしょう。

80年代に生活が暗転

高 帰国してからの生活は?

川崎 私は高校を卒業して大学に進み、卒業後は機械工場の設計室で仕事をしました。その頃にはもう、見たり聞いたりしたごとをそのまま口にしたら命が取られることがわかっていましたから、方向転換しました。65年に結婚し5人の子どもを産み育てました。しかし配給では食べていくことができません。平壌では9割が米、1割が雑穀。地方ではその逆で、秋には米が3割くらいに増えることはありましたが、通常は9割が雑穀で米は1割です。一番困るのが大豆。水にふやかして臼でついて調理しますが、2食これを食べると消化できず下痢。毎食トウモロコシだけだと神経もおかしくなっていきます。

石川 私は高校卒業後、機械設計の仕事に就きました。4年目に製鋼所に移り、そこで13年くらい働きました。中朝国境に近い恵山に住んでいたのですが、恵山はジャガイモの産地で、ジャガイモでチヂミや麺を作りました。1981年に結婚し、日本にいた母に手紙を書くと、その年、母が訪朝したこともありました。

高 いつごろから状況が変化していったのですか?

石川 金日成から後継指名を受けた金正日に80年代を通して主導権が移っていくのですが、80年代半ばからはそれまで15日に1回あった配給が繰り越しになり、給与も飛び飛びに。80年代後半にはさらにひどくなり、90年代になると配給も給与も止まってしまいました。テレビ、冷蔵庫、マットレスまで次々に売り払って何とかしのいでいました。

川崎 1988年のソウルオリンピック開催が決まったとき、それに対抗して金正日が世界青年学生祝典をやると言い出したんです。金日成は無理だと言い、正日はどうしてもやると、2人が衝突しました。すでに事実上、正日体制になっていたので正日は強行したのです。開発費などに巨額のカネをかけたため、89年の祝典後から配給が止まり始めました。

これも事実ですが、微妙です。金正日はとんでもなかったが、金日成はそうじゃなかったという情緒誘導が見受けられます。

政敵の粛清ラッシュを見る限り、金日成も十二分に極悪人です。

まともな人情を持った人なら、帰国事業でついて行った日本人妻の里帰りさせてくださいという直談判に応えていたはずでしょう。それを無視して直談判した人たちを軒並み収容所送りにしたのは金日成なわけですから、擁護できる要素など皆無です。

金正日は最悪だったが、金日成はまだ良かった。北でもよく見受けられる意見です。こういう思考回路に在日を誘導しようとせっせと情報工作しているのが、北の在日に対する思想コントロールと言えます。

脱北の決意

石川 その頃の恵山では、木材を中国に売って、代わりに飼料を買ってくる。飼料というのはニワトリの餌で雑穀のくずですが、食べるものがないのでこれをどろどろに溶かして食べるのです。カビの生えたものも食べました。舌が痺れて頭が痛くなり、とても食べられたものじゃないのですが、それでも食べないと死んでしまう。朝起きて家を出ると、道には死体がごろごろ。みんな餓死しているんです。私は息子を連れて崖から飛び降りようとまで思い詰めました。97年のことです。

高 私も当時、豆満江に浮かぶ死体を目撃しました。

川崎 金日成が亡くなったとき(94年)、少しは期待したんです。しかし、国民がバタバタと餓死しているときに正日は父の墓を作り始めました。国会議事堂を墓に作り替える大工事でした夕それを見たとき、この国はもう内部ではどうにもならない、外の世界に実情を知らせなくてはと思いました。私は脱北するとき、誰にも言いませんでした。5人の子どもにも言わなかった。03年に脱北し、中国で手続きを済ませ、日本に入国できたのは04年です。

石川 ある日、駅前に行くと、9歳か10歳の男の子が今にも死にそうでベンチに座っていました。用事を済ませて夕方に戻ると、その子は手にパンを握ったまま死んでいました。誰かがパンを食べさせようとしたのでしょう。しかしもう食べる気力さえもなかった。死に顔に笑みが浮かんでいたのが、今でも忘れられません。私はもうこの国でいくら頑張ってもダメだと思いました。命をかけた勝負だ、バクチだと女房に連絡をし、無事に日本に着いたら何とかしてカネを送るからと言い残し、2001年11月に兄と2人で豆満江を渡ったのです。日本に入国できたのは02年9月でした。その後、妻と息子2人が06年に脱北しました。

高 李さんは、どのような状況で脱北されたのですか?

