『韓国の民族意識と伝統』在日朝鮮文化人への疑問 その1 朴正煕維新体制の批判は北朝鮮からの指令

第二は、主導している在日朝鮮人側が、具体的な運動の次元においてこそ主導者であるが、思考・発想の次元では、日本的なものに強く浸透されているという問題である。八〇年末、私はある北朝鮮系の在日朝鮮人(一世)から、つぎのことを怒りをこめて指摘された。

八〇年一〇月、北朝鮮では朝鮮労働党第六回党大会が開かれたが、それが終わった段階で総連は、日本語の機関紙『朝鮮時報』に、日本各界の名士の祝賀談話を掲載した(八〇年一〇月二三日付)。そのなかで元総評事務局長の岩井章氏は「私たち日本人にとっても朝鮮の平和と統一の問題は、八〇年代の重要な課題だと思う」と語っている。この言葉を読んでも、おそらく大方の日本人は何の不都合も覚えないであろう。だが、右の在日朝鮮人は強い抵抗感を覚えた。なぜなら「われわれ朝鮮人の問題である朝鮮の統一を『日本人の課題』というのは、朝鮮と日本との見境がつかない日本人の心性を表わすもの」だからだ。

朝鮮を外国と思わぬのは日本人一般に染みついている宗主国意識のなせるわざだが、岩井氏の談話はその実例であって、もと総連の幹部活動家だった人には「今もまだこんなことがいわれているのか」と堪えがたいものがあったのであろう。

ところで私は、この記事が寄稿文でなく『朝鮮時報』の記者の書いた談話記事であることに注意を惹かれた(特集の冒頭に「文責編集部」とある)。記者はこの文字をつらねることに、先輩が覚えたような、朝鮮人でなければわがらぬ抵抗感は抱かなかったのである。

これを深刻と見るか、しょうがないし当然だよね、と納得するか意見が分かれるところかもしれません。民族意識が強固な人は前者で、それを失わないためにも民族教育を!となるのでしょう。

そもそもこういう人たちの活動は「日本を良くするための活動であって、朝鮮半島を良くするためのものではない」わけです。この時点で日本人化されてます。

憲法で9条維持や改憲反対を声高に主張するのも同じ。「あなたはあなたが考える日本が良くなるための行動を必死になってやっているんですね。ありがとうございます」となるでしょう。

朝鮮人としてのアイデンティティ持ってるなら、北の奴隷支配体制を崩すためにいかに日本を利用しようかと考えるはずです。

優先順位の第一が「日本のこと」なわけです。だからこそ脱北者の問題にも、他人事のように無視するという、冷酷極まりない対応なるのでしょう。

「民族主体性」を高唱する総連に現役で働いている記者にしてこうであるのは、日本的発想になじみきった在日朝鮮人の姿を浮き彫りにしてくれる。日本的発想に違和を覚えないのは、朝鮮本国の問題が、日本人と同じレベルまで切実さを失いつつあることを意味する。事実、私自身も「差別問題と取り組むのはしんどいが『全斗煥打倒』を叫ぶのは気が楽だ」といったたぐいの言葉を朝鮮人から聞いたのは一度や二度ではない。

「日本的発想に違和を覚えないのは、朝鮮本国の問題が、日本人と同じレベルまで切実さを失いつつあることを意味する」

本当にこれが問題です。朝鮮本国の問題を、自分のこととして切実にとらえられない。

ほとんどの在日朝鮮人がこうなってます。そりゃそうなるのも仕方ないかもしれませんが、帰還事業で北送され、その後脱北して日本に戻ってきた人たちはほとんどが在日朝鮮人です。

この人たちの話を聞こうと朝鮮学校で講演が企画されることもなければ、助けようとする人もごくわずか。

北朝鮮の、それも在日朝鮮人が関わる問題に取り組むのはしんどいが、日本の右翼やレイシストにヘイトスピーチ反対を叫ぶのは楽だ、といった感じなのでしょう。

田中明氏が書いている、「「差別問題と取り組むのはしんどいが『全斗煥打倒』を叫ぶのは気が楽だ」と言っていた在日朝鮮人」と同じです。

以上のように、(一)おもてに現われる論議や運動は在日朝鮮人が主導する、(二)しかし在日朝鮮人の思考の枠組みは日本化している――という絡み合い、あるいは相互浸透のもとで朝鮮は語られているのである。こういう傾向が強まっていけばいくほど、そこで語られる朝鮮はリアルな朝鮮ではなく、ジャパナイズされた朝鮮になっていくのは当然であろう。だが、日本人は隣国のリアリティを知らなければ困ったことになる。その意味で在日朝鮮人問題は、日本人にとっても他人ごとではなくなるのである。

