『私のエッジから観ている風景』を読んで

民族学校ではなく日本の学校に通い、日本籍もとっている在日コリアンの若者が書いた『私のエッジから観ている風景: 日本籍で、在日コリアンで』という本を読みました。

大多数の在日コリアンの最大公約数的な考えが知れる良書だと思います。

もちろん本人に在日の相違を代弁するなどという考えはないでしょうが、だいたいみんなこういう考えなんだろうな~という気はします。

前書きの部分などを読むと、こういうめんどくささを背負わされて大変だよな~、と共感してしまいます。

 

私は小さい頃から、違和感を感じながら生活していた。なんでだかわからないけれども、家では祖母二人は韓国語をしゃべっていたし、母方の祖母が語るのは韓国の話ばっかりで、日本の話をしてくれたことがなかった。日本の話を聞いても「そのときはソウルにいたの」という。

そのくせ、外に行けば日本式の生活をしているように見せかけていた。家のなかで伯母さんのことは「コモ」と呼んでいるのに、外に出ると「おばさん」と呼んでいた。小学校のとき、グループ研究でおばあちゃんから聞いた戦争の話を発表することになったが、「おばあちゃんから話を聞けなかった」と言ってごまかした。自分の両親がどこの出身なのかということを調べる総合学習があって、他の子たちが埼玉以外に田舎があるという話を、うらやましいと思いながら聞いていた。

一度、小学校のときに、私か「在日」だということを言ったことがあった。周りの同級生たちは「ポカーン」としていた。いまから思えば何のことかわからなかったのだろう。

だけれども、これを知った両親にものすごく怒られた。

「どうしてそんな余計なことを言うんだ!」

私はただ、自分の家のことを素直に話しただけなのに、なんで怒られるのかがわからなかった。

その意味を知るようになるのは高校生から大学生のときぐらいだろうか。自分のことを「在日だ」と言ったときに、ヘンな視線を浴びせてくる人たちに出会ったことがきっかけだった。彼らはなんだか見たくないものを見てしまったように私を見てくる。そして、「そういうことを言ってどうしたいの?」と言ってくる。別に「どうしたい」ということはない。「私は私です」って言いたいだけだ。

そんな人たちとはまた別に、私が「在日だ」というと、熱烈に歓迎する人たちにも出会った。その人たちは何か期待するような視線を浴びせてくる。なぜか私に向かってやたら韓国語で話しかけてくるし、「在日の人ってこうですよねえ」とか言ってくる。

私は日本の学校にずっと通っていたし、日本語しかしゃべれないし、「祖国のために」生きようとも思わない。

こんなことを言うと、期待する視線が一気に冷めた目線になっていく。挙句の果てには「君は在日らしくない」「君みたいな人はもっと在日について勉強すべきだ」と言いはじめる。「私は私です」と言いたいだけなのに。

私のエッジから観ている風景: 日本籍で、在日コリアンで』P3-5

「在日〇世です」と言うと、見たくないものを見せられるような反応の人。「そういうことを言ってどうしたいの?」と言う輩がいるとは驚きです。普通に「そうなんだ」で終わらせれば良いのにそうできない歴史的背景。

めんどくさいですね。

それとは逆に「熱烈に歓迎する人たち」もいるが、「その人たちは何か期待するような視線を浴びせて」きて、歓迎する理由となる在日像とは違うと「期待する視線が一気に冷めた目線」になっていき、挙句の果てには「君は在日らしくない」「君みたいな人はもっと在日について勉強すべきだ」と言われる。

めんどくさいですね。

こういううっとおしい同調圧力というか、こうあるべきという周りの期待が在日コリアンコミュニティの魅力を喪失させ、若者が離れていく根本原因のように思えます。

本の内容としては家庭の中の韓国文化や文化の違い、韓国留学の話などがあり、あとは在日コリアンの本ならこれに触れなければダメだという必須条件になった観のある、ヘイトスピーチ、関東大震災朝鮮人虐殺、慰安婦問題。済州四・三事件や沖縄の土人発言などにも触れらています。