李 私は95年4月に結婚し、翌年に最初の娘が生まれましたが、その頃、街に出ると死体がごろごろ転がっていました。私自身の健康も徐々に悪化し、04年には幼い息子が栄養失調になりました。06年のある日、隣の家で叫び声が聞こえ、驚いて行ってみると、家の奥さんが血だらけで助けを求めていました。中学生の息子さんが麻薬に侵されていたのです。

高 覚醒剤、ヒロポン(通称・オルム=氷の意味)ですね。

川崎 北朝鮮は国家を挙げて麻薬を製造していたのです。93年か94年ごろには盛んに日本に密輸し、あまりに大量の麻薬を製造したため輸出だけではなく国内に蔓延したのです。

石川 国からの指令で阿片づくりをやった地域もありました。

李 そのへんのアパートで普通に麻薬を作っていて、中学生同士でも誕生会などで麻薬を使ったり、幹部もやっている。この国はもうおかしくなっていると思いました。こんな国で子どもを育てたらとんでもないことになると思い、脱北を決意しました。子ども2人と日本に入国したのは2008年12月のことです。

調査への期待と懐疑

高 北朝鮮は7月4日に特別調査委員会を設置し、▽拉致被害者▽行方不明者▽日本人遺骨問題▽残留日本人・日本人配偶者――の4つの分科会を設けました。この「北朝鮮特別調査」についてどう思われますか?

川崎 拉致問題について私は04年に日本に来て初めて知りました。朝鮮人として大変申し訳ないと思いました。今回の調査ですが、結論的に言えば、北朝鮮は切羽詰まっているので一定の答えは出すと思う。昨年、国連に特別調査委員会(朝鮮民主主義人民共和国の人権に関する国連調査委員会)ができるなど、北朝鮮は世界の問題国家とされ、さまざまな制裁を受けています。再調査というのは名目にすぎず、このままでは経済的にも窮地に追い込まれるため、それを何とか打開したいのです。拉致被害者については、間違いなく何人かは帰してくるはずです。日本人妻や家族の調査もあちこちで行なわれています。調査が進めば、収容所に送られて亡くなったり、田舎に追放されて自殺したりした人や家族がいっぱいいますから、それをつじつま合わせてどう説明するか困るでしょうね。それでも、何とか形を整えて報告書を出してくるでしょう。

李 北朝鮮では来年が祖国解放70周年、党創建70周年で、また、朝鮮総聯結成60周年でもあります。すでに個人崇拝を受け入れない世代が育っています。金正恩体制としては、解放と党創建を大々的に祝うために、国民に何かを与えなければならないのです。しかしカネがない。だから今回の調査では、小出しにしながら日本からの見返りを期待していると思います。私か北で暮らしていて、いつもだまされてきたのがそのやり方です。今年は○○運動、来年は××の年……。そのたびに苦しい現状が少しでも改善されるのではないかと期待してしまう。95年から「苦難の行軍」運動が提唱され、強盛大国をめざして国民は耐えてきましたが、国連発表では300万人もの餓死者を出しました。だから、当時子どもだった今の若い世代はだまされなくなっています。したがって現物を示し、与えないといけないのです。

高 拉致被害者の分科会には、国家安全保衛部が入っていますね。

李 先ほど日本人妻や家族の調査が実施されているという話が出ましたが、保衛部は拉致だけではなく、日本に帰す予定の日本人妻に口止めをする役目も担っているのではないかと思います。彼女らの言動を演出し、にらみも利かせるということです。

北の民主化導いて

高 特別調査の第1回報告書が近く出される予定です。認定拉致被害者17人のうちすでに5人が帰国していますが、政府は8月、残り19一人が帰国することを前提に2015年度予算の概算要求に盛り込みました。

川崎 安倍さん(安倍晋三首相)が自分の任期中にすべてをやろうとしてもダメでしょうね。万景峰号と朝鮮総聯本部ビルは最後のカード、切り札として持っているべきです。

李 私が日本政府に望むことは拉致被害者にかけるのと同じくらいに北の民衆のことも考えてやってほしいということです。国際社会が制裁で追い込んだから今回の調査が実現したのであって、日本の力だけではないからです。食糧などを援助しても、民衆に支給する段階で不正がおこなわれている実態があるので、問題なのは制裁をするにしても援助をするにしても、国のやり方をあらためさせるようにしないと効果がないと思う。日本がカードを切る際、北の民主化を導いてくれるようなやり方を考慮してほしい。

