『韓国の民族意識と伝統』在日朝鮮文化人への疑問 その2

しかし、氏は別のところでは、日本政府をけしからぬ政府と評しているのである。たとえば朴政権時代の文章だが「米日両政府の朴個人独裁政権にたいする友好的姿勢の堅持」はファシズムにたいする韓国の民主化運動にとって「重大な障害になっているのはたしかである」(『中央公論』七四年九月号)という式の言葉をいろいろと書いている。その自民党政権はいまもつづいているが、このようなファシズムの同盟者に、祖国へ圧力をかけよといっていいのだろうか。日ごろ在日朝鮮人は日本政府の在日朝鮮人同化政策を攻撃しているが、李氏のような言葉に接すると、同化はもうすでに完了しているのではないか、という気さえする。

「朴政権時代の文章だが「米日両政府の朴個人独裁政権にたいする友好的姿勢の堅持」はファシズムにたいする韓国の民主化運動にとって「重大な障害になっているのはたしかである」」

もはやコメディですね。

これもそのまんま現在の北朝鮮に当てはまります。

しかし、韓国の独裁政府を批判していたときと同じように主張する在日朝鮮知識人はあまり見当たりません。

言ってることは、安倍が北朝鮮の核問題を利用して改憲し、軍国主義への道を走ってる!とかいう論点ズラシの日本批判です。

朴正煕時代の韓国に「友好的姿勢」を持つとファシズムの仲間だと非難されるのに、北朝鮮への「友好的姿勢」は戦争を回避する平和主義者になります。

本当に謎。ミステリーです。

餓死者が出たり、政治犯収容所で拷問と強制労働の末に殺すという暴圧体制には何も言わない。むしろ「敵視するな」「あるがままの北朝鮮を受け入れろ」「同じ人間なんだから友好的姿勢を持て」と言い出す始末。

朴正煕時代の韓国に対する対決姿勢はどこに行ったのでしょうか?

朴正煕時代の韓国の人権弾圧など、北朝鮮の足元にも及びませんが?

北朝鮮との対話と人道支援はファシズムの擁護者とは批判されず、70年代の韓国に対する友好的姿勢はファシズム呼ばわり。

意味が分かりません。

これはつぎのような日本人の発想と全く同じである。

 ――政府の地域開発計画に対して、資本の論理で動く計画だ、と反対している進歩的評論家がいた。あるとき彼は、もとその地方の通信局長だった新聞記者に、地域の事情を聞くため電話をかけてきた。記者は自分の見聞してきたことを語ったうえ。
 「あの地方は貧しくて何らかの手は打たなくてはならない。開発計画に反対した場合。何か代案はあるだろうか」と尋ねたという。すると評論家氏は「そんなことは政府が考えるべきことだ」と歯牙にもかけなかった。

要するにこの評論家氏は、常日ごろ政府を攻撃しているが、せんじ詰めたところでは、政府は何かやってくれるはずと信頼しているのである。これが日本株式会社といわれたり、甘えの構造をうんぬんされる日本の風景なのである。そこには日本人だけに通じる相互諒解があり、日本社会というのはそうした政府反対も、汁粉に加える塩味のように取り込んで発展促進剤にしているのである。

青木理氏が、「安倍政権を戦後最悪だと言うなら対案を出すべき」と非難されていたのを思い出します。

日本政府をさんざん批判しまくっているのに、根っこのところで「おたく日本政府が何かしてくれると信頼してますよね?」という在日朝鮮知識人。もはや立派な日本人ですよ。

まぁもちろん当時は朴正煕を悪魔化するメディア報道が乱れ飛んでましたから、一刻も早く弾圧から救ってあげないと!ということで李恢成氏も必死だったんだろうと思います。

根っこのとこで日本政府信じてるんでしょ?と揶揄されても、韓国民主化の大義のためですから別に悪いことではない。

問題は北朝鮮に対して、この情熱が発揮されない点です。

この時代の韓国民主化擁護者たちはどこに消えたのでしょうか?