この手の本では珍しく北朝鮮帰還事業のことも触れらていました。

内容はこちら。

柳に今を尋ねる

新潟市には歴史を伝える看板や記念碑が数多くあることに気づく。歴史好きな私は看板や記念碑をスマートフォンのカメラで撮影しながら、歩いていく。

「ボトナム通り」に着いた。街路樹として柳の木が植えてある。「ボトナム通り」の「ボトナム」とは韓国語(「朝鮮語」と言わないのはたぶんわが家の教育のせいだ)で「柳」を意味する。日朝親善事業の一環で柳の木が北朝鮮から贈られたらしい。それに感激した当時の新潟県知事が港に至る通りに街路樹として植え、その通りを「ボトナム通り」と名づけたようだ。

しばらく歩いていると「祖国往来記念館」とハングルで書かれた建物に着いた。朝早くだったからだろうか、シャッターが閉まっていた。その隣にある総連のものと思しき建物には人気もない。

そこからまた少し歩く。そうすると帰還事業の記念碑がポツンと立っていた。二〇〇〇年に作られた通りの由来を解説する看板の文字は掠れてしまっていて、読むことはもう難しい。港町特有の潮風のせいだろうか。

この看板を見たとき、かつて、この街で起きた一大事業と現在が出会ったように思った。

私の父方の祖父は北朝鮮への帰還を考えていた。当時彼の一家は困窮しており、「北朝鮮は地上の楽園である」という流行の言説を信じていた。祖父一家の他にも北朝鮮への帰還を考えていた人間がいた。それは祖父の弟一家だった。

祖父は三人兄弟の真ん中で、兄弟三人とも済州島から日本にやって来た。兄弟の中で日本で比較的成功したのは一番上だったらしい。彼は勢いのある性格と豪胆さで商売に成功した。祖父は勢いこそあったものの、さまざまな事情から生活に困窮していた。この二人と一番下の弟はまったく性格が違ったようだ。温和で堅実で真面目。三兄弟の中で、一番、真人間だと周りに言われていたらしい。

祖父の弟が北朝鮮に行きたいと思っだのは、差別の多い日本よりも温和な生活ができると言われていたからだった。まず、この祖父の弟一家が北朝鮮に帰還した。その次に祖父の一家が帰還する予定だったが、当時、帰還事業反対を主張していた民団の説得によって、結局、日本に残ることになった。

北朝鮮に帰還した祖父の弟一家がどうなったのかはわからない。ただ、私が知っているのは族譜にある祖父の弟とその一家の名前と生年月日、そして、新潟を出港した帰還船が目的地にした港町の元山に住んでいるという記述だけだ。祖父の弟が願った穏やかな生活は、ニュースを見ているかぎり、できているとは思えない。

帰還事業は自由意志で行われたとされている。確かにそれは事実かもしれない。だけれども、帰還事業の風を作った人たちにどんな意図があったかは語られない。

『キューポラのある街』という「名作」映画を観たことがある。この帰還事業をテーマにしているので、今では放送されることすらないらしい。私にとっては背筋の凍る作品だ。この時代、朝鮮人は北朝鮮に「帰る」ことが幸せだと信じられ、彼らを帰還させることこそ善いことだと信じられていた。この映画は「善意」の下にその時代の流れを盛り上げた。この作品を放送しないこともまたその怖さに拍車を掛けている。まるで、あの時代の出来事に蓋をしてしまったかのようだ。

帰還事業について、日本政府や北朝鮮政府、帰還事業を熱心に進めた人たちがあの出来事について何か語るのを聞いたことがない。たぶんこれからも語ることもないだろう。「自由意志」という名の下に帰還させたのだから。

二〇〇三年の日朝首脳会談で同じく新潟県を舞台とした北朝鮮による日本人の拉致問題が発覚してから帰還事業は語りにくいものになってしまった。もしかしたら、あの看板の掠れた文字は潮風によってではなく、時代の風によって掠れたのかもしれない。