李さんの発言には完全に同意できます。拉致被害者だけで、北の人権問題をスルーするから広く大衆の支持を得られず、右翼レッテル貼りで運動をつぶされてしまうわけです。

こういうところは左翼と一緒。拉致拉致連呼するのに、北の人権問題や、帰国事業で北送された日本人には触れない。とっても偽善的です。

高 北の民主化まで真面目に考える日本の政治家はほとんどいないでしょうね。

川崎 「受け入れ」は飛行場に到着するまでで、あとはNPO(特定非営利団体)任せという現在のやり方を変える必要があります。文化も社会的なルールも何もかもが違う所から帰ってきた人を受け入れる体制が日本社会にはないのです。私は近く、脱北者自身のNGO(非政府組織)を立ち上げようと思っています。

国交正常化ありうるか

高 では最後に、北朝鮮の今後の体制と、日朝国交正常化の可能性についてご意見を。

川崎 私は個人的には、南(韓国)より前に、北は日本と国交を正常化する可能性があると思っています。北にあるほとんどの炭鉱や鉱山を押さえている中国の顔色を見ながら、どちらについた方が得か、現体制を維持できるのかを北は慎重に見究めていると思う。実は日本にとっても、その方が得になる。というのも、北朝鮮は韓国とは比べ物にならないほど地下資源が豊富な国。金、銀、鉄鉱石はあと300年掘れるというし、亜鉛や錫も世界有数の含有量がある。また、海岸部に残されている素晴らしい自然はリゾート地にすればそれだけで北の人は食べていけるのではないでしょうか。これらを生かすには、日本との国交正常化が北朝鮮にとっては望ましいはずです。

ぶっちゃけ「北の天然資源が豊富説」はものすごく怪しいと思っています。

日本統治時代もいろんな海外資本が半島で採掘事業営んでましたが、世界有数の資源埋蔵量なんて話は出てなかったはず。

おそらく日朝国交正常化を望む人たちが流したデマの類かな~という印象です。どちらにせよ、「世界有数の地下資源」が本当なら中国がとっくに採掘しているでしょう。

さらに韓国より先に日本が北朝鮮と国交正常化などありえません。1965年の日韓基本合意という国際条約違反になりますから。

やるなら韓国の許可が必要でしょう。

で、韓国がそれを許可するとも思えません。ゆえに日朝国交正常化は不可能です。

まぁ台湾式にやる方法もあるでしょうが、台湾のように民主化されているならともかく、あんなバリバリの軍国主義国家で自国民弾圧している国と国交正常化など夢のまた夢です。

高 僕も川崎さんの意見には賛成なのですが、しかし、いくら経済的なメリットがあっても、核・ミサイルの問題が解決しないと日本政府として国交正常化という選択肢はありえないのではないでしょうか。

石川 拉致問題がある程度解決しても、国交正常化はありえないと私もも思う。これまでも南北統一があすにも実現するような話が何度も出てきましたが、現実にはならなかった。

李 私はむしろ、国交正常化の必要性と意味をよく考えるべきだと思います。物の豊かさだけが発展ではありません。今、東アジアの状況や途上国への支援を見ると、新しい形の植民地になるような気がします。

高 金正恩体制は今後も続くと思われますか?

川崎 彼自身が危機感を持っていると思います。昨年から農地を貸して作物を自由に生産できる制度を始めるなど、いろいろと模索をしています。今の体制を望む人たちが彼を支えているので、当面、金正恩体制が崩壊することはないと思います。

石川 彼の母は日本から来ました。彼を倒そうと思えばいつでも倒せるのでしょうが、あの国には〝案山子〟が必要なのです。祖国愛とか同志愛とかを常に前面に出して、彼を生かし、利用する。体制の崩壊はすぐにはないと思いますね。

李 私もそう思います。

川崎 日朝両国の今後を考えたとき、一定の人が帰ってきました、はいこれで終わりというのではダメだと思います。拉致被害者はもちろん、帰還した9万3000人余とその家族の往来の自由を実現させるべきです。日本政府と北朝鮮政府だけでなく、朝鮮総聯、国際赤十字と両国の赤十字に対してもそれを求めたい。帰還者全員の往来の自由が認められれば、北の民主化にもつながりますし、将来的な日朝国交正常化へ向けての地ならしにもなると思います。

(8月21日、本社で。一部敬称略)
まとめ/片岡伸行(編集部)

帰還した9万3000人とその家族が日本に自由往来できるようにする、という意見には賛成です。ただ、北朝鮮はやらないでしょう。やっても平壌に住む特権階級の在日だけでしょうね。

