『北朝鮮人喰い収容所』  友人を殺して食べる子供達

北朝鮮人喰い収容所―飢餓と絶望の国』 黄万有著

 北朝鮮が隠し、日本のメディアも無視し、忘れ去ろうとしている脱北者の証言です。北朝鮮がこれを反省し、慰霊碑をたて、国家的行事として無残に殺された魂を供養してくれなければ、北朝鮮との国交正常化は不可能ではないでしょうか?核問題も良いですが、同じくらい人権問題を外交交渉での争点にすべきだと思います。

『北朝鮮人喰い収容所』 P113~118より引用します。


 あちらこちらから人間を殺して食べたという話が伝わってきたが、実際に見てもいないものを、信じたくはないのが人情である。また、当局からも、そんなことは一切信じてはならないという箝口令が出ていた。だから、そんな噂話をする人の方を不審人物と思うのがふつうだった、しかし、そんな人肉喰いの話を一人が聞き、二人が聞き、またそれぞれが他人に話し……ということが繰り返されるうちに、話の輪は広がって、幼い子供にまで伝わるようになった。そしてとうとう子供たちが友人を殺して食べるという事件まで起こるようになっていったのである。
(中略)
 家計が困難になると、子供たちも一日一度のお粥さえろくに食べられない窮地に陥る家庭が、日に日に増えていった。状況が悪化した九六年には、来年になればよくなるだろうと、次の年に希望をつないでいた。しかし、その翌年の九七年には、さらに悪い生活状態に陥らざるをえなかった。子供たちは家でお粥さえろくに食べられなくなると、しかたなく友だちと連れだって外に出て、いわゆる「コッチェビ」(ストリートチルドレン)となった。
 明川郡の邑の人民学校に通う李明哲を頭とする十二、三歳の子供五名は集団で農民市場を徘徊し、こそ泥をしながら一日一日をしのいでいた。女たちが売っている食べ物(パン、飴、砂糖、うどん、ごはん)などを盗もうとして、五人で様子をうかがっている時に、たまたま友人に遭った。
 この友人の父は明川郡の外貨獲得事業所の倉庫長をしていたが、何を食べていたものか、まだ肌につやがあり、ふっくらとしていた。その時、明哲の脳裏には噂に聞く「人間を殺して食べる」という話しがひらめいた。
 自分の仲間といっしょになって、その子に顔を寄せて聞いてみた。
 「おい、お前。おれんち、いま誰もいねえんだけど、いっしょに来て遊ぶか?」
 「うん、いいよー」
 太ったその子はたまたま遭った明哲たちに言われるままに、何の考えもなく遊びについていった。明哲の家は、生活苦から、家族が全部バラバラになっている状態だった。明哲は母について家を離れて生活することになっていた。しかし、実際には家に残り、農民市場でこそ泥や盗み食いなどをしながら、その日暮しをしていた。
 明哲は四人の仲間と密かに示し合わせて、その友だちを殺して食べようということで意見が一致していた。
 「お前ら、部屋で遊ぶふりをしながら、気づかれないようにするんだぞ」
 仲間にそういって、明哲は物置きから斧を持ち出して、懐に忍ばせた。そして、何くわぬ顔をして、ふだん家でどうやって食べているのか、お互いに聞き合いっこを始めた。明哲は何も知らないその子に聞いた。
 「おい、お前の家ではしっかり食べてるみたいだな。まだ学校に行ってんのか」
 「行ってるよ。半分くらいは学校に行ってる。先生がうちに来たりもするし。あ、そうだ。先生がたまには学校に顔出せってさ」
 「食い物もねえのに、学校なんか行ってられっかよ。腹に飯が入ってるから、学校に行けるようになるんじゃねえか」
 そんな話をしてちょうど盛り上がったところを見計らって、明哲は急に斧を取り出して、無言で振りかざした。斧は、ぽかんとしている太った子の頭に、振り下ろされた。太った子はそのままうんとも言わず、一瞬で、どさっとその場に倒れ込んだ。流れ出した血で顔全体がたちまち真っ赤になった。
 子供たちは一瞬ひるんだが、事前の話し合いがあったので、すぐに協力して一糸乱れず行動した。
 「おれたちも大人みたいに人間の肉がうまいのかどうか、一度食ってみようぜ」
 「太ってるから、きっとこいつの肉はおいしいよ」
 期待に胸をふくらませて、鍋に湯を沸かしながら、そんなやり取りをした。五人の中には、比較的優しくまじめな子がいたが、その子は何もできず震えているばかりだった。一二、三歳くらいにしかならない子たちが、人を殺して食べるようになるまでには、どれほどその心が痛めつけられ、引き裂かれているか、誰にでも想像がつくことだろう。
 子供たちは、急いで食べ終えると、骨などの食べ滓を始末することもせず、家から逃げ出したが、ほどなく捕えられた。
 九八年五月一四日、五人は咸鏡北道の留置場に収監された。そして、その後一〇日とたたずに、どこかへ移管されてしまった。このように、飢えた子供たちも、物事をきちんとわきまえて行動することができなくなっている。太っていて肉づきも顔の色つやもいいから、食べ物としておいしそうに見えたというだけで、殺して食べてしまう。そういう子供を北朝鮮国家はつくりだしている。これが現実だった。
 私がこの事件についてこれほど詳しく知るようになったのは、あまりに異常で信じられない話なので、看守たちが収監された子たちに何度も細かい点まで聞き返したからである。北朝鮮社会の惨劇は、北朝鮮に住む人間自身にとっても理解しづらいところまで行ってしまっているのだ。
(中略)
 北朝鮮では、同一の犯罪は年齢に関係なく同一の法で裁かれる。その刑罰は子供でも同じである。特別の情状酌量がなければ、秘密裏にせよ公開にせよ、死刑になるしかなかった。そして社会主義社会の下では、人が人を食べるなどということはありえないこととされていたから、子供たちは当然秘密処刑とされた。


 これが1990年代に起きた、苦難の行軍で死んだ300万人の餓死者の実態です。朝鮮学校の教科書では、これをまったく教えていません。それどころか、苦難を乗り越えて、強盛大国への大躍進した偉大な行為として書かれています。将来、この手記を読んだとき、朝鮮学校の子供達はどう思うでしょうか?自分の母校を憎んでしまうと思います。 なぜ先生たちは事実を教えてくれなかったのか? そう怒ると思います。

 この人達のために、黙とうを捧げ、涙し、北朝鮮政府の悪逆非道に怒ってこそ、真の朝鮮民族の民族教育ではないでしょうか?朝鮮学校は、子供たちに残酷な教育をしています。

 

「『北朝鮮人喰い収容所』  友人を殺して食べる子供達」への4件のフィードバック

  1. 人間、飢餓状態が末期になったら、善悪の判別が出来なくなるね( ; ; )

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