私たちは常に柳のように生きている。きっとあの時代、北朝鮮への帰還を考えた祖父や祖父の弟は柳のように生きていたのだろう。私もまたヘイトスピーチの問題が取り沙汰される中で、その身を風に委ねだり、風に逆らったりして生きている。

私は柳の木に聞いてみた。

ヘイトスピーチにまみれたこの国で、死の恐怖に苛まれながら生きているほうが正解だったのか。独裁者の君臨する国で、権力の恐怖に脅かされながら生きているほうが正解だったのか。

私の問いに柳の木は答えず、ただ黙って、風に枝葉を委ねていた。きっと枝葉を揺らしていた風を見ろと柳は言っていたのだと思う。

私のエッジから観ている風景: 日本籍で、在日コリアンで』P127-131

在日コリアン子弟の帰還事業についての認識が良くわかる内容です。

彼のHPについているコメントもさすがという感じ。

呉瀟

テッサ・モーリス・鈴木の『北朝鮮へのエクソダス――「帰国事業」の影をたどる』(朝日新聞社、2007年/朝日文庫)が、帰還事業における日本政府と日本赤十字の共犯性を剔抉してますね。
戦前はもちろん、つくづく戦後日本政府の卑劣さを。

柳に今を尋ねる』の読者コメント

どう考えても、大嘘ぶっこいて在日同胞を騙して連れてきて、その後収容所へぶち込んで殺しすか、日本に残る親族から身代金ビジネスで金を巻き上げた北朝鮮の罪がぶっちぎりNO.1です。その次は朝鮮総連です。

在日コリアンが帰還事業を語るときに、このトップ2を除外するか矮小化する傾向が非常に強い。

日本政府や赤十字の罪をいうなら「まんまと騙された浅はかさ」でしょう。

しかし、北朝鮮の罪は「殺人」と「恐喝」です。

そして朝鮮総連は北と結託した共犯としての罪があります。

そちらの罪を問う声は、日本政府批判への情熱に比べてえらく弱い。

総連など北送同胞の資産を預かってそのまま懐にいれているわけです。つまり、同胞の財産をかすめ取っているわけです。ただの詐欺師でしょう。

さらには総連内の権力闘争で負けた人間を、北送船に乗せて北朝鮮へ追放しています。

どれほど悲惨な目にあっているかを知っていれば、人としての最低限の良心を持っていれば不可能はなずです。

が、そういったこと批判はない。

しょうがいと言えばしょうがない。実態を知らなければ批判のしようもない。

朝鮮学校が帰還事業について「愛国愛族運動の礎となり高揚の契機となった」と教科書に書いて子供に教えていることも、知らなければ批判しようがない。

北朝鮮とは関わりたくないという心情がそうさせるのかもしれません。

まぁ当然です。誰もあんな圧政国家と同一視などされたくありませんから。

しかし、その心情に付け込まれ、帰還事業や北朝鮮で死んでいった在日一世・二世を忘れてしまっては元も子もない。

北朝鮮の政治犯収容所で死んでいった在日一世・二世の存在を無視しているようでは、日本の差別、韓国の軍事独裁時代の弾圧、済州四・三事件、関東大震災朝鮮人虐殺などなど、語る資格も、説得力も失うでしょう。

特にヘイトスピーチ撲滅に熱心なのに、帰還事業については「それはもう終わったことだから」と、さらっと言われると愕然とします。

日本にいる脱北者の大半は帰還事業で北送された人たちですし、ただでさえ余裕がないのに北に残る家族から金の無心をされて辛い思いをしています。

これは現在進行形の問題ですけどね。不思議なもんです。

あとこの記述も微妙です。

「帰還事業は自由意志で行われたとされている。確かにそれは事実かもしれない。だけれども、帰還事業の風を作った人たちにどんな意図があったかは語られない」と「二〇〇三年の日朝首脳会談で同じく新潟県を舞台とした北朝鮮による日本人の拉致問題が発覚してから帰還事業は語りにくいものになってしまった」という記述。

