昨日に引き続き田中明氏の『韓国の民族意識と伝統 (岩波現代文庫)』より、在日朝鮮文化人への疑問を紹介します。
著書の中でも断りが入っていますが、在日朝鮮文化人への疑問(=苦言)であって、大多数の一般在日コリアンを一緒くたにしてはいません。ちゃんとその人たちは別だと断っています。
70年代に入って韓国の民主化をしきりに叫びだしたが、なぜ身近な問題には目を背けるのか?という内容の文章は非常に共感してしまいました。
在日朝鮮人にたいする第二の疑問は、これらの人びとがなぜ身近な問題を避けようとするのか、ということである。七〇年代に入って在日朝鮮人はしきりに韓国の民主化を叫んだ。そうした言葉を聞くたびに私は、在日朝鮮人社会の民主化はどうなっているのか、と思わざるをえなかった。
たとえば六〇年代の後半から七〇年代の初期にかけて、総連には金炳植副議長の専制時代があった。これは、朝鮮人と少しでもつき合いのある人なち皆知っていることである。反対派にたいする尾行、密告から、融資の打切り、ご暴力行為に至るその圧迫ぶりを「憲兵政治」と表現した総連人士もいたし、総連から脱退することに意見を求められたこともある。
おっしゃる通り。今では在日とひとくくりにされてますが、北寄りか南寄りで真っ二つだったわけです。
そして、韓国の民主化を大いに扇動していたのは北朝鮮よりの人々であり、それに乗せられる善意の在日朝鮮人。何せ統一のためには朴正煕が最大の障害だと思われていたくらいです。あの世相では騙されるのも無理はない。
しかし、その人たちは、総連の独裁には一向に声をあげなかったわけです。
で、当然こういう疑問が出る。
組織の内情などにうとい私は「あなた方が結束して民主化運動を起こしたちどうです」といって叱られたものだ。
総連の独裁&弾圧のやり口に憤る人たちを前にして、「あなた方が結束して民主化運動を起こしたちどうです」と、う言いたくなるのは当然。
こういうとお叱りを受けるそうです。
その内容がこれ。
そんな動きを少しでもしようものなら、その日のうちに金炳植グループに密告されて一網打尽にされる、とのことだった。そして沈黙が守られたのである。その人たちが憤懣を抱きながら何もしない理由はこうだった。「こういう状態になったについては、長い年月にわたって蓄積されてきたものがあり、外の人が考えるように簡単にただせるものではない。いまは相手が圧倒的に強い。そういうとき突出したことをやるのは、「ハネ上がりの冒険主義にすぎたい」。当時の私は「当事者がいうならそうであろう。それに、こうしたことを表沙汰にしないのは、自分たちの内部問題を日本社会にさらけ出すまいとする自制からであろう」と自分にいいきかせたものだ。
面白いもんです。言い訳の論理が北朝鮮擁護と同じ。
長年に渡って蓄積された南北の不信と敵対心はそう簡単には溶けない。だから「粘り強く対話を重ね、信頼関係を構築することが重要だ」と言って、北の人権蹂躙には黙るわけです。なぜなら人権問題に触れると対話が決裂して対話が途切れるからです。
対話が途切れる=信頼関係が構築できない=人権問題には触れない。
この論理で黙る人が実に多い。
北朝鮮がいつまでたっても圧政のくびきから脱せられないのも、総連の独裁を止められないのと同じ理屈です。
何度も北朝鮮に渡った人が言うには、北朝鮮側の人と話した場合も、「今行動しても犬死するだけ」という理由で反金一族運動はできない、とのこと。李英和教授が北朝鮮に留学していた時期の体験を綴った著書でも同様のことが語られていました。
自分たちのすぐ隣にある総連という独裁集団には何もせず、韓国の反体制運動にはせっせと活動。
反体制運動を大々的にできる時点で、独裁とは程遠いんですよ。北朝鮮を通して”本物の独裁”を知れば知るほどそう感じます。
身近な問題には目をそらすという点で特に最悪なのは、帰還事業に触れようとしない在日朝鮮文化人たちでしょう。
同胞が収容所で大量虐殺されたのに、慰安婦問題や、関東大震災朝鮮人虐殺や、済州四・三事件並みの情熱を注いで問題解決に動こうとしないのはどういうわけなのか?
仮に帰還事業に触れても、だいたいが冷戦に責任転嫁したり、日本の植民支配が諸悪の根源だとか、日本政府がやっかい払いで追い出したからだとか言って他人のせいにします。
どう考えても一番の責任は大嘘ぶっこいて祖国熱を煽り、詐欺同然で連れて行った北朝鮮にあります。その次はそれに加担して同胞を騙した朝鮮総連です。さらに最悪なのは持っていけない財産を預かって北で渡すと騙し、北朝鮮と一緒になって同胞の資産を収奪したことでしょう。
その収奪した資産で朝鮮学校や、朝鮮総連の立派な建物や、朝銀を作ったわけですよ。ひどい話です。
騙されたのは日本政府や日本のメディアも同罪でしょうが、それ以上に事実が分かったらそれを日本社会に広めて、地獄から救出するための活動をしなかったことの方が罪は重いでしょう。
もちろん救出するための動きをした人はたくさんいます。しかし、そういう動きは芽のうちに徹底して朝鮮総連に潰されてきました。
「総連には金炳植副議長の専制時代」あり、「反対派にたいする尾行、密告から、融資の打切り、ご暴力行為に至るその圧迫ぶりを「憲兵政治」と表現した総連人士もいた」という田中氏の書いてある通りです。
田中氏の疑問提起の文章は1981年のものですが、これが今も続いているんだから笑えません。
そもそも、在日一世・二世を収容所で大量虐殺した連中の頭領の写真を飾って、盛大にお祭り騒ぎができる時点で、田中明氏の「なぜ身近な問題を避けようとするのか」という指摘が正しいことを証明しています。
朝鮮学校のソルマジ公演も同じです。
子供だけじゃなく大人も忠誠の公演をやってます。
(※https://youtu.be/GjF2gDCnIMgより)
こういう問題を指摘すると、「いまも続く在日差別だ!」の大合唱で問題をすりかえ、是正しようとしません。
しかし、日本政府や軍事独裁時代の韓国政府批判は情熱的にやる。
これではいつまでたっても在日朝鮮人蔑視はなくなりません。田中明氏がいうようにべ「蔑視」の反対は「非蔑視」でなく、「敬」です。(関連投稿:「蔑視」の反対は「非蔑視」ではなく「敬する」である)
こういう集団(朝鮮総連)や行為(忠誠の公演)をやめさせない限り、延々に在日批判は続きます。
そもそも日本人からというより在日コリアンや韓国人から批判が止まらないでしょう。
一刻も早くそのことに気づいて、70年代の韓国民主化運動と同じくらいの情熱で、総連の民主化や朝鮮学校の是正に取り組んでほしいと願うばかりです。
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