やっかいなのは、自由往来賛成派の中に、日本から北朝鮮への一方通行の自由往来だけしか言わない人がいることです。こういうのは片道切符の形を変えた帰国事業のようなものでしょう。

もし交渉するなら片務的なものではなく、必ず双務的にすべきです。

最後に、高英起氏のコラムがありましたが、これがまぁ微妙です。

帰還事業の〝幻想と現実〟

1959年から84年まで(一時中断はあったものの)25年間にわたり続けられた在日朝鮮人の帰還事業で北朝鮮に渡った人は9万3340人に上る。

90年代中盤あたりから、脱北者や帰国者の家族、そして実際に関わった当事者の証言などから、その実態はほぼ明らかになっている。しかし、なぜ帰還事業が、在日朝鮮人のみならず日本社会の支持を得たのかという素朴な疑問については、理解されているとは言いがたい。

帰還事業を端的に言い表すと、「社会主義へのロマンティズムと現実社会のリアリズム」と言える。あの時代、社会主義思想はまだ理想の国家像として語られていた。そんな時代背景のなかで、絶対的に貧しかった在日朝鮮人が、「貧しいけれど平等で、新しい自分たちの国家を建設する理想を叶えてくれる北朝鮮」という幻想を持ったのはある意味仕方がない。

さらにメディアも幻想に惑わされていた。『朝日』、『読売』、『毎日』、『産経』の4大紙に加え『共同通信』なども、帰還事業や北朝鮮について好意的に報じていた。興味深いことに、今では北朝鮮に最も批判的な『産経新聞』ですら、「躍動する北朝鮮」と提灯記事を掲載している。メディアが北朝鮮の実情を正確に把握できなかったのだろう。

帰還事業に関して最も責任が問われるべきは、北朝鮮本国と朝鮮総聯であることは言うまでもない。ただし、当時の社会風潮全般を検証せずに、当事者だけに「反省」と「告白」、そして「懺悔」を強要するのは、いささか傲慢と言わざるをえない。

対談に参加した石川学さんは、さばさばした表情で述べた。
「俺は反対があったのに自分の意思を貫いて帰国したけど、馬鹿だったなあ。今さら誰かを責めようなんて気持ちはないですよ」

高英起・ジャーナリスト

これが従北さんたちの帰国事業矮小化策動の基本方針です。

まず「産経」も提灯記事を書いてたと相対的に朝日の罪を軽くしようとしてきます。

帰国事業開始後の3年程度の内容で、朝日と他のメディアが同列だったなどありえません。

一番の問題は、帰国した親族の手紙から実態が違うと知られるようになり、帰国事業開始3年で希望者が急減した後の記事です。

71年の帰国事業再開に向けて朝日は一貫して提灯記事を書いていましたし、79年には帰国事業を自画自賛する記事まで出しています。そんな大手新聞は朝日くらいでしょう。

産経が素晴らしいとは言いませんが、71年の帰国事業再開のときに、民団団長の「北送ゆるせぬ」という意見を載せているわけですから、朝日と比べ産経はかなりマシです。

総連の言い分をそのまま掲載し続けた朝日と、最初は提灯記事だったが帰国事業再開のときには民団の意見を掲載した産経。どっちがより罪深いが明々白々です。

そして、従北さんの論理がよく表れているのが次の発言。

「帰還事業に関して最も責任が問われるべきは、北朝鮮本国と朝鮮総聯であることは言うまでもない。ただし、当時の社会風潮全般を検証せずに、当事者だけに「反省」と「告白」、そして「懺悔」を強要するのは、いささか傲慢と言わざるをえない。」

こういう在日チュチェリアンが本当に多い。

問題は帰国事業そのものではなく、帰国した在日朝鮮人を無実の罪で政治犯収容所送りにし、地獄の苦しみを与え、日本に残った親族から身代金を収奪したことです。

「いささか傲慢」だのと言っていますが、北朝鮮は帰国した在日朝鮮人を政治犯収容所で殺しまくったことを「まったく認めていない」し、総連は帰国事業を朝鮮学校の子供に「愛国愛族運動の礎となり高揚の契機となった」と書いた教科書で歴史教育をしています。

「当時の社会風潮全般を検証せずに」など論点ズラしもはなはだしい。

いまだに帰国事業を賛美しているから北朝鮮と朝鮮総連が許せないだけです。

それにしても、本当に隠れ従北工作員なのか、思考回路が従北汚染されているからこういう考えになってしまうのか、高英起氏の言論はまったくもって理解に苦しみます。

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