韓国の民族意識と伝統 (岩波現代文庫)』P212-217

韓国はともかく、北朝鮮についてはリアルな姿を直視しない人が多いですね。

ジャパナイズされてます。これは日本に限ったことではなく、韓国でも米国でもその他の国でも同じ。自分が育ってきた環境の常識に、北朝鮮を当てはめようとする。

同じ人間だからまさかそこまでやらないだろう・・・、とか平気で言いますからね。脱北者の証言が一から百まで嘘だとでも言うのか?と言いたくなる。

なぜかホロコーストが霞むほどの残虐行為を何十年もやり続けている、という認識はなかなか持てない。

なぜなら想像できないからです。

それよりは「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ!」と狂ったこと言ってるクサレ右翼の方が容易に想像できて、怒りも持てます。写真もあれば動画もあり、近くでデモ行進するなら見にも行けますから。

対応もやりやすい。

対抗デモを企画して、メディア呼んで声明を載せてもらい、政治家にも陳情にいける。

北朝鮮相手ではそんなこともできません。

せいぜい政治家相手に外交的に交渉してくれ、圧力かけろと声を上げるくらい。

「政府は政府で国交がないので…」と言い訳して何もしない。

かつては帰還事業で北送された在日同胞や日本人妻の自由往来を要求する運動もありましたが、今は皆無。

完全に見捨ててますよね、北送された在日朝鮮人たちを。

本来、脱北者支援の運動なんて、朝鮮学校卒業生が主導してないとおかしい話なわけです。

一体学校で何をならっているのか?

日帝植民地支配と差別と慰安婦と、その手のことは大変情熱的に教え込むのに、現在進行形で人権蹂躙されている人たちのことは無視。

いや、無視するならともかく、北朝鮮を擁護するのはどういうことか?

世界トップレベルの冷酷非道な独裁国家に、教育援助金をもらったからと感謝するよう子供に教えるのが道徳的に正しい教育なのか?

北朝鮮を擁護するやり方も巧妙で、「戦争は絶対ダメ」という論理で間接的に北の体制を維持することに加担します。

戦争回避を絶対化する限り、金一族の朝鮮人奴隷支配は延々に続くでしょう。

人権問題で北朝鮮に圧力をかけたときに「黙れ。さもなくば戦争だ!」と言われたらどうするのか?「金をよこせ。さもなくば戦争だ!」と言われたら金を出すのか?

「戦争回避」が絶対条件なのであれば、相手の要求を飲む以外ないわけです。

北朝鮮情勢が動き出したのは米国の「戦争も辞さず」という姿勢が功を奏したからです。

核放棄しろ、収容所閉鎖しろ、連座制やめろ、密告制やめろ、公開銃殺やめろ、移動の自由を認めろ、北朝鮮住民の海外渡航も自由にできるようにしろ、やらないなら戦争やむなしだ!

こういう主張が本来韓国や、在日知識人から出てしかるべきでしょう。

が、出ない。

むしろ緊張緩和と平和定着の美名のもとに、北の朝鮮人奴隷支配に加担する始末です。

結局は1981年に書かれた田中明氏の傾向が今も変わっていないわけです。

つまり、
①「七二年一〇月、韓国に維新体制ができたとき、北朝鮮がほとんど批判しなかったがゆえに、日本でも全く批判が出なかったこと、そして北朝鮮が批判しだすと日本でもセキを切ったように非難の声が上がった」
②「「差別問題と取り組むのはしんどいが『全斗煥打倒』を叫ぶのは気が楽だ」といったたぐいの言葉を朝鮮人から聞いたのは一度や二度ではない」
という2点。

①は、しょせんは今も北朝鮮の当局の意向に沿った在日朝鮮人の言論空間(本人たちは気づいてない)であることが続いており、②では、北の人権や脱北者の人権問題より、気楽で取り組みやすい反ヘイトスピーチに逃げるという姿勢に、変わらぬ姿があらわれています。

そう言われたくないなら、言い訳程度でもよいから、北の収容所の実態や人権問題、日本にいる脱北者支援をやればいいのに、まぁやらない。本当に驚く。

もはや北朝鮮の宣伝扇動の巧妙さを褒めるしかないですね。大したもんです。

韓国一国をコントロールする実力を持っているわけですから、在日社会をコントロールするのも余裕でしょう。

それにしてもいつまで扇動されてしまうのか…

在日云々より、日本の防諜体制の貧弱さの方が問題かもしれません。