んなわけがない。

いろんな研究者が理由を明らかにしています。

この著者を責めるつもりはないですが、在日三世である浅川晃広先生の著書『「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』での姜尚中氏への批判と同じ指摘が成り立ちます。

北朝鮮に帰還した十万人には無関心

姜は、一九五〇年代末から始まった「帰国事業」によって北朝鮮に帰還した約十万人の「在日」――その中には姜が何としてでも代弁しようとする「一世」が多数含まれていることはいうまでもない――が北朝鮮で受けている塗炭の苦しみには、随分と無関心である。

その後、「北鮮帰国者」の消息は、ほとんど忘れ去られていった。延べ十万人近くに達する「民族移動」が投げかけた意味は、深められないまま、「拉致問題」を契機に北朝鮮へのネガティブ・キャンペーンだけが突出していくことになった。(三十六頁)

実は、忘れ去っているのは姜や、北朝鮮礼賛を繰り返した日本の「進歩的」人士達であろう。たとえば、二〇〇二年小泉訪朝に伴って拉致問題が国民的関心事になるよりもはるか以前、しかも帰国運動期間中の一九六二年には、関貴星による『楽園の夢破れて 北朝鮮の真相』(全貌社)が刊行されており、北朝鮮の実情が明らかになっている。

その後、北朝鮮に帰国した親類を訪ねた在日による『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』(金元祚、亜紀書房、一九八四年)などが、次々に刊行されている。

これら「帰国事業」の悲惨さを指摘する数々の著作が、一九六〇年代から存在するにもかかわらず、右のような記述が出現することからして、十万人の帰国者の意味を忘却し、深めていないのは、まさしく姜に他ならない。

「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』 P18

言ってることが姜尚中氏と似ていますね。

つまり、
「帰還事業は自由意志で行われたとされている。確かにそれは事実かもしれない。だけれども、帰還事業の風を作った人たちにどんな意図があったかは語られない」「二〇〇三年の日朝首脳会談で同じく新潟県を舞台とした北朝鮮による日本人の拉致問題が発覚してから帰還事業は語りにくいものになってしまった」
という記述と、姜尚中氏の
「その後、「北鮮帰国者」の消息は、ほとんど忘れ去られていった。延べ十万人近くに達する「民族移動」が投げかけた意味は、深められないまま、「拉致問題」を契機に北朝鮮へのネガティブ・キャンペーンだけが突出していくことになった」
という記述の類似性が高いことです。

拉致問題発覚前から帰還事業の実態を告発する動きはありましたし、そして今以上に「語りにくい」ものでした。なにせ総連の言論弾圧が凄まじかったですから。

拉致問題発覚で帰還事業が語りにくいものになったなんて大嘘ですよ。

語りにくいものになったとしたら、それは総連が主張する「帰国同胞たちは各分野で活躍して、幸せに生きている」という大嘘プロパガンダの方でしょう。

この本自体は良い本だと思います。日本で生まれて日本で育った普通の在日コリアンの悩みや大変さがよく分かります。

当然と言えば当然ですが、批判している内容も日本を良くするための意見ですから問題はないでしょう。

残念なのは北朝鮮が良くなってほしいという感覚や、総連は是正されるべきというような在日社会を良くしなければならないという意思はもうなくなっていることでしょうか。

とうとう韓国系日本人というレベルにまで同化が進んだな~という印象です。まぁ当然と言えば当然かもしれません。

在日コミュニティとして、独自性を持ったまま維持・発展していこうと思えば、『私のエッジから観ている風景: 日本籍で、在日コリアンで』に描かれている普通の在日コリアンの若者の意見をベースに民族団体やコミュニティが変わっていかないといけいないだろうなと思えます。

60年代、70年代のバリバリの反共か、ガッチガチの北朝鮮擁護派か、二つに一つの真っ二つの言論空間の頃の本と比べたらだいぶマイルドになりました。

摩擦がありながらも順調に日本社会の構成員として定着していっている良い証拠化もしれません。