李佚成氏はそうした日本の風土にどっぷりつかってしまっている。氏が日本は韓国に圧力をかけよといいながら、それが実現するような局面、すなわち日本が朝鮮半島に甚大な影響力を行使しうる段階が来たりすれば、そのときは韓国のみならず南北朝鮮全体にとって重大な時期であるということに、いっこう思いを致していないのもそのためであろう。

だが、こうした日本の手ぶりに染まることは、自分が朝鮮人であることを常々強調してやまない氏にとって矛盾ではなかろうか。

在日朝鮮人のなかには日本政府を批判しておれば、少なくとも同化することはないと楽観しているらしい人がいるが、日本には政府非難を業としている者も少なくないのである。したがってそちらの方向からの同化だとて十分ありうるのであって、必ずしも日本政府の施策に随順するだけが同化ではない。多年、日本に暮らし、民族意識の昂揚を説く李恢成氏のような人が、そのことに気づかぬのは、私の一番の疑問である。

こうした発言を不思議に思う人はいないかと思っていたが、朝鮮人のなかからはやはり出ていた。若い在日朝鮮人の出している『ちゃんそり』という季刊誌の五号に、李氏の御都合主義的日本信頼にたいするつぎのような文章があった。

〈在日〉を差別と偏見の中で、しいたげている日本の社会。李恢成さんの小説のテーマは、その差別と偏見の中から「民族」にめざめる在日の姿でした。李恢成さん、あなたは、いつから、日本国民が「毅然とした民主主義の意志」を持っていると、見えるようになったのですか。対象をその場その場で持ち上げたりけなしたりすることをご都合主義というのです。腹立たしく、そしてやり切れなく思う。

韓国の民族意識と伝統 (岩波現代文庫)』P219-224

こういう在日のご都合主義を批判した良書が在日三世の浅川先生が書いた『「在日」論の嘘―贖罪の呪縛を解く』でしょう。

在日神話ともいうべき様々な嘘をバッサバッサと切り捨てて、ご都合主義的に己が私益のために在日利用してないで、さっさと帰化して日本社会の責任ある構成員になれと喝破する良書です。

まぁあまり在日批判しても仕方ない。全部北朝鮮のせいですよ。はっきり言って。

詐欺師が野放しになってりゃ、そりゃ詐欺被害者はなくなりません。

詐欺に騙されないよう啓蒙して詐欺被害を防ぐのも限界があります。諸悪の根源である詐欺師を取り締まらない限り、詐欺被害は延々に続きますから。

今こそ軍事独裁時代の韓国に対して批判しまくっていた情熱を北朝鮮に対して発揮してほしいのですが、まぁいない。

この人たちはどこに消えたのか?

行先は決まってます。右翼批判と政権批判をする団体にみんな流れていってます。あとは朝鮮学校を守る活動へ流れてます。

普通に考えれば、韓国が民主化したんだから次は北朝鮮だとなるはずですが、そういう常識人はごくわずか。

この二重基準が在日コリアン社会を特殊化・異質化させ、歪めるてしまう要因でしょう。

まともな人ほどこのうっとおしいコミュニティから離れます。

ある在日コリアンの大学生が言ってました。「関わりたくないから日本人と結婚するんですよ。そうすりゃ朝鮮学校行かせないで済みますから」と。

せつないですね。

必死の思いで学校を作った一世たちは、こんなことを言われるような学校にはしたくなかったことでしょう。

左は”お可哀そうに”と同情して虚心坦懐に議論せず、右は”反日けしからん!”と言って罵り合いが中心。

こんなことでは問題は延々に解決しません。

もっと普っ通~~~に意見を交換すりゃいいのに、腫れ物に触れるように接する。

あまり健康的ではないですよね。

それにしても田中明氏のこの文章は、1981年に書かれているわけですが、今もだいたい一緒なのが笑うに笑えません。

まぁ昔に比べたらだいぶ風通しは良くなったのかな。

多少は進歩してるんだと信じましょう。

今後どう転ぶか分からない朝鮮半島情勢。

70年代、80年代の韓国の自由化・民主化のために声を上げていた情熱を、ぜひ思い出してほしいものです。

核と同じくらい、北朝鮮の人権問題は重要だ!もっと争点化しろ!!という意見が韓国からも在日社会からも出てこない。日本も似たようなもの。

一番遠い、アメリカの方が熱心だったりします。

恥ずかしい話です。北の圧政を何十年も放置してきたことは、東アジア諸国の負の歴史として刻まれてしまいそうです。本当に残念